23.「クリアリーフの森③」
空気が裂けたような感覚があった。
「わっ」
地面が大きく揺れ、黒々とした影が陣から這い出てくる。
『オオオオォォォォ』
木々の頭を越えるほどの巨体。咆哮が森を震わせ、サクラは思わず耳を塞いだ。
姿は形としてはっきりとわからず、ただただ、闇に眼球がついている、という獣。
「わ、わ、何!? アレ! 何ィ!?」
耳を押さえて傍にしゃがんだサクラの右肩を掴んで、スグルはかろうじて「B級魔獣」とつぶやく。
「これが暴れでもしたら、説教どころじゃないぞ」
そう言って片手を額に当てて、乱れた平衡感覚を取り戻すために頭を横に振る。
今にも召喚陣から這い出てきそうな巨体は、何かの命令を待っているかのように、その場にうごめく。
召喚者の命令を待っているのだろうか。
つまり、ルナナの命令を。
「ミスティさん! ミスティさん! もういいでしょ! やめよう! 返そう!! 返して!」
恐怖でしゃがんで頭を抱えたまま、サクラは叫ぶように諭した。
「先生たちにバレたら、ミスティさん退学になっちゃうよ!!」
脅しではない。恐らく、そうなる。
「だから、もうやめ……」
サクラが再度諭しかけた時、ルナナのつぶやきが場を凍らせた。
「……制御させてくんない~……」
彼女の杖は震え、表情こそいつものように飄々としているが、額に冷や汗がにじんでいる。
「ちょっと出したら、戻すつもりだったんだけど~」
呑気な口調とは裏腹に、杖先は迷うように震える。
「……さっきからやってるんだけど、返還命令きかない~…」
スグルがやっとのことで、ふらっと立ち上がって、強い視線でルナナを見た。
「黒魔法の適性がないヤツが、B級以上の魔獣召喚なんかしても操れる訳ねーんだよ!」
魔獣には、明確な階級がある。
最下位のE級から始まり、D級、C級と上がるごとに、凶暴性が増していく。
授業で実演に使われるのはせいぜいD級まで。それ以上は黒魔法の領域とされていた。
B級から上は「上級魔獣」と呼ばれ、街ひとつを壊しかねない存在だ。
召喚するには膨大な魔力量と、黒魔法の制御能力が必要になる。
適性のない者がその召喚陣を描いたとしても、発動する事はない——はずであった。
だからこそ、黒魔法の適性を持たないルナナが、B級以上の魔獣を呼び出したという事実は、本来ありえない事だ。
奇跡か、無謀か。
どちらにせよ、召喚という行為においては、彼女は天才だったのだろう。
だが、呼び出せることと、操れることは別次元の話である。
白魔法の枠を越えて強引に手を伸ばせば、制御を失うのは自明の理だった。
「規則ってのは、何のためにあるのか、ちっとは考えろ!!!」
「で、でも~」
「人が、死ぬんだよ!!」
魔獣に負けないレベルのスグルの咆哮に、言い返そうとしたルナナもさすがに黙ってしまった。
人が死ぬから、その可能性があるから、黒魔法の適性者は、幼い頃から監視下で我慢を強いられ鍛錬を積まされるのだ。
自分の自由の代償に人の命が消えると言われて、羽ばたける者がどこにいるだろうか。
自由にやりたい事をやろうとするルナナは、スグルにとって目障りで、反面、僅かに羨ましさもあった。
次の瞬間、黒々とした巨体は待ちきれなかったのか陣を超え、森の空気を震わせながらズルッと這い出てきた。
ズシンと地面が震える。
魔獣の眼がぎょろりとあちこちに動く。サクラは震える足をなんとか奮い立たせて、ルナナの腕を掴み、引きずるように後ずさった。
「な、なんとかならないの!?」
「返還命令が効かない場合は、えっと~返還陣を描いて……えっと~そこに押し込む……んだけど、描く前に多分どこか行っちゃう~」
ルナナもさすがに青ざめて、杖を握りしめる。
「召喚試したかっただけなのに~…」
魔獣が、腕のようなものをブンッと振り回し、周囲の木々を倒す。
木々はいともあっさり薙ぎ倒され、土埃が舞い上がり、また地面を震わせた。
「ひぇぇぇ!!」
サクラはまたしゃがみこんでしまう。
傍のルナナも引っ張ったが、彼女は動かなかった。
「これが、私の、限界値……」
ぼそりと、トーンの低いルナナの呟きが魔獣の咆哮にかき消される。




