◆序 春ごとに
歴史ある雅律院学園の書庫、錦繡館には茜色の光が差している。
高等部二年の西城院潤花は、友人の南小路華乃と共に目当ての書籍を探していた。黒髪に陶器のように白い肌は、牡丹柄の着物と真紅の袴がまるで彼女のためにあるかのように調和している。
「誰かと思えば、西城院じゃないか」
潤花は、優美な仕草で本棚から声のした方へと視線を向ける。
そこには数名の取り巻きを連れ、不敵な笑みを浮かべた同級生がいた。彼は最近事業が軌道に乗り始めた子爵家の子息であっただろうか。これ見よがしに派手な刺繍の着物と袴を組み合わせている。
「何用でしょうか」
「ふん。お気楽なものだな、貧弱な公爵家のお嬢様は」
「なんですって!?」
華乃が潤花の前に立ちはだかり彼を睨みつける。彼女は生まれながら負けん気が強く、初等部の頃から続く潤花の頼もしい友人だ。
「東宮寺さまもそう思うだろう?」
そう言った彼の視線を辿ると、閲覧机に座り本を読んでいた一人の男が顔を上げ潤花たちの方へやって来た。
短髪の黒髪に凛々しい眉を持ち、生真面目そうな容貌をしたこの男の名前は東宮寺恵風。四大公爵家の一つ、東宮寺家の長男である。
「ああ。西城院家が貧弱で、能天気であることなど今に始まった話じゃない。公爵家が聞いて呆れる」
恵風は表情一つ変えずにそう言い放った。その瞳には潤花も、因縁をつけた子爵家の子息も映っていない。
「東宮寺家が野蛮で、粗暴であることは棚にあげているのね。華族の気品というものはないのかしら」
一方的に侮辱されて黙っているほど潤花は弱くない。西城院家の公爵家としての誇りは、幼少の頃から不動のものとして潤花の心に根付いている。
「そうですよ!潤花さまは気高く、お美しい方です。まさに華族としてあるべき姿ですわ」
華乃はさらに距離を詰め、小さい背丈ながら強い眼光で睨みつける。
「華乃。もう……」
「なんだよ!公爵家に嫁いだからって良い気になってんじゃねえよ!!」
潤花が華乃を制止した所で、子爵家の子息は華乃を思い切り突き飛ばした。華乃は勢いよく後方に飛び、尻もちをついた。
「いたっ……」
見ると、華乃は苦しそうに顔を歪め手は震え赤く腫れあがっている。山吹色の袴には汚れが付着してしまった。
——なんてこと……!
「行きましょう、華乃さん。音楽堂へ」
潤花は恵風らを一瞥し華乃の手を引いて錦繡館を後にした。
◇
極東に浮かぶ島国、奏和国。
この国では呪文を唱え楽器を奏でることによって出現する“音霊”を様々な魔法に変えられる能力、通称“音霊術”が存在し、長きにわたって国を支えてきた。生まれながらに能力を持つのは華族の者だけであり、また家ごとに扱う楽器が決まっている。
潤花と華乃は錦繡館の隣に建つ音楽堂へ入り、その中の第一練習室の扉を開く。畳敷きのその中には誰もおらず、華乃を一角に座らせ、潤花は楽器庫から琴を取り出した。
潤花の家、西城院家が統括する音霊術は、琴によって操る治癒魔法である。
琴台の上に琴を置き、調弦をして琴の正面に座る。楕円形の琴爪をつけ、目を閉じて深呼吸を一つする。
「——掛けまくも畏き音霊の大神よ。癒しの力となりて痛みを和らげ、命を潤し給へ。かしこみかしこみ申す——」
音霊を呼び起こす呪文を唱え、潤花は琴を奏で始める。
ほのかな紅色の、球の形をした数多の音霊が絹糸で出来た琴弦から現れ、ふわふわと動いて華乃の周りを取り囲む。
音霊は華乃の手首に吸い寄せられ、腫れはみるみるうちにひいていった。
◇
奏和国の始まりは千年程前にも遡るという。音霊術を扱える人々はかつて迫害を受け、各々が逃げ延びたその先にこの島国があったという。人々は手を取り合い、音霊術が途切れることのないよう、そして平和な世となるよう守り抜いてきた。
