◆六 吹くからに
季節はまた少し進み、雅律会の時期となった。
雅律会は、学園でもっとも華やかな催しである。
雅律院学園の中央庭園に隣接して建つ洋館、桂蘭館では、昼間だというのに金箔を散らしたシャンデリアの光に満ち、薔薇油の香りが淡く空気を揺らしていた。壁際には白い手袋をした給仕が並ぶ。
そんな光景が深紅の刺繍が施された緞帳の隙間から見える。潤花は桂蘭館の大広間にある舞台の上に立っていた。間もなく、この幕が上がる。
潤花は胸元に薄く金糸を散らした紅色のドレスを身にまとい、そっと胸を押さえた。肩から落ちる刺繍は、和の雰囲気を残しながらも洋装の形を整えている。
「緊張しているのか?」
背後から、濃紺の燕尾服を着た恵風が囁く。
西欧風の社交場を模したこの場では、和装の者は一人もいない。整えられた黒髪に固く結ばれた白のネクタイ、背筋を伸ばした佇まいが、彼をいつも以上に大人びて見せた。
「……少し。あれだけの方々の前で奏でるのは、何度やっても慣れないわ」
「大丈夫だ。俺たちの演奏は、乱れたことがない。全ては宮様の舞をお支えすることだけを考えていればこそ、だ」
その言葉に潤花はわずかに笑う。すでに会場は多くの生徒と父兄のざわめきに満ちていた。
「いやあ、まさか雅律会で舞と合奏を披露するなんてね。前例もないのに」
「宮様と四大公爵家の者が揃うこと自体が珍しいことですもの」
弦英と小春も舞台袖に入り、少し遅れて華乃も着いてくる。舞台後方中央、白木の床の上。恵風はあらかじめ設置された大太鼓の前に立つ。
その後方で潤花は琴を前に置いて座り、隣には弦英が座った。二人のさらに後ろに華乃と小春が座る。
「皆、準備は良いか」
舞台袖から、唯一の和装を身に纏った瑞奏親王が声を掛けた。
彼今上帝の第三皇子、結宮殿下の長男だ。病弱で滅多に人前に姿を現さず、潤花ですら顔を合わせるのは片手で数えられる程度に留まる。
「はい、宮様」
「よし。幕を上げよ」
その一言で幕は上がり、会場はしんと静まり返った。無数の視線が注がれる中、音出しが始まり、舞台袖から瑞奏が現れ中央の最前に静かに立つ。
華族が楽器による音霊術で魔法を扱う一方で、皇族は舞うことで八百万の神々と繋がり、奏和国に繁栄と安寧をもたらすとされている。
瑞奏は目の端で奏者を見やると、扇を上げて合図を送った。
そこに太鼓の一打が続く。
瑞奏は扇をひらりと開き、細い腕と長い指先で静かに舞い始めた。蝶の羽ばたきにも似た嫋やかな動きは、見る者の息を奪う。
父兄席から感嘆の声がもれる。潤花は琴の撫で弾きに意識を集中し、恵風もまた、呼吸を合わせるように太鼓を打った。
音霊術のように、舞にも特殊な力があるとされているが、それは音霊術とは違って目には見えない。それでも、強く身体の内部に力が宿るような心地がした。
舞踊が終わると同時に拍手が広がり、六人は深く礼をした。
◇
歓談の時間になると、大広間はさらに賑やかさを増した。華族の当主たちも、この日は燕尾服やドレス姿である。シャンデリアがきらめく中、長いテーブルには昼とは思えぬほど豪奢な料理が並び、和洋折衷の香りが混ざり合う。
ガラスのシャンデリアが昼の光を幾筋にも砕いて床へ散らし、洋皿に盛られた料理の銀器がきらりと反射する。
瑞奏親王は歓談には参加せずに下がった。それに併せ、婚約者の小春も付き添って下がることになった。華族の面々はそれを残念がりつつも、「病弱だった宮様に寄り添える伴侶が見つかって良かった」と大変喜んだ。
