夢から醒めたあとに
ここは、どこだ……。
薄ぼんやりと目を開け、見覚えのない天井を見つめた。
「神父さま!彼の意識が戻ったみたいです!」
だれだ……?
俺は声のする方へ身体を動かそうとしたが、骨の髄まで痛く身体を動かせない。
「もう大丈夫ですよ。魔物は追い払いましたからね」
まもの……?
一体、なにを言っているんだ……?
「パトリシア。お手数ですが、彼に温かいスープを作ってあげてくださいませんか?」
「わかりました。今、美味しいスープを作ってきますね」
そう言って、パトリシアと呼ばれた女は部屋を出た。
そして俺は、ゆっくりとまぶたを開いた。
「目が、覚めましたか」
俺は、落ち着いた声のした方をゆっくりと顔だけ向けた。
そこには老齢の神父が、椅子に座っていた。
どこか品格がある神父は、穏やかな口調で言葉を繋いだ。
「あなたはこの教会の近く、その森の入口で倒れていました」
「もりの、いりぐち……」
そんな所に、俺はいたのか?
確か、俺は……。
それに、神父達の言葉は聞き覚えのない言語なのに、俺はそれを理解できている。
どこか、変だ……。
「ここは、どこですか……?」
俺は呟くように訊くと、神父は穏やかな口調で応えた。
「ここはイスパニア国です。その辺境地にある、ロベールという小さな町ですよ」
「イスパニア。ロベール……」
聞き覚えのない国と町の名前だ。いや……イスパニアだって?!
俺は痛みを伴った身体を起こそうとした。
「いけません! 無理をしたら、身体に障りますよ!」
強い口調で言ったのは、スープをトレイで運んできたパトリシアだった。
そしてパトリシアは、ベッドの脇にある小さなテーブルに温かいスープを置いた。
「大きな声を出して、ごめんなさい。だけど、しばらくは安静にしていてくださいね」
「……はい」
あれから数日が過ぎ、窓からは少し暑い陽射しが入り込んでいた。
俺はパトリシア達の手厚い看病のおかげで、ベッドから起き上がれるようになった。
まだ身体のあちこちに痛みは残っているけど、ただジッとしているのが辛い。
「おい! あまり無茶をするな!」
「ヨハンセンさん……」
ベッドから起き上がり、部屋の入口まで俺はゆっくりと歩いていた。
ちょうどその時、食事を運んできたヨハンセンに咎められてしまった。
ヨハンセンは急いで食事をサイドテーブルに置いて、俺の身体を支えるように椅子の所へ連れて行った。
「さっきは大きな声を出してすまなかった」
「いえ、大丈夫ですよ。外はいい天気だし、ちょっと外に出たいなぁ〜って」
「そうか……。それなら食事が済んだ頃、またここに来るよ。その時、一緒に外へ出てみるか?」
「はい。お願いします」
「じゃあ、姫に許可をもらっておくよ」
「姫って?」
俺がそう訊くと、ヨハンセンは言葉をつまらせ、慌てるように言った。
「いや、姫っていうのは……オレが勝手に、パトリシアさんのことをそう呼んでるだけで……」
なにか隠してるっぽいなぁ。
「とにかく! しばらくしたら、また来るよ。それまでこの部屋で大人しくしてろよ」
ヨハンセンはそう言うと、急ぐように部屋を出た。
俺はヨハンセンが部屋を出た後、食事をしながら自分なりにこの状況を整理していた。
ほんとにここは、俺の知らない世界なんだろうか……。
いや、俺の知らない世界だと思うけど、イスパニアという国には憶えがある。
確か俺が遊んでいるゲームの中に、そんな国の名前があったような……。
まさか、ゲームの中に迷い込んだ?
「……ありえないだろ」
もしここが本当にゲームの世界なら、俺はもう自分がいた世界に戻れないのか?
