◆八 短夜の
裏門にはすでに華乃、弦英、そして数名の生徒が集まっていた。皆、いつもの和装に羽織を重ね、顔には決意の色が滲んでいる。
「潤花!」
華乃が駆け寄ってくる。
「来てくれたのね……!」
「当然でしょう。私たちに出来ることはあるはずよ」
弦英は大きく頷き、皆を見渡す。
「よし……恵風の背中を追うぞ。誰かが、誰かを守らねば、この国は立ちゆかん!音霊の力は、国を守るためにある!」
冬の気流が吹き抜け、全員の袖を揺らした。
その時だった。
ゴウ、と低い音を残して、一台のトラックが裏門前に現れた。最近西欧から輸入が始まった大型の車種であり、酒屋の紋章が側面に描かれている。
「いらっしゃったな」
「え……誰が運転を……?」
潤花が言い終える前に、運転席の窓が「ぎい」と音を立てて開いた。
「これで全員?」
潤花の目が丸くなり、華乃は声にならない声を漏らす。
——どうしてここに……?
そこに座っていたのは、北御門夫人、小春の母だった。上品な和装姿でありながら、片手でハンドルを握っている。
「はい。全員です」
「よろしい?あなた方はまだ若く、本来ならば戦地に行くものではありません。それでも行くというのなら、何よりも自分の命を優先しなさい。わかりましたか?」
「はい」
潤花たちは共に頷き合う。北御門夫人は運転席を降り、トラックの荷台を開けた。
「よろしい。さあ、早く。ぐずぐずしている暇はございません。若いうちにしか出来ぬ戦も、確かにあるものよ!」
潤花たちは一瞬呆然としたが、次の瞬間、胸の奥の恐れよりも、熱く燃え立つ何かが勝った。
弦英が叫ぶ。
「よし、乗り込めぇ!!」
潤花は琴を抱き締め、荷台へ駆け上がった。大型楽器の積み込みを終え、全員が乗り込むと、トラックが動き出す。窓から吹きこむ夜風は髪を引き、紅い月が昇り切っていた。
——恵風。いのちの限り、私もあなたを追うわ。
◇
「ここまでよ」
夜の空気がまだ残る早朝、南港近くの砂地にトラックは唸りを上げながら到着した。トラックを降りると鉄の匂いを含んだ潮風が、冷たく頬を切った。
「……君たちは若い。命ばかりは、粗末にしてはなりませんよ」
北御門夫人は、いつもの柔和な笑みを浮かべながらも、瞳の奥に深い覚悟を潜ませていた。
「北御門夫人……」
「私は宮内の方で手伝いがあるから、用を済ませたらすぐに戻るわ。さあ、早く行きなさい。人の命は待ってくれないわ」
そう言うや否や、夫人は手をひらりと振り、トラックを反転させて砂煙とともに去っていった。残された潤花たちは、互いに息を整え、遠くの空を仰ぐ。
南港方面は、夜明け前から煙が上がり、砲声が絶え間なく響いていた。雲のきれ間から淡い光が落ちているというのに、地平線の向こうは昏いままだ。
「行こう」
弦英が短く告げた。
潤花たち有志生徒は、それぞれが扱う楽器と音霊術に従い、散開していく。
激戦区、武器等の補給を行う駐留地、そして負傷者を収容する野戦病院。弦英たち対物魔法の術者は駐留地に、前線で戦う兵士へ作用する魔法を扱う術者は激戦区へ。
治癒魔法により負傷兵の手当をする潤花たちは野戦病院に向かう。
「どうか、ご無事で」
「ああ。君も無理はするな」
野戦病院へと歩き始めた潤花の後方で、そんな声がした。
振り返ると、前島伯爵家の紅葉とその婚約者がいた。二人は婚約したばかりだった。確か、紅葉の婚約者は、恵風の弟子だった。彼も恵風と同様に前線に出るのだろう。
「潤花様、参りましょう」
走ってゆく彼を見送った紅葉は、真っ直ぐに潤花を見据えた。
「ええ」
