プロローグ「ツインズ・クライシス」
サクラ=リリーバレーは絶句していた。
「やっほーサクラ。突然だけど、私、世界を知る旅に出ることにしたから、魔法学園はサクラが代わりに行ってね!」
双子の姉がサクラのベッドの上に無造作に置いたその手紙は、両親が本気で気絶しかけたような、とんでもない内容だった。
ツツジ=リリーバレー。
サクラの双子の姉であり、中等学校を優秀な成績で卒業し、この春からはラバンフィード一と言われる魔法学園に進学する予定であった。
それなのに突然、なんの前兆もなく、失踪した。
部屋はもぬけの殻と言ってもいい。
服も本も、ぬいぐるみまでもが綺麗になくなっており、ここに戻らないというツツジの決意を感じさせられた。
家族仲は良かった。双子らしく、サクラともいつも一緒だった。
ただ、言動的な面を鑑みれば、前々から変な姉だった。しかし、それを認めてしまうと、双子であるサクラも変わっているのではという事になりはしないか。
そういう思いから、自分の気持ちを誤魔化してきたサクラ、そして両親は、この手紙一通を残して消えたツツジの事を、とうとう「変わっている」と認めざるを得なくなった。
「リュックを出したり、スーツケースを買ったり、入寮の準備をしているのかと思っていたわ……」
「あの子は昔から自由奔放だったが、まさか、ここまでとは」
両親は、呆れたというように感情を整理しようとしているが、サクラにとっての問題はそこではない。
手紙に書かれていた、「魔法学園はサクラが代わりに行ってね!」というツツジの文言。
(冗談だよね?)
サクラはおそるおそる、呆けている両親を見た。両親は、グギギと固まった首をサクラに向けた。
「サクラ……」
「やだ!」
「サクラちゃん」
「やだやだ!」
駄々っ子のように首を横に振り回すが、両親は、ツツジの制服を手にとってサクラに合わせるようにあてがった。
「あの子よりはふくよかだけど、仕立て直しはできそうだ」
「余計な一言ぉ!」
そりゃあ、ツツジはサクラよりずいぶんとスタイルは良かったが。双子なのにと何度恨めしく思った事か。
「サクラ、あなたにとってチャンスでもあるのよ!オーリッドなんて!」
この国——ラバンフィードの一般人は、義務教育の先の進路を、能力に関わらず自由に決める事が出来る。
中等学校では、進路相談の教諭と共に、自分の夢・やりたい事を主軸に進路を決める。
十五歳になった二人は将来の選択を聞かれ、
ツツジは魔法の道に進みたいとすぐに望んだ。
サクラはやっと先日、両親の花屋を継ぎたいと、園芸高等学校への進学を考え始めたところだった。
既に学費・寮費を三年分一括で支払い、制服を仕立て、入学準備を万端に整えていた魔法学園。
決して裕福で無い両親が、それほどの金銭を用意するのは並大抵のことではなかったはずだ。
それもひとえに、オーリッド魔法学園に入学するという事が、この国の人々にとっては大変名誉な事であるからだろう。
オーリッド魔法学園は、この国に三校ある高等魔法学校の中でも飛びぬけた名門だ。
数々の偉大な魔法使いを生み出し、卒業生はこの国の発展に寄与してきた。
それだけにその門は狭く、子供たちが自由に決められる進路の中でも、入学するために試験があるのはオーリッドともう一校くらいである。
論文、魔力測定、筆記試験。
優秀なツツジは難なくこなし合格したが、サクラはそれを受けてすらいないのだ。
「待ってよ!」
制服を手にしてじりじりと迫る両親に、サクラは声を絞り出した。
「私に、ツツジちゃんのフリをしろっていうの!?」
出来るわけがない。双子とはいえ、他人になりすまして入学など、そんなことがばれたら、大問題だ。
両親は淀みない目をして言った。
「サクラとツツジをうっかり間違えて受験手続きをしたという事にして、お詫びして訂正する!」
「ウソでしょ??」
そんなことが通用するわけが——
「中等学校の入学手続きは二人の記入欄を間違えて、あとで訂正してもらった事がある!」