この知らない世界で、俺は生きていかなきゃいけないんだろうか……。
そんな不安が頭の中で横切ったけど、半分くらいこの状況を楽しんでいる自分がいるのも事実。
そんなことを考えていると、部屋のドアがノックされ、パトリシアとヨハンセンが部屋の中へ入ってきた。
「話はヨハンから聞きました。その前に、あなたの名前を教えていただけますか?」
そっか……まだ、名前を言っていなかったなぁ。
「俺の名前はヒューガです。ヨハンセンさんにも言った通り、良い天気なので外の空気を吸いたいなぁ〜って」
「そうですか……」
パトリシアはしばらく考え込む仕草を見せたけど、優しい笑みを浮かべながら俺にこう言った。
「わかりました。でも、教会の近くだけにしてくださいね」
「ありがとうございます」
「外は暑いので、くれぐれも無理はしないでくださいね。ヨハン、後はお任せいたします」
「かしこまりました」
ヨハンセンがそう応えると、パトリシアは部屋を出た。
「木陰になる所に椅子を用意してあるから、ゆっくりと行こうか」
「はい」
俺はヨハンセンに身体を支えられながら、ゆっくりと歩きだした。
「ところで、ヒューガはいくつなんだ?」
「俺は十八になりました」
「十八?! パトリシアさんと同じ歳じゃないか」
そうなんだ……。
パトリシアは俺よりお姉さんだろうなって思っていたけど、違ったのか。
「ヨハンセンさんは、いくつなんですか?」
「オレは二十三だよ」
「俺よりお兄さんじゃないですか。これからは、兄貴と呼ばせてもらいますね!」
「ははははっ! ヒューガは面白い奴だなぁ。好きに呼ぶといいさ」
ふたりでそんな話をしながら、教会近くの大きな木のそばに着いた。
どこまでも広がる白く霞んだような空を見上げながら、俺はこの世界で生きていけそうな気がしてきた。
「ヒューガは、どこの国の生まれなんだ?」
ヨハンセンにそう訊かれ、俺は一瞬言葉をためらった。
「俺は、遥か遠い国の生まれだよ。ここよりも、もっと賑やかな国さ」
「そうか。でもなんでまた、こんな所に?」
「それが判らないんだ。気がついたら、この教会のベッドの上だったよ」
俺は苦笑いを浮かべながら、ヨハンセンにそう応えた。
嘘は……言っていないよな。
「……ヒューガ。悪いことは言わない。元気に動き回れるようになったら、ここから離れて遠い所に行け」
ヨハンセンは真剣な表情で、俺にそう言った。
「えっ? どうして、急にそんなことを?」
「行けと言うより、逃げろと言った方が正解かもな」
逃げろ……だって?!
「今はまだ平穏そのものだが、いつ災難がやってくるか判らないからさ」
俺はヨハンセンの言葉を黙って聞いていたけど、なぜだか怒りが沸々と湧いてきた。
「あのな……兄貴。逃げろなんてセリフは、俺が一番嫌いな言葉なんだよ!」
「ヒューガ……」
「それに災難がやってくるかもだって?! 俺にとっては、すでに災難だよ!」
俺の強い口調に驚いたのか、ヨハンセンは言葉を失ったかのように、俺のことをジッと見ていた。
「ごめん。大きな声で怒鳴って……」
「いや、いいんだ。オレが唐突に言ったのが悪かった。ヒューガは、強いんだな」
「強がっているだけで、強くはないよ」
俺は明るい声で、ヨハンセンにそう応えた。
まぁ。ヨハンセンに黙っていることは、あるけどね。
「ヒューガ。たとえ何が起こっても、オレが守り抜いてみせるよ」
「ありがとう。兄貴」
ヨハンセンに身体を支えられながら教会に戻ると、なんだか騒がしい雰囲気に包まれていた。
「判らないが、とにかく近くまで行ってみよう」
俺はできるだけ早く歩けるようにしたけど、動くたびに身体中に痛みが走って、思うように歩けない。
「ヒューガ、急がなくてもいい」
「ごめん、兄貴。悪いけど、先に行ってくれないか?」
「そんな状態のお前を放ってはおけないだろ!」
ヨハンセンて、いい奴だな。
俺はヨハンセンの言葉に甘え、ゆっくりと歩きだした。
そして教会の方へ近づいて来る俺達に気づいて、パトリシアがこちらの方へ駆け寄ってきた。
「ヨハン、大変なの! 父上から、早く屋敷に帰るようにと……」
「王弟殿下がですか?」
「そうなの。今も使者を待たせています。でも私、帰りたくありません!」
気丈にもそう言っていたけど、パトリシアは今にも泣きだしそうだった。
「ですがパトリシアさま。王弟殿下の命に従わらなければ、国を追放されかねません」
「……ヨハン」
「あのさ。事情はまったく判らないけど、帰って来いってくらいだから、とても大事な話があるのかも知れないよ?」
あれ……?
俺、なんか変なことを言ったかな?
