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炉話

夢から醒めたあとに

作者: 碧天なつめ
掲載日:2026/05/11

 ここは、どこだ……。

 薄ぼんやりと目を開け、見覚えのない天井を見つめた。


「神父さま!彼の意識が戻ったみたいです!」


 だれだ……?

 俺は声のする方へ身体を動かそうとしたが、骨の髄まで痛く身体を動かせない。


「もう大丈夫ですよ。魔物は追い払いましたからね」


 まもの……?

 一体、なにを言っているんだ……?


「パトリシア。お手数ですが、彼に温かいスープを作ってあげてくださいませんか?」

「わかりました。今、美味しいスープを作ってきますね」


 そう言って、パトリシアと呼ばれた女は部屋を出た。

 そして俺は、ゆっくりとまぶたを開いた。


「目が、覚めましたか」


 俺は、落ち着いた声のした方をゆっくりと顔だけ向けた。

 そこには老齢の神父が、椅子に座っていた。

 どこか品格がある神父は、穏やかな口調で言葉を繋いだ。


「あなたはこの教会の近く、その森の入口で倒れていました」

「もりの、いりぐち……」


 そんな所に、俺はいたのか?

 確か、俺は……。

 それに、神父達の言葉は聞き覚えのない言語なのに、俺はそれを理解できている。

 どこか、変だ……。


「ここは、どこですか……?」


 俺は呟くように訊くと、神父は穏やかな口調で応えた。


「ここはイスパニア国です。その辺境地にある、ロベールという小さな町ですよ」

「イスパニア。ロベール……」


 聞き覚えのない国と町の名前だ。いや……イスパニアだって?!

 俺は痛みを伴った身体を起こそうとした。


「いけません! 無理をしたら、身体に障りますよ!」


 強い口調で言ったのは、スープをトレイで運んできたパトリシアだった。

 そしてパトリシアは、ベッドの脇にある小さなテーブルに温かいスープを置いた。


「大きな声を出して、ごめんなさい。だけど、しばらくは安静にしていてくださいね」

「……はい」


 あれから数日が過ぎ、窓からは少し暑い陽射しが入り込んでいた。

 俺はパトリシア達の手厚い看病のおかげで、ベッドから起き上がれるようになった。

 まだ身体のあちこちに痛みは残っているけど、ただジッとしているのが辛い。


「おい! あまり無茶をするな!」

「ヨハンセンさん……」


 ベッドから起き上がり、部屋の入口まで俺はゆっくりと歩いていた。

 ちょうどその時、食事を運んできたヨハンセンに咎められてしまった。

 ヨハンセンは急いで食事をサイドテーブルに置いて、俺の身体を支えるように椅子の所へ連れて行った。


「さっきは大きな声を出してすまなかった」

「いえ、大丈夫ですよ。外はいい天気だし、ちょっと外に出たいなぁ〜って」

「そうか……。それなら食事が済んだ頃、またここに来るよ。その時、一緒に外へ出てみるか?」

「はい。お願いします」

「じゃあ、姫に許可をもらっておくよ」

「姫って?」


 俺がそう訊くと、ヨハンセンは言葉をつまらせ、慌てるように言った。


「いや、姫っていうのは……オレが勝手に、パトリシアさんのことをそう呼んでるだけで……」


 なにか隠してるっぽいなぁ。


「とにかく! しばらくしたら、また来るよ。それまでこの部屋で大人しくしてろよ」


 ヨハンセンはそう言うと、急ぐように部屋を出た。

 俺はヨハンセンが部屋を出た後、食事をしながら自分なりにこの状況を整理していた。

 ほんとにここは、俺の知らない世界なんだろうか……。

 いや、俺の知らない世界だと思うけど、イスパニアという国には憶えがある。

 確か俺が遊んでいるゲームの中に、そんな国の名前があったような……。

 まさか、ゲームの中に迷い込んだ?


「……ありえないだろ」


 もしここが本当にゲームの世界なら、俺はもう自分がいた世界に戻れないのか?