「親なのに!!!!!」
いやそんな、まさかそんな、中等学校とは違う。そんな事がすんなり行くわけがない。
行かないでくれ。
数日後。
《オーリッド魔法学園入学許可証
汝、サクラ=リリーバレーの入学を、ここに正式に認める。
魔法学園オーリッドの名のもとに、門戸を開く。
よって、定められし年月の学びを受けることを許可する。
※記名に誤記があったとの申し出により、修正した旨をここに申し添えます。》
すんなり行ってしまった。
サクラは、魔法が殆ど使えない。
中等学校での魔法能力素質診断も、最下位近くだった。
仮にオーリッドを受験などしていたとして、本来受かるような素質はゼロだろう。
魔法を鍛錬する学園など、行きたいと思えるわけがなかった。
「ようこそ、オーリッド魔法学園へ!」
—— 今宵、君たちを迎えるのは、由緒あるオーリッド魔法学園が誇る優秀な教師陣、そして頼もしい先輩たちだ。
ここから始まる三年間は、君たちの未来を魔法で彩る旅路となるだろう。
心を澄ませ、耳を開き、魔力を磨け。
この世界を、より良く導くために。——
入学式で、学園長の難しくもありがたきお言葉を聞いてもなお、サクラの気持ちは何一つ前向きにはならなかった。
決して裕福とは言えない実家が捻出した、三年分の学費と、寮費。
無駄にしないためにここに来たはずだが、無駄にする未来しか見えなかった。
双子の姉・ツツジは入学前でも軽く浮遊魔法が使えていたというのに、サクラは魔法を上手く使えたことがない。
(いったいどうしてこんなことに……)
ツツジの身代わり以外の何者でもない。
成績優秀、かつ魔力もあったツツジならば、きっと素晴らしい学園生活が待っていたであろう。
(ツツジちゃんはどうして、いなくなったんだろう)
思えば、昔から遠くに行きたがる姉であった。知らないもの、不思議なものが大好きだった。
冒険家気質なところがあったように思う。
サクラは真逆で、知らないものは怖いし、不思議よりは現実の美しい物を見たい。
ツツジと似ているのは、この臙脂色の瞳や顔だけかもしれない。
考えても仕方がない事である。サクラはふるんっと首を振る。重ためのピンクの髪が揺れた。
腰まで伸ばしていたふわふわのロングヘアだったが、入学の際に肩まで切り落とした。
ツツジのヘアスタイルに近くすることで、身代わりだという自意識を逃がさないためだ。
どうあっても、ここで三年間を過ごさなくてはならなくなったのだ。
本当は、園芸学園に通って、自然を学びたかった。
調合と研究で上手く花を咲かせる事が出来るようになれば、それも一種の魔法だ。
「無」から「有」を生み出す魔法は、魔法使いの中でも高度な「創造魔法」である。
限られた人間しか使うことが出来ない創造魔法だからこそ、先人たちは研究と調合を重ね、それに近い錬金術を使う事が出来るようになった。
サクラの両親も、調合で花を創り出す花屋である。
そうなりたかったし、いつか、自分の調合で幻の花を咲かせたかった。
サクラの花。
幻と言われるだけあり、絵本の中以外で見たことはない。
ツツジとサクラ、伝え聞いた古来の花の名前を、両親は双子に与えた。
いつしかサクラは、自分の名前と同じ花を見てみたいと思うようになった。
存在しないものは、調合できない。
それでも、研究次第ではなんとかなるのではないかと、サクラは素人ながら思っていたし、自分がそれを実現したかった。
「こんにちは、私、メリア=マルグリー。三年間よろしく」
寮生活は二人一部屋。
サクラと同室になったメリアは、ショートヘアにひと房の毛束を伸ばした、しっかりした感じの少女だった。
淀みのない、まっすぐな翠の瞳でサクラに右手を差し出す。
「サクラ……サクラ=リリーバレーです……」
知らない人は少し苦手で、人見知り気質が発動してしまう。
右手を差し出して肩に力を入れると、小さい頃に負った背中の古傷がシクリと痛んだ。
かくして、サクラの魔法学園での生活が幕を開けたのだった。