11.「召喚魔法」
「……?」
石畳をカツカツと弾く二人の靴の音が、一瞬、止んだ。
何かが下にある。
サクラの足元に描かれていたのは、複雑に重なりあった魔法陣。
足元が軽く浮き、ふわっとした感覚が身体を揺らす。
魔法陣については、まだ一年生は描かせてもらえない。だからサクラには何が描いてあるかも分からなかった。
「……なに、これ」
サクラが思わず立ち止まると、足元の陣に淡い光が走った。
「出ろ!」
「えっ…?」
一歩先を行き、陣から出ていたスグルがサクラの腕を引いた時には遅く、魔法陣がうなりを上げて輝く。
空気が裂けるような轟音と共に、大きな異形の獣が現れかけ——
「召喚陣だ!下がれ!」
「えっ!!」
鋭い声と同時に、サクラの身体が引き寄せられた。
スグルの腕に抱きかかえられるようにして、召喚陣の外へと押し出される。
胸に衝突し、何が起こったかわからないサクラは彼の腕の中で固まるしかない。
「深き奈落、束縛せよ!アビス・チェイン!」
スグルの杖から出た魔法の鎖が、轟音と共に、魔獣を地へ叩き伏せた。
数ある防御魔法の中でも、今スグルが使ったのは黒魔法だ。白魔法に比べ、詠唱と発動時間が短い黒魔法は、戦闘において圧倒的に有利とされる。
瞬間的に衝撃を防ぐのであれば、黒魔法の方が確実性がある。それを瞬時に判断して使った彼は、やはり噂通り天才の一人なのだ。
サクラはただ固まって、強烈な光と音を浴びながら、呆然とそれを見ていた。
目の前で黒魔法を使う人間を見たのははじめてで、僅かの畏怖と、それから、僅かの感動を同時に覚えていた。
数瞬後。
遠くから放たれた、手の形をした青い魔法が、スグルの鎖と共に魔獣を押し込み、そのまま無理やり陣の中に封じる。
魔法を使いながらも遠くから猛ダッシュしてきた、防御魔法担当のラーナ=トゥーデン先生の怒声が、中庭を揺らす。
「ルナナ=ミスティ!またお前か!」
ラーナ先生は、そのまま力技で青い手を操り、召喚陣を閉じる。さすがに防御魔法の専門家であった。
しばらく地響きのような揺れを足元に感じていたが、それも収まる。
「ミスター・ウィスト、助かった。良く止めた」
荒い息のまま短く謝意を述べると、ラーナ先生は、サクラたちの横に視線をずらす。
「さて、ミスティ。言い分はあるかね」
怒りを込めた視線を向けられ、横の芝生に立っていた少女が、首を傾げていた。
腰まで伸びた淡いブルーの髪に、眠たげな瞳。
若干サイズが合わないブカブカのローブは、ルーンクラスの黄金色の襟だ。
小柄なスグルやサクラよりもさらに小さい背丈。
ルナナ=ミスティと呼ばれた少女は、ケロリと言った。
「本で見た召喚陣、試したかっただけ~」
悪びれもせず。
ラーナ先生は、召喚陣を消去しながら、こめかみに血管を浮かせる。
「試すな!一年で召喚陣を勝手に敷くなとあれほど!」
「はぁい、す~みませ~ん」
説教の間も欠伸をかみ殺すルナナ。教師が呆れて去ると、彼女はスグルに近づいた。
急に強力な魔法を使った為に、まだ息の整わないスグルを覗きこむ。
「すんごいねぇキミ~。適性者かあ。魔獣、あっさり押し返したね~」
「……あっさりに、見えるのかよ」
ギロッと睨むスグルの怖い顔にも怯まずに、ルナナは続ける。
「協力してほしいな~もっと強い魔獣を呼び出してみたいんだ~」
とんでもない事を言い出す。サクラは息をのんでスグルの横顔を見上げた。
「黒魔法使いのキミがサポートしてくれたら、もっと強いのを呼び出せそう~」
「断る」
「えー、どうして?」
「白だろうが黒だろうが、一年が召喚魔法を勝手に使うなと言われているはずだ。学園の規則は守れ」
不遜な態度や並外れた能力に似合わず、真面目なことを言うものだと、サクラは思わず唇を歪めた。
存外、彼に生徒会は合っているのかもしれない。
ルナナは首をかしげ、指を唇の下に当てた。
「恋人の許可でもとればいいの?」
「は?」
怪訝な顔をするスグルに、ルナナは指をサクラに向ける。
「恋人」
向けられた指を視線で追って、やっと、スグルはサクラを片腕で抱きかかえたままである事に気づき、サクラは両手でしがみついたままである事に気が付いた。
「……!」
互いに赤面し、サクラは慌てて手を離そうとし、スグルも同時に体を引こうとした。
だが、急に動いてバランスを崩し、結局、また互いに抱える形になる。
ルナナは楽しげに、にまっと笑った。
「恋人~」
「ち、違……!」
「違う!」
ようやく身体を離したサクラとスグルの声が、見事に重なった。
スグルは咳払いをして、そっぽを向く。
「そもそもお前が召喚陣なんか敷くからだ、二度とするな」
けれどルナナは、その苦言には返事をせず、背を向けて走り出していた。
「おい!」
「出来る事をやりたいって言って、何が悪いの~?」
ルナナは遠くから振り返り、さえずるように言った。
「規則とか、そういうの、きら~い!」
石畳を軽快に弾く音を立てて、ルナナは走り去っていく。
「……なんて奴だ」
スグルは肩を落とし、だらんと杖を下げる。心底呆れたように振舞いながら、視線を逸らす仕草はどこかぎこちなくなる。
先ほどサクラを思わず抱きかかえてしまった感触が、まだ腕に残っている。
他人をこんなに近くで感じた事は、これまでなかった。
誰もがスグルには寄り付かないし、寄せ付けもしないように振舞ってきた。
「あの時」からは、より一層。
頬に熱が上るのを誤魔化すように、「帰る」と短く言い残し、足早に去る。
取り残されたサクラは、胸を押さえて小さく息をついた。
怖い出来事だったからか、鼓動は速い。
(……近かったなぁ……)
頬にほんのり熱を持ったまま、スグルの背中を見送った。
それにしても、あの子は何だったのだろう。一年生で召喚魔法陣が描ける者はそうはいない。
召喚魔法は、オーリッドでは二年生から本格的に学ぶ科目である。
生徒が呼び出せるのは、妖精や小型の使役獣といった比較的おとなしい存在で、それらは召喚者の命令に従うため、簡単な使い魔として働いてくれる。
日常での手伝いや、魔法実験の補助に役立つ程度であり、それで習得は十分とされている。
凶暴な魔獣やゴブリン、さらには竜といった強大な存在を呼び出し、なおかつ使役するには特別な資質が要る。黒魔法の適性を持つ者、あるいは難解な召喚魔法陣を正確に描ききれる類まれなる天才だけが、それを可能とする。
制御を誤れば召喚者に牙を剥く危険も高いため、学園でも実演されることは滅多になく、そのような才能を開花させる者も殆どいないので、学生は妖精や小動物を呼び出すだけで卒業していくのが常であった。
稀に才能のある生徒がいたとしても、その者たちは学園の規則を守り、禁止されている陣を描く事はない。
使用・研究をしたい者は、卒業後、研究都市レアジオンの専用施設に赴く事になる。
要するに、ルナナが描いた召喚陣は、一年であろうとなかろうと、この学園では描く事すら許可されていない魔法。
教わってもいないものを正確に描き切っていたのだとしたら、彼女もまた、天才と呼ばれる人種なのかもしれなかった。