潤花は琴袋を抱え直し、必死に走った。裾が風にはためき、足裏へと砂利の痛みが刺さる。
野戦病院が見えてくるにつれ、空気は一層重くなる。
潤花は琴を抱えたまま、治癒部隊のいる区域へ足を踏み入れた。そこには、血と薬草と焦げた砂の臭いが満ち、重傷兵がいくつも並べられている。
「西城院公爵令嬢!前島伯爵令嬢まで……!」
「私たちも加わります」
潤花の弟子も何人か駆り出されているようだった。
破れた天幕の向こうでは、術者の呪文の声と呻き声とが入り混じり、異なる色の音霊が不安定にふらふらと揺れていた。いつもは穏やかに光る球が、今は震え、軌道を乱している。
「こちら、まだ出血が止まりません!」
「こっちは呼吸が……っ」
術者たちの声が切迫していた。思うように治癒が進んでいない。
琴や筝、ヴァイオリンにヴィオラ。各々の術者が必死に音を紡いでいるが、その音には乱れがあった。旋律がぶつかりあい、音霊同士が混線し、呪文がかき消され、効果が分散してしまっている。
——これでは……。このままでは、……
潤花は胸が射抜かれたような不安に立ち尽くした。だがそこで、ふと一つの記憶がよぎった。恵風と二人で演奏したとき、琴と太鼓の音霊が、まるで呼吸を合わせるように互いを高めあっていた。
そして弦英たちと合わせた時。大幅な効果が見られなかった弦英と小春の組み合わせでさえ、それぞれの音霊は合わさっていた。
——音を合わせたら、きっと……
潤花は息を吸い、周りに声を張る。
「皆さま。……音を、揃えましょう。私が合図をいたします!」
「音を合わせる……?」
「はい。楽器の隔たりなく、同時に演奏をするのです。合奏と同じように。音霊は、何より術者の集中力に依存します。私の手の動きに速度を合わせてくださいませ」
ここでは誰も彼女の家柄を疑わない。潤花の父は前線での応急手当で不在の今、混乱の中で誰かの導きが必要だった。
「わかった!」
「やってみよう!」
術者たちが頷く。
潤花は中央に立ち、手を挙げた。
「——掛けまくも畏き音霊の大神よ。癒しと回復の力となりて冷やし、温め、痛みを和らげ、命を潤し給へ。かしこみかしこみ申す——」
彼女が手を振り下ろすと同時に、合奏が始まった。音が重なり、厚みが増していく。手を動かして拍子を取り、速度を一定にする。
それと共に琴の澄んだ紅色の音霊が広がり、ヴィオラの柔い黄、ヴァイオリンの薄青が柔らかに現れ始めた。乱れていた音霊の動きは揃い始め、各々の音霊が引き合う。
「こ、これは……」
紅葉が、小さく驚愕の声をあげた。潤花も音霊の変化に、思わず手を止めそうになる。
四種類の音霊が合わさると、四色の音霊にはならず無数の極彩色の音霊となった。
「熱が……一気に引いていく……!」
「身体が、軽い……!」
「痛みが消えるぞ!」
負傷兵たちの声が次々と上がり、術者たちにも安堵が広がっていく。
その時だった。
「これはどういうことだ。……潤花、なぜここにいる?」
背後から、鋭い声が響いた。振り返ると西城院家当主、潤花の父が立っていた。軍靴についた砂を払うことも忘れ、険しい表情のまま娘を見つめている。
「……私にもできることがある以上、やらないという選択肢はありません」
潤花は顔を伏せず、まっすぐ父を見返した。
「はあ……全く。東宮寺の息子といい、お前といい、どうしてこう勝手な……」
父はこめかみを押さえたが、その声音には怒気ばかりではない。短く息を吐くと、「好きにしろ」と呟く。
「だが指揮は私が執る。潤花、お前は術者に回れ」
そう言って前に立った。
「……はい!」
潤花は再び琴を構え、父の合図に合わせて演奏へと戻った。




