5.「頑張らなきゃ」
生徒会長に任命された翌朝。
サクラは、生徒会の紋章が刻まれたローブを着ないままに寮の食堂に向かっていた。
(夢であって欲しかった……)
紋章は、もう消すことも外すこともできず、他の生徒にまだ知られたくないサクラは、脱いで行くことを選択するしかない。
(私が生徒会長もそうだし、再追試もだ……)
不安を抱えつつも食堂に入り、トレーをとってカウンターに差し出し、その脇に設置されている、水晶玉に右手をかざした。
年配の調理員の一人がそれに向かって、杖をひとふり。
一分後。
「おまちどうさん」
そう言って調理員は無愛想にトレイを返してくる。
「わぁ!パンケーキ三段!」
サクラのトレイには、厚みのあるパンケーキが積まれた皿。横には、たっぷりのシロップも添えられている。
食堂は、食べる人の体調や気分で献立が変わる。調理員は、それを素早く魔法で仕上げて出す。勿論、魔法調理師の資格が必要である。
どうやら今のサクラには甘さが必要であるらしい。
「ん~美味しい!」
頬いっぱいにパンケーキを詰め込むと、それだけで多少の悩みは吹き飛ぶような感覚になる。
(……うん、なんとかなる気がしてきた)
腹はものすごくゲンキンである。
午前の授業は自然物理魔法。
机の上に置かれた皿に、指先ほどの水滴を生み出す訓練だった。
自然の力を借りる白魔法の、基礎的な鍛錬だ。
「水よ、芽吹きとなれ――アクア・スプラウト!」
教室に一斉に呪文が響き、水滴が皿に落ちていく。
ぱたぱたと小雨のような音が広がり、あちこちの机に小さな水溜まりができた。
しかし、サクラの机の皿だけ、水は落ちない。
「え、えいっ!水よ——」
必死に魔力を込めた瞬間、ぽんっと小さな音がした。
皿の上には、ピンク色の花が咲いていた。
「……へ?」
だがその花は、数秒でふわりと消えてしまう。
見間違いだったろうか。
サクラは目を擦る。
「リリーバレー」
「ひゃい!」
背後からやってきた先生は、空の皿しか乗っていない机を一瞥する。
この生徒、今、別の魔法を使っていなかっただろうか。
皿と、サクラを交互に見て、結局「課題に集中したまえ」とだけ注意して先生は踵を返した。
サクラは机に突っ伏し、腕をぐんにょりと下に垂らした。
(私って本当に、魔法の才能がない……)
昼休み。
気分転換に中庭の花壇に腰を下ろす。
花々の香りに包まれると、実家にいるような感覚がして少しだけ落ち着いた。
「ツツジちゃんなら、完璧にできるのにな」
ぽつりとこぼす。
優秀な双子の姉。いつも堂々としていて、自分に自信を持っていた
その代わりとしてここにいる自分は、あまりにも違う。
いつだったか、風邪をひいて寝込んでいたサクラに、ツツジが花を摘んできた事があった。
『この花ね、傍に置いておくと解熱作用があるんだって』
無茶をして採取してきたのだろう、泥だらけの姿で花を差し出し、ニカッと笑ったツツジの笑顔は頼もしく、サクラはそんな双子の姉が大好きだった。
ツツジは、魔法学園に通いたかったはず。
どうして急に、サクラに何も言うことなく、別の道に行こうと思ったのだろう。
(頑張らなきゃ)
今のサクラにできることは、ツツジや両親の意向を汲む事だけだ。
もはや、生徒会の仲間を作るどころの騒ぎではない。
再追試のために、中庭で浮遊魔法の自主練に励むことになってしまっている。
次々と合格しているのだろう、次第に中庭で練習をする生徒も減っていた。
(焦らない……!)
小石を見据え、サクラは杖を構える。
「レヴィータ・ライン!」
小石はふわりと浮かび——浮かんで、コトンと落ちる。
「ぐぬ……」
浮かばせ、移動させないと合格ではない。
何がダメなのか。
イメージなのか、魔力なのか、それさえ、才能がないサクラには皆目見当もつかない。
できることは、地道な努力のみである。
「レヴィータ・ライン!」
ポンッ、と、不吉な音が背後から聞こえた。
振り返ると――スグル=ウィストの黒髪に、今度は輝くイエローの花が咲いていた。
今回も偶然通りかがったのだろうが、あまりにも間が悪い。
強張った顔で、スグルがサクラを見据えた。
「……っ」
目が合った瞬間、サクラの顔色はサッと青ざめる。
「……またお前か」
唸るような声に、サクラは縮こまりながら頭を振った。
「ち、ちがっ……わないけど、ご、ごめんなさい!」
スグルは頭の花をむしりとると、冷ややかにサクラを一瞥した。
目の前に置かれた小石と、周囲の再追試の学生たちにも目を向ける。
サクラが浮遊魔法の特訓をしている事を察したようであった。
少し逡巡したような素振りの後、彼は口を開いた。
「魔力の流れをイメージできてない。浮かせるだけならまだしも、移動は導線を描けないと無理だ」
「ど、導線……?」
「点から点に繋ぐ糸を思い浮かべろ。魔力を叩きつけるんじゃなく、魔力で引っ張る」
無愛想な口調で、それ以上は説明する気がないらしく、彼は踵を返した。
残されたサクラは杖を握りしめ、呆然と彼の背中を見送る。
「……教えてくれた、のかな……?」
言われた「点から点に繋ぐ糸」という言葉。
もう一度、小石を見据え、震える声で唱える。
「風と糸、見えない手で導け……レヴィータ・ライン!」
ふわっ、と小石が浮き上がる。
これまでと違うのは、そのまま空中で震えながらも、少しだけ横へ――ほんの数十センチほど動いたのだ。
「う、動いた……!」
胸がじんわり熱くなり、思わず目尻が潤む。
振り返りもせず歩き去るスグルの背中を見ながら、感謝の気持ちでお辞儀をした。
(怖いけど、悪い人ではないのかも)
「よし!頑張る!」
それから数時間、繰り返し練習したサクラは、無事に再追試に合格したのだった。