 この知らない世界で、俺は生きていかなきゃいけないんだろうか……。

 そんな不安が頭の中で横切ったけど、半分くらいこの状況を楽しんでいる自分がいるのも事実。

 そんなことを考えていると、部屋のドアがノックされ、パトリシアとヨハンセンが部屋の中へ入ってきた。


「話はヨハンから聞きました。その前に、あなたの名前を教えていただけますか?」


 そっか……まだ、名前を言っていなかったなぁ。


「俺の名前はヒューガです。ヨハンセンさんにも言った通り、良い天気なので外の空気を吸いたいなぁ〜って」

「そうですか……」


 パトリシアはしばらく考え込む仕草を見せたけど、優しい笑みを浮かべながら俺にこう言った。


「わかりました。でも、教会の近くだけにしてくださいね」

「ありがとうございます」

「外は暑いので、くれぐれも無理はしないでくださいね。ヨハン、後はお任せいたします」

「かしこまりました」


 ヨハンセンがそう応えると、パトリシアは部屋を出た。


「木陰になる所に椅子を用意してあるから、ゆっくりと行こうか」

「はい」


 俺はヨハンセンに身体を支えられながら、ゆっくりと歩きだした。


「ところで、ヒューガはいくつなんだ?」

「俺は十八になりました」

「十八?! パトリシアさんと同じ歳じゃないか」


 そうなんだ……。

 パトリシアは俺よりお姉さんだろうなって思っていたけど、違ったのか。


「ヨハンセンさんは、いくつなんですか?」

「オレは二十三だよ」

「俺よりお兄さんじゃないですか。これからは、兄貴と呼ばせてもらいますね!」

「ははははっ! ヒューガは面白い奴だなぁ。好きに呼ぶといいさ」


 ふたりでそんな話をしながら、教会近くの大きな木のそばに着いた。

 どこまでも広がる白く霞んだような空を見上げながら、俺はこの世界で生きていけそうな気がしてきた。


「ヒューガは、どこの国の生まれなんだ?」


 ヨハンセンにそう訊かれ、俺は一瞬言葉をためらった。


「俺は、遥か遠い国の生まれだよ。ここよりも、もっと賑やかな国さ」

「そうか。でもなんでまた、こんな所に?」

「それが判らないんだ。気がついたら、この教会のベッドの上だったよ」


 俺は苦笑いを浮かべながら、ヨハンセンにそう応えた。

 嘘は……言っていないよな。


「……ヒューガ。悪いことは言わない。元気に動き回れるようになったら、ここから離れて遠い所に行け」


 ヨハンセンは真剣な表情で、俺にそう言った。


「えっ? どうして、急にそんなことを?」

「行けと言うより、逃げろと言った方が正解かもな」


 逃げろ……だって?!


「今はまだ平穏そのものだが、いつ災難がやってくるか判らないからさ」


 俺はヨハンセンの言葉を黙って聞いていたけど、なぜだか怒りが沸々と湧いてきた。


「あのな……兄貴。逃げろなんてセリフは、俺が一番嫌いな言葉なんだよ!」

「ヒューガ……」

「それに災難がやってくるかもだって?! 俺にとっては、すでに災難だよ!」


 俺の強い口調に驚いたのか、ヨハンセンは言葉を失ったかのように、俺のことをジッと見ていた。


「ごめん。大きな声で怒鳴って……」

「いや、いいんだ。オレが唐突に言ったのが悪かった。ヒューガは、強いんだな」

「強がっているだけで、強くはないよ」


 俺は明るい声で、ヨハンセンにそう応えた。

 まぁ。ヨハンセンに黙っていることは、あるけどね。


「ヒューガ。たとえ何が起こっても、オレが守り抜いてみせるよ」

「ありがとう。兄貴」


 ヨハンセンに身体を支えられながら教会に戻ると、なんだか騒がしい雰囲気に包まれていた。


「判らないが、とにかく近くまで行ってみよう」


 俺はできるだけ早く歩けるようにしたけど、動くたびに身体中に痛みが走って、思うように歩けない。


「ヒューガ、急がなくてもいい」

「ごめん、兄貴。悪いけど、先に行ってくれないか?」

「そんな状態のお前を放ってはおけないだろ!」


 ヨハンセンて、いい奴だな。

 俺はヨハンセンの言葉に甘え、ゆっくりと歩きだした。

 そして教会の方へ近づいて来る俺達に気づいて、パトリシアがこちらの方へ駆け寄ってきた。


「ヨハン、大変なの! 父上から、早く屋敷に帰るようにと……」

「王弟殿下がですか?」

「そうなの。今も使者を待たせています。でも私、帰りたくありません!」


 気丈にもそう言っていたけど、パトリシアは今にも泣きだしそうだった。


「ですがパトリシアさま。王弟殿下の命に従わらなければ、国を追放されかねません」

「……ヨハン」

「あのさ。事情はまったく判らないけど、帰って来いってくらいだから、とても大事な話があるのかも知れないよ?」


 あれ……?

 俺、なんか変なことを言ったかな?