そんな中、仲の良いふりをして笑う二人の男だけは、遠目からでも分かるほど火花を散らしていた。東宮寺家当主と西城院家当主、つまり恵風の父と潤花の父だ。
「おや、西城院殿。娘御は、なかなか相手を見つけられないそうだな」
「東宮寺殿こそ。お宅の息子君は、石のように固い性格で、お嬢さん方も怖がって近寄れないそうじゃないか」
二人の間には、今にも火花が飛びそうだった。
「あの、父上。どうか穏便に……」
「お父様も。みっともないところを皆さんにお見せしてしまいますわ」
恵風が慌てて間に入り、潤花もまた父の腕に触れて諫める。しかし二人の当主は、子の制止など風の音ほどにも思っていない様子だった。
「恵風。お前はだな、こいつより先に身を固めんといけないぞ」
「父上……!」
「それはこちらとて同じことだ。潤花、先を越されてはならんといつも言っているだろう」
「お父様……!」
そこへ、会話を小耳に挟んだらしい二人の母が楽しそうに近づいてきた。父親たちとは違い、二人は姉妹のように仲が良い。
「あらまあ、意中の方はいらっしゃらないの?ねえ、恵風君」
「そうよ。潤花さんだって誰か一人くらい、心に決めた人がいてもいいでしょう?嫌よねえ、そうやって急かしちゃったりして。複雑な齢じゃないの」
にこにこと迫られ、二人は口を揃えて誤魔化す。
「い、いませんよ、そんなものは」
「わ、私も、そんな」
母二人は「まあまあ」と声を揃えて楽しげに笑うだけだが、父二人はそうはいかないらしい。互いに睨みをきかせ、ここぞとばかりに皮肉を言う。
「いいか恵風。ああいう気の強そうな女は良くない」
「言いますね東宮寺殿。潤花、ああいう心根の見えない堅物はよせ。石像の方がまだ愛想が良いくらいだ。」
「なんだと?」
ふたたび険悪な空気が噴き上がった、その瞬間。両者の間に、閉じた扇が割り込む。
「……はい、そこまでになさいますのよ」
涼やかな声が、柔らかくも有無を言わせぬ調子で割り込んだ。
北御門家の夫人、小春の母だ。うぐいす色に桜の刺繍があるドレスは静謐で、立っているだけで周囲の空気が整うようだった。
「お二人とも、ここは学園の交流の場にございますわ。どうか子どもたちに恥ずかしい思いをさせないように」
その言葉に、さすがの二人の当主も肩をすくめた。北御門夫人は、小さく笑いを零し、東宮寺夫人と西城院夫人を連れて去って行った。
「……仕方がないな」
「……まあ、あの人がそう仰るのなら」
どこか気まずそうに咳払いし、両当主は別々の方向へと歩き去っていった。恵風の父は他の華族の集まりに顔を出し、潤花の父は大広間の外へと向かった。
残された潤花と恵風は、背中合わせになって同時に長い息を吐いた。
「……北御門夫人、鶴の一声ね」
「ああ。助かった」
二人はそれぞれ正反対の場所を見つつ小さく笑い合う。
その時だった。
「きゃっ」
「何だ……?」
人のざわめきの高さが、ひときわ鋭く空気を裂いた。辺りを見合わせると、ひらひらと紙が舞っていた。白いビラが雪のように降り注ぎ、落ちる先を見ようとした者たちの視線が天井へと一斉に向いた。
華やかな場に不釣り合いな黒ずくめの男が、高窓から去って行くのが見えた。
「これは……!」
床に落ちた一枚を拾った令嬢の手が震えた。ざわめきは、やがて喧騒へ変わった。
「あのお二人が……」
「おいおい、犬猿の仲じゃなかったのか?」
数多の視線が注がれていることに気付き、潤花は落ちた紙の一枚を拾い上げた。
——なんてこと……!?




