3.「思いがけない任命」
サクラは学園長の私室に呼び出された。
(やばいやばいやばい……)
サクラは、胸の奥がぎゅっと縮むような思いで学園長室の扉をくぐった。
(ツツジちゃんの代わりにきたって事がバレちゃったかもしれない)
呼び出しと同時に覚悟を決めなくてはならなかった。
ただの一生徒が学園長に呼び出されるなど、普通はありえない。つまりは、そういう事なのだ。
もはや何の言い訳も浮かばず、退学の文字しか脳裏に出てこない。
こんな半端な時期に学園を放り出されたら、園芸学校に行くことも出来ず、行く当てのない浪人生の爆誕である。
人生転げ落ちるどころの話ではない。
重厚な扉が閉まると同時に、部屋の空気が一層濃くなる。
壁一面に魔法書が並び、天井近くまで伸びる梯子が魔力に揺らめいている。
中央には魔法陣が刻まれた机――その奥に学園長が静かに座り、サクラを見据えていた。
サクラが学園長を見たのは、入学式以来。しかも、こんな間近でお目にかかる事などはじめてだ。
静かで、そして重い空気がサクラを震わせる。
(……ひぇぇ…怖……!)
学園長は無言で指先を軽く鳴らした。
机の上に置かれた書類が、淡い光を帯びて浮かび上がる。
「サクラ=リリーバレー」
ようやく、低く響く声が、サクラの名を呼んだ。
「はいっ」
反射的に返事をして、縮こまる。
(やっぱりバレた……!?)
「――君を、今年度の生徒会長に任命する」
「はいっ……!」
(……え?)
「え????」
あまりに予想外の言葉に、反射的な返事をしたものの、理解は追いつかないサクラの思考が一瞬真っ白になった。
口を開けたまま、固まるサクラを前に、学園長はもう一度指を鳴らす。
柔らかな光がローブの左肩に集まっていった。
「えっ……なに、これ……?」
布地が透けるように輝き、そこから静かに紋章が浮かび上がる。
まるで光が刺繍を編み込むように、模様が形を成していった。
「これは生徒会の紋章だ。君が正しく皆を導くための印として授ける」
(生徒会……?私が……!?)
(いや待って!生徒……「会長」って言った!?)
痛みも重さもないのに、肩だけが熱く感じる。
戸惑うサクラをよそに、銀色の翼の紋章が確かな刺繍としてローブに刻まれていた。
「待って下さい!学園長先生!」
ようやく我に返ったサクラは、喉の奥から声を絞り出した。
「わ、わたし、一年生です! できるわけありません!」
成績だって、下から数えた方が早い。
選ばれる理由が分からない。いや、想像はつく。入学試験の成績が優秀だったのではないだろうか。
でもそれは、サクラではなくて、ツツジの結果だ。
サクラの動揺にも学園長は揺るがない。
「一年生であることは障害ではない。我々は君を選んだ。それだけで充分だ」
「ち、違います……。わたしなんかより、もっと優秀な人が……」
必死に否定するが、学園長は静かにサクラを見据えていた。
指先が軽く動くと、宙に浮かんだ書類がぱらぱらとめくれた。
「安心するといい。会長といえど、ひとりでは務まらない。副会長と役員二名は、君が気に入った者を指名できる」
「……わ、私が?」
サクラの喉がひゅっと息を詰める。
ますますの無理難題。サクラには、まだメリアしか仲が良い人間はいないし、メリアは既に一年の監督生だ。
学園長の声はゆったりと響き、逃げ場を与えない。
「会長自身が共に邁進する仲間を選ぶ——それが学園の伝統だ。君にはその権利がある」
胸の奥で、嫌だという声が渦巻く。
けれども、学園長の静かな圧の前に、言い訳も抵抗も、次第に喉の奥へ押し込まれていった。
やりたくない。でも、選ばれてしまった。
逃げ場のない現実が、胸にじわじわと迫ってくる。
学園長の私室をフラフラと出て、左腕の紋章を右手で強く鷲掴みしながら、サクラは俯いて歩く。
紋章が刻まれた方の手には、生徒会のマニュアル冊子。これから熟読の上で、他の役員を選ばなくてはならない。
「まだやるなんて言ってないのに……」
おそらく、拒否権はない。
これ以上突っ込んで、ツツジとの入れ替わりがバレるのも恐ろしかった。
一年生が生徒会長だなんて、中等学校の時でも聞いた事がない。上級生からは反発されるのではないか。
知らない人が苦手なのに、仲間を選ぶというのも難儀な事である。
ここのところ明るかった未来絵図が、またも灰色に見えてくる。
「えっ!? 会長に任命された!?」
教室で顔を合わせたメリアが、目をまん丸にした。
サクラは慌てて、指を唇の前に立てる。
まだ周りには知られたくない。刺繍が刻まれたローブも脱いで畳んだ。
クラスの下層である自分が生徒会長だなんて、笑い者も良いところだ。
「すごいじゃない、サクラ」
「すごくないよ……。一年生だよ?みんな嫌がるよ……私も嫌だよう」
机に冊子を置いたサクラの顔は泣きそうに曇ったまま。
メリアも少し考えて、サクラには荷が重すぎるのではないかと心配になる。
しかし、入学したての自分たちは、その決定に抗う術を知らない。
「考えても仕方ないでしょう? それより――」
メリアはサクラの肩をぽんと叩く。励まそうとしているのか、いい笑顔だった。
「浮遊魔法の再試験、今日の放課後にあるんだって!」
「えっ……」
「うん、サクラ不合格だったよ」
笑顔でとんでもないことをメリアは言った。