 パトリシアは俺の話を聞きながら、さっきまで堪えていた涙がポロポロと流れ落ちていた。


「そうです。ヒューガの言葉通り、一度屋敷に帰りましょう」

「……でも……」

「パトリシアさま、このヨハンセンもお供いたします。すぐに支度を整えましょう」


 部屋まで送ると言うヨハンセンの厚意を断り、俺はゆっくりと壁伝いに部屋へと向かった。

 そして部屋に入り、椅子に座ると窓の外をぼんやり眺めていた。

 それにしても驚きだ。

 あのパトリシアが、王弟の娘だったなんて。

 いや……ヨハンセンが思わず、パトリシアのことを姫と呼んだ辺りから、なんとなくそう思っていた。

 そんな物思いにふけっていた時、ドアをノックする音が聞こえ、部屋の中にパトリシアとその後ろに続くように、ヨハンセンが入ってきた。

 パトリシアは淡い水色のドレスを着て、ヨハンセンは鋼の胸当てを付けて腰ベルトに剣を差していた。


「もう出発するんだろ?」

「……はい。屋敷に帰ったら、父上にお願いしようと思います」

「お願いって?」


 パトリシアは少し涙声で、まるで訴えるように言った。


「私を政治の道具にしないで!って……」

「……パトリシアさま」

「私はそれが嫌で、十五の時このロベールに来たのです」


 そっか……。

 誰だって、政治目的に利用されたくないよな。


「がんばって来いよ!」


 パトリシアがまたこのロベールに来る頃には、俺はここを離れているだろうけど。


「はい!それでは、行って来ます!」


 パトリシアは元気な声で応えると、部屋を出た。


「ヒューガ」

「どうしたの、兄貴」

「ありがとう。また、どこかで会おうな!」


 ヨハンセンはそう言うと、パトリシアの後を追うように部屋を出た。

 なんだか、動き疲れたなぁ。

 俺はゆっくりと椅子から立ち上がって、ベッドの方へ歩いた。

 そしてベッドの中に入るなり、そのまま眠りについた。

 そして翌朝、目を覚ますと白い天井が俺の視界に入り込んだ。


「目が覚められましたね。僕が見えますか?」

「……はい。あの、ここは?」

「ここは病院ですよ。僕は義宮と申します。あなたを担当する看護師です」


 ……よしみや。どこかで、聞き覚えのある名前だな。


「すぐに、先生とご家族の方に連絡しますね」


 そして看護師は、急ぐように病室を出た。

 俺、なんで病院なんかにいるんだ?

 確か俺は、教会にいた……よな? 

 一体、どうなってるんだ?

 ずっと、夢でも見ていたのか?

 俺が今の状況を把握できないでいると、病室に白衣を着た医師とさっきの看護師が病室に入ってきた。


「日向くん、具合いはどうですか?」

「具合いは、良くも悪くもないです。それよりも先生、俺はなぜ病院にいるんですか?」


 医師は俺と目を合わせると、落ち着いた声で話し始めた。


「日向くんは強引にナンパされている女性を助けるため、その女性を逃がした。そしてその女性が助けを呼んで駆けつけた時は、すでに日向くんは瀕死状態に近かったようだ」


 俺が、女性を助けた? それも瀕死状態だったなんて……。

 ダメだ、まったく記憶にない。


「先生。俺、全然そのことを憶えていないんですけど」

「そうか……。脳に異常はなかったけど、なんらかのショックで記憶が抜け落ちたみたいだね」


 記憶が、抜け落ちた……。


「もうじき、日向くんのご家族も見える頃だろう」

「先生。俺は一体」


 俺の不安そうな声を聞いた医師は、明るく優しい声で応えた。


「心配はいらないよ。恐らく一過性のもので、少しずつ思いだしていくさ」


 あれは、夢だったのか?

 夢にしては痛みも感じたし、人の心の温もりも感じでいた。

 ……そっか。俺がゲームの世界だと思っていたのは、夢だったのか。

 それにしても、リアルだったなぁ。


「智っ!」

「父さん。そんなに大きな声を出さなくても、ちゃんと聞こえているよ。それよりも仕事は?」

「仕事は有給を貰っている。重体のお前を放ってはおけないからな」


 普段なら、仕事を優先にするのに。


「智にもしものことがあったら、死んだ母さんに祟られてしまう」

「はははっ! 父さんは本当、母さんに弱かったもんね」

「まぁな。それにしてもこの二週間、生きた心地はしなかったよ」


 二週間?

 俺は、そんなに寝ていたのか……。

 その間、俺はリアルっぽい夢の中を彷徨っていたんだな……。


「あ、そうだ。あかりちゃんも一緒に来てくれたよ」

「そうなんだ。それで、そのハルは?」


 あかりとは、春野あかりと言って同じ宿舎に住んでいる幼なじみの女の子。

 俺は、彼女のことをハルと呼んでいるけどね。


「義宮さんと、なにやら話をしていたよ」


 ハルの奴、義宮さんとなんの話をしているんだ?