「ありがとう。潤花さま」
「“さま”はよしてよ。貴女はもう南小路家の者じゃない」
華乃は男爵家の令嬢であったが、去年南小路公爵家の次男・弦英と結婚した。弦英は潤花たちと同じ雅律院学園男子高等部一年である。
「そういえば、これから用があると言っておられませんでした?」
——いけない、今日はお父様たちが来るのだったわ……
「ええ。華乃さんは暫くここでお休みになって」
潤花は慌ただしく音楽堂を出て学園内を移動する。
雅律院学園。奏和国一長い歴史を誇る華族の子女が通う全寮制学園である。幼稚部から高等部の一貫教育であり、教室や寮は男女別で分けられているが、錦繡館含む特殊施設は両性の出入りが認められている。
そんな特殊施設の一つ、面会室の重厚な扉を3回叩いて開く。
「お待たせ致しました。お父様、お母様」
顎鬚をたくわえ洋装をした父と薄赤の訪問着に髪をかんざしで一纏めにした母が、ソファに腰掛けていた。面会室は洋風の造りで、豪勢なシャンデリアが光り幾何学模様の絨毯が敷かれている。
雅律院学園は全寮制のため年二回の長期休暇以外の外出は基本的に認められていない。親との交流は、この面会室のみで行われる。貴重な面会にも関わらず、潤花は憂鬱な気分であった。
近況を報告し終えた後、潤花は本題に入る。
「申し訳ありませんが、この前のお話はお断りさせていただきたく思います」
この前の話、というのは一週間前に行われた五つ年上の侯爵家次男との見合いだ。侯爵の補佐をしながら貿易会社の役員をしており、紳士的な振る舞いは両親にとっても好印象だったようで、二人は残念そうな表情を見せた。
「北御門の末の令嬢も宮様との婚約が決まっただろう。残すはお前と、東宮寺の野郎の息子だけだ。東宮寺に先を越されるのだけはならんぞ」
潤花の父は圧のある鋭い視線を向けた。
奏和国は始め他国からの侵入を許さない鎖国制度を敷いていたが、百年前に開国し国民の生活は多様化していた。髪型や服装は西欧のものが取り入れられ、異国風建築や和洋折衷料理など、この百年で国民の生活は大きく変わった。
そして近年は戦争も絶えない。百年の間に陸海空軍は規模を増し、音霊術などの力もあって奏和国は世界の中で主導権を握る大国へと進化していた。
その中心となる音霊術が、東宮寺家が統括する和太鼓を扱った対人強化魔法である。戦地に赴く兵士たちの体力や運動神経を極限まで増強させ、戦争を勝利に導いていた。
その一方で数々の負傷した兵士たちを治療してきたのは西城院家の治癒魔法である。
対人強化魔法で戦争をさらに押し進めたい強硬派の東宮寺家と、深く傷ついた兵士たちを見てきた穏健派の西城院家はことあるごとに対立していた。それは当主だけに留まらず、強硬派と穏健派それぞれに属する他華族の子を巻き込み潤花と恵風は何年も睨み合っているのである。
「潤花。どなたか良い方はいないの?この際子爵家以下でも……」
「そうだな。最近は平民と結婚することもあるそうじゃないか。その場合は入り婿になるだろうが」
開国後百年が経つと価値観も変わっていく。近年では西欧の価値観が流入したことで恋愛結婚の機運が高まり、恋愛そして恋人としての交際の末に高位華族と低位華族、あるいは華族と平民の結婚も増えていた。
未だ皇族や高位華族の結婚には見合いが主流だが、この時流であれば最終手段としてではあるが潤花は平民との結婚だってできるだろう。
「……いえ。良い関係の方も特にはおりません。もう少し時間をくださいませ」
そんな中で、潤花は今まで恋人がいたこともない。見合いがあっても、この通り進めたこともない。それには深いわけがあった。
閲覧ありがとうございます。
もしよろしければ、ブクマや評価で応援してもらえると嬉しいです!




