6.「練習相手」
「――いいかね、治癒魔法は誰でも学べば扱えるようになる。
擦り傷や打ち身くらいなら、基礎さえ身につければ癒せるようになる。
だが、それ以上の治癒は話が違う。
深い傷の止血や骨折の修復、病の治療……これらは黒魔法と同じく才能がなければ決して出来ん。
並大抵の訓練でどうにかなるものではなく、魔力操作の繊細さと生来の適性が必要だ。
だからこそ、今日お前たちにさせるのは、日常で役立つ、ほんの小さな傷を治す基礎訓練だ。
それでも、いざという時に仲間を助けられる力になる」
治癒魔法の教師、アルマ=ヒューレンはそう説明した後で、自分の指を紙で小さく切り、血が滲むのを見せた。
「この程度のかすり傷ならば、誰でも練習すれば治せる」
杖を軽くかざし、静かに呪文を紡ぐ。
「光よ、癒しの糸となれ。ヒーリング・リペア」
淡い光が指先を包み込み、みるみる傷口が閉じてゆく。
血も止まり、跡はほとんど残らない。
「見ての通りだ。魔力を流す時は縫い合わせるようにイメージすること。
力を込めすぎれば逆に痛むし、足りなければ傷は塞がらん。
さあ、練習してみろ。小石で擦った傷でいい。血も出さなくていい。
怖ければ、爪で強く痕をつけたものでいい。刃物は禁止だ、やりすぎるなよ」
生徒たちはおそるおそる、机に並べられた小石を手に取り、自分の手に小さな傷を作る。
緊張でざわめく声があちこちから聞こえた。
「痛くしたら本末転倒だぞ。あくまで練習だからな」
先生の声が響く中、教室には一斉に呪文の声と、淡い光が瞬きはじめた。
「さあ、今日はここまで」
アルマ先生が両手を叩くと、教室には安堵の空気が広がった。
サクラは結局、かすり傷ひとつすら満足に治せなかった。
光は出るのに、傷口は塞がらない。逆にヒリヒリしてしまい、余計に情けなさが募る。
「できなかった者は、来週までの課題だ。焦らずに、何度も繰り返すこと。爪痕か小石だぞ、血を出すような真似をするな、治らなかった場合は私のところに来るか、保健室に行くこと。夜中の練習は禁止だ」
そう言うと先生は、治しきれなかった生徒たちを順に、指先ひとつで傷を癒していった。
たった一瞬で肌が元通りになる様子に、生徒たちは思わず感嘆のため息を漏らす。
(私だってやればできるはず……!)
サクラは中庭の隅で、自分の手の甲を小石で擦り、必死に治癒魔法を試す。
「光よ、癒しの糸となれっ…ヒーリング・リペア!」
だが光はにじむばかりで、傷はそのまま。
焦ったサクラは何度も同じ傷口に魔法をかける。
「もしかして、傷って認識してないのかな……」
小石で強く手の甲を擦ると、強くやりすぎたのか血が溢れてしまった。
「ひゃっ……止まんない」
半泣きで慌てるサクラ。必死に治癒呪文を繰り返すが、今度は制御が効かず、魔力が別方向に弾け飛ぶ。
――ポンッ。
「……」
またしても背後から、あの音が。
振り返ると、スグルの黒髪にオレンジ色の派手な花が咲き誇っていた。
「おまえな!……」
怒鳴りかけたスグルの視線が、サクラの血まみれの手に止まる。
「……何やってんだ」
次の瞬間、スグルの杖先がサクラの手を覆った。
「光と影、命を縫い留めろ――コア・ヒーリング・リペア」
柔らかな光が一瞬でサクラの傷を塞ぐ。
痛みが消えたのを感じて、サクラは呆然とスグルを見上げた。
今のは、基礎の中でも上位の呪文だ。
「す、すごい……」
「……治せもしないのに下手に血を流すな。死ぬぞ」
乱暴に言いながらも、その声にはわずかに苛立ちと心配が混じっていた。
「わ、私……魔法が下手で……あの、いつも、花、ごめんなさい……なんで花咲くのかもわかんないけど……」
サクラは涙目でうつむく。
スグルは、頭に咲いてしまった花を指でむしり取った。
指先で摘み上げた花は、ふわりと宙に溶け、光の粒となって消えていく。
スグルはその様子を無言で見つめた。
「……治癒魔法、かけてみろ」
唐突にスグルがそう言い、サクラの前に自分の手の平を差し出して、杖の先で抉って傷を作った。
「えっ、で、でも……」
「練習してるんだろ。失敗しても俺は自分で治せる」
淡々とした声に、強制力がある。サクラは逃げ場をなくし、恐る恐る杖を構えた。
「ひ、光よ……癒しの糸となれ……ヒーリング・リペア……!」
杖先がわずかに光を帯び、スグルの手を照らす。
しかし、傷口は塞がらない。光はすぐに散ってしまった。
「……っ、やっぱり……できない……」
唇を噛みしめ、サクラはうなだれる。
スグルはため息をつきながらも、静かに言葉を添える。
「魔力を押しつけるな。お前はイメージが足りてない。縫い合わせる糸を、思い浮かべろ」
その声はつっけんどんで、けれど、確かに教えようとしていた。
その日、サクラの治癒魔法は日が暮れてもうまく発動しなかった。
スグルは宣言どおりに自分の魔法で手を治癒し、慰めるでも励ますでもなく、無言で去って行った。
夕方まで付き合ってもらったのに、お礼を言い忘れたと気づいたのは、寮に帰ってからであった。