パトリシアは俺の話を聞きながら、さっきまで堪えていた涙がポロポロと流れ落ちていた。
「そうです。ヒューガの言葉通り、一度屋敷に帰りましょう」
「……でも……」
「パトリシアさま、このヨハンセンもお供いたします。すぐに支度を整えましょう」
部屋まで送ると言うヨハンセンの厚意を断り、俺はゆっくりと壁伝いに部屋へと向かった。
そして部屋に入り、椅子に座ると窓の外をぼんやり眺めていた。
それにしても驚きだ。
あのパトリシアが、王弟の娘だったなんて。
いや……ヨハンセンが思わず、パトリシアのことを姫と呼んだ辺りから、なんとなくそう思っていた。
そんな物思いにふけっていた時、ドアをノックする音が聞こえ、部屋の中にパトリシアとその後ろに続くように、ヨハンセンが入ってきた。
パトリシアは淡い水色のドレスを着て、ヨハンセンは鋼の胸当てを付けて腰ベルトに剣を差していた。
「もう出発するんだろ?」
「……はい。屋敷に帰ったら、父上にお願いしようと思います」
「お願いって?」
パトリシアは少し涙声で、まるで訴えるように言った。
「私を政治の道具にしないで!って……」
「……パトリシアさま」
「私はそれが嫌で、十五の時このロベールに来たのです」
そっか……。
誰だって、政治目的に利用されたくないよな。
「がんばって来いよ!」
パトリシアがまたこのロベールに来る頃には、俺はここを離れているだろうけど。
「はい!それでは、行って来ます!」
パトリシアは元気な声で応えると、部屋を出た。
「ヒューガ」
「どうしたの、兄貴」
「ありがとう。また、どこかで会おうな!」
ヨハンセンはそう言うと、パトリシアの後を追うように部屋を出た。
なんだか、動き疲れたなぁ。
俺はゆっくりと椅子から立ち上がって、ベッドの方へ歩いた。
そしてベッドの中に入るなり、そのまま眠りについた。
そして翌朝、目を覚ますと白い天井が俺の視界に入り込んだ。
「目が覚められましたね。僕が見えますか?」
「……はい。あの、ここは?」
「ここは病院ですよ。僕は義宮と申します。あなたを担当する看護師です」
……よしみや。どこかで、聞き覚えのある名前だな。
「すぐに、先生とご家族の方に連絡しますね」
そして看護師は、急ぐように病室を出た。
俺、なんで病院なんかにいるんだ?
確か俺は、教会にいた……よな?
一体、どうなってるんだ?
ずっと、夢でも見ていたのか?
俺が今の状況を把握できないでいると、病室に白衣を着た医師とさっきの看護師が病室に入ってきた。
「日向くん、具合いはどうですか?」
「具合いは、良くも悪くもないです。それよりも先生、俺はなぜ病院にいるんですか?」
医師は俺と目を合わせると、落ち着いた声で話し始めた。
「日向くんは強引にナンパされている女性を助けるため、その女性を逃がした。そしてその女性が助けを呼んで駆けつけた時は、すでに日向くんは瀕死状態に近かったようだ」
俺が、女性を助けた? それも瀕死状態だったなんて……。
ダメだ、まったく記憶にない。
「先生。俺、全然そのことを憶えていないんですけど」
「そうか……。脳に異常はなかったけど、なんらかのショックで記憶が抜け落ちたみたいだね」
記憶が、抜け落ちた……。
「もうじき、日向くんのご家族も見える頃だろう」
「先生。俺は一体」
俺の不安そうな声を聞いた医師は、明るく優しい声で応えた。
「心配はいらないよ。恐らく一過性のもので、少しずつ思いだしていくさ」
あれは、夢だったのか?
夢にしては痛みも感じたし、人の心の温もりも感じでいた。
……そっか。俺がゲームの世界だと思っていたのは、夢だったのか。
それにしても、リアルだったなぁ。
「智っ!」
「父さん。そんなに大きな声を出さなくても、ちゃんと聞こえているよ。それよりも仕事は?」
「仕事は有給を貰っている。重体のお前を放ってはおけないからな」
普段なら、仕事を優先にするのに。
「智にもしものことがあったら、死んだ母さんに祟られてしまう」
「はははっ! 父さんは本当、母さんに弱かったもんね」
「まぁな。それにしてもこの二週間、生きた心地はしなかったよ」
二週間?
俺は、そんなに寝ていたのか……。
その間、俺はリアルっぽい夢の中を彷徨っていたんだな……。
「あ、そうだ。あかりちゃんも一緒に来てくれたよ」
「そうなんだ。それで、そのハルは?」
あかりとは、春野あかりと言って同じ宿舎に住んでいる幼なじみの女の子。
俺は、彼女のことをハルと呼んでいるけどね。
「義宮さんと、なにやら話をしていたよ」
ハルの奴、義宮さんとなんの話をしているんだ?
あっ! 思いだした。
義宮さんは、ハルの従兄だ!
看護師をしているって、だいぶ前に聞いたことがある。
「さてと。父さんは先生と話があるから、もう行くよ」
「うん、わかった。ありがとう」
父さんが病室を出たのと入れ違いに、今度は幼なじみのハルが病室に入ってきた。
「ようやく、お目覚めですか? お姫さま」
「誰が姫だ! 俺は、正真正銘の男だ!」
「あはははっ! 知っているわよ。冗談に決まっているでしょ?」
いや……だから、真顔で冗談は言うなって。
まぁ、それでハルの気が済むのならいいか。
どれくらいの時間が流れたのか、ハルは椅子に座ったまま黙り込んでいた。
こういう時のハルは、なにから話そうかと考えているんだろうな。
こんな沈黙は嫌ではないけど、その沈黙を破るように俺からハルに声をかけた。
「ハル……いや、あかり。俺には、記憶が部分的に抜け落ちているんだ」
「うん。お兄ちゃんから聞いて、知っているよ。でも、そんなことはどうでもいいの。智が生きていれば」
「あかり……。ありがとう」
俺がそう言った後、あかりは目からポロポロと涙を流して、泣きだしてしまった。
えっ……?
俺、なんか悪いことを言ったか?
「あかり、そんなに泣くなよ。他の患者さん達が気にするじゃないか」
「う……うん。ごめんなさい、智。でもねアタシ、智が目を覚ましたらひと言、言ってやりたいと思っていたの!」
「言いたいことってなに?」
あかりはハンカチで涙を拭うと、ちょっと怒ったような声で言った。
「智! あんた、武術を習っているのに、なんで抵抗しなかったの!? 抵抗していれば、こんな状態にならなかったでしょ!?」
ご尤もなお言葉です。
「でもさ。俺が抵抗したら、相手が大怪我を負うことになる。それじゃあ、ダメなんだ」
「なんで?!」
「正当防衛が成り立つ可能性があるとも限らない、だろ? 智」
「父さん、いつからいたの?!」
「話の途中からだよ」
「そうなんですか? おじさん」
あかりの言葉に、父さんは黙って頷いた。
「まぁ。彼らはすでに捕まったし、なんの心配もいらないよ」
「さすが! 警察官は仕事が早いねぇ」
「そんなところ、死んだ母さんにそっくりだ。あ、そうそう。お前の退院は明後日になったぞ」
退院してから、しばらく経った日のこと。
俺は自分の部屋で、探しものをしていた。
それは俺が中学卒業した頃、親から貰ったお小遣いから少しずつ貯めて買った初めてのゲームソフトで、ファンタジー・ドリームというロールプレイングゲームだ。
「変だなぁ。確か、この箱に入れたはずなんだけど……」
あっ、そうだ! だいぶ前、あかりに貸したままだった!
俺は早速、あかりの携帯にかけた。
「どうしたの? 智」
「俺があかりに貸したゲーム、どうした?」
「あれなら今、弟が遊んでいるよ」
「そっか。それならいいよ。終わったら、ちゃんと返してね」
俺はそれだけ言って、携帯を切った。
いや、本当は今すぐにでも返してほしかったけどね。
あかりの弟が遊んでいるなら、仕方がない。
俺の記憶違いじゃなかったら、俺はあのゲームの夢を見たと思う。
あのゲームは選択肢次第で、ハッピーエンドにもバッドエンドにもなるゲームなんだ。
最初の頃はどんな選択肢を選んでも、主人公の騎士は死んでしまって悔しい思いをしたっけ。
そして何度も挑戦して、ようやく主人公の騎士を死なせずにハッピーエンドで終わったんだ。
あの時の達成感は格別なもので、癌で死んだ母さんの仏壇に報告したくらいだ。
その母さんが死んでから、九年が経ったのか……。
俺は自分の部屋を出て、居間で新聞を見ている父さんに声をかけた。
「父さん。今から母さんの墓参りに行こうよ」
「それはいいが、身体の方は大丈夫か?」
「大丈夫だよ。痛みもだいぶなくなったから」
「わかった。じゃあ、母さんの墓参りに行こうか」
「うん。俺は先に出ているよ」
俺はそう言って、居間を出た。
たぶんあの夢は、母さんが俺に生きろっていうメッセージだったのかもしれない。