 あっ! 思いだした。

 義宮さんは、ハルの従兄だ!

 看護師をしているって、だいぶ前に聞いたことがある。


「さてと。父さんは先生と話があるから、もう行くよ」

「うん、わかった。ありがとう」


 父さんが病室を出たのと入れ違いに、今度は幼なじみのハルが病室に入ってきた。


「ようやく、お目覚めですか? お姫さま」

「誰が姫だ! 俺は、正真正銘の男だ!」

「あはははっ! 知っているわよ。冗談に決まっているでしょ?」


 いや……だから、真顔で冗談は言うなって。

 まぁ、それでハルの気が済むのならいいか。

 どれくらいの時間が流れたのか、ハルは椅子に座ったまま黙り込んでいた。

 こういう時のハルは、なにから話そうかと考えているんだろうな。

 こんな沈黙は嫌ではないけど、その沈黙を破るように俺からハルに声をかけた。


「ハル……いや、あかり。俺には、記憶が部分的に抜け落ちているんだ」

「うん。お兄ちゃんから聞いて、知っているよ。でも、そんなことはどうでもいいの。智が生きていれば」

「あかり……。ありがとう」


 俺がそう言った後、あかりは目からポロポロと涙を流して、泣きだしてしまった。

 えっ……?

 俺、なんか悪いことを言ったか?


「あかり、そんなに泣くなよ。他の患者さん達が気にするじゃないか」

「う……うん。ごめんなさい、智。でもねアタシ、智が目を覚ましたらひと言、言ってやりたいと思っていたの!」

「言いたいことってなに?」


 あかりはハンカチで涙を拭うと、ちょっと怒ったような声で言った。


「智! あんた、武術を習っているのに、なんで抵抗しなかったの!? 抵抗していれば、こんな状態にならなかったでしょ!?」


 ご尤もなお言葉です。


「でもさ。俺が抵抗したら、相手が大怪我を負うことになる。それじゃあ、ダメなんだ」

「なんで?!」

「正当防衛が成り立つ可能性があるとも限らない、だろ? 智」

「父さん、いつからいたの?!」

「話の途中からだよ」

「そうなんですか? おじさん」


 あかりの言葉に、父さんは黙って頷いた。


「まぁ。彼らはすでに捕まったし、なんの心配もいらないよ」

「さすが! 警察官は仕事が早いねぇ」

「そんなところ、死んだ母さんにそっくりだ。あ、そうそう。お前の退院は明後日になったぞ」


 退院してから、しばらく経った日のこと。

 俺は自分の部屋で、探しものをしていた。

 それは俺が中学卒業した頃、親から貰ったお小遣いから少しずつ貯めて買った初めてのゲームソフトで、ファンタジー・ドリームというロールプレイングゲームだ。


「変だなぁ。確か、この箱に入れたはずなんだけど……」


 あっ、そうだ! だいぶ前、あかりに貸したままだった!

 俺は早速、あかりの携帯にかけた。


「どうしたの? 智」

「俺があかりに貸したゲーム、どうした?」

「あれなら今、弟が遊んでいるよ」

「そっか。それならいいよ。終わったら、ちゃんと返してね」


 俺はそれだけ言って、携帯を切った。

 いや、本当は今すぐにでも返してほしかったけどね。

 あかりの弟が遊んでいるなら、仕方がない。

 俺の記憶違いじゃなかったら、俺はあのゲームの夢を見たと思う。

 あのゲームは選択肢次第で、ハッピーエンドにもバッドエンドにもなるゲームなんだ。

 最初の頃はどんな選択肢を選んでも、主人公の騎士は死んでしまって悔しい思いをしたっけ。

 そして何度も挑戦して、ようやく主人公の騎士を死なせずにハッピーエンドで終わったんだ。

 あの時の達成感は格別なもので、癌で死んだ母さんの仏壇に報告したくらいだ。

 その母さんが死んでから、九年が経ったのか……。

 俺は自分の部屋を出て、居間で新聞を見ている父さんに声をかけた。


「父さん。今から母さんの墓参りに行こうよ」

「それはいいが、身体の方は大丈夫か?」

「大丈夫だよ。痛みもだいぶなくなったから」

「わかった。じゃあ、母さんの墓参りに行こうか」

「うん。俺は先に出ているよ」


 俺はそう言って、居間を出た。

 たぶんあの夢は、母さんが俺に生きろっていうメッセージだったのかもしれない。

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