偽りの軍服
セジットは、実に七年ぶりに、太陽の光で普通に目が覚めた。
と言っても、彼女の体感ではそれは一日か二日前でしかないのだけれど。
まだ少し冷たい朝の空気の中で、屋敷の前では帝国の軍楽隊が行進していた。軽やかな吹奏とともに、神殿騎士と神官たちが、整然と足並みを揃えている。
セジットは、窓からその様子を見下ろしていた。
「賑やかね。何か行事でもあるのかしら」
「“貴女”の復活を祝っているに決まってるだろう」
背後からいきなり声をかけられ、セジットは思わず窓から転落するところだった。
いつの間にかリュノが、仏頂面で背後に立っていた。
入ってきたなら一声ぐらいかけてほしい。そう抗議したかったが、昨夜のこともあり、しかもそのあと朝までぐっすり寝てしまったのだから、強くも言えない。
彼が本当に帰りを待ちわびている聖女のために用意されたであろう、この寝室でだ。
「――七年ぶりに、帝国の聖女が石の眠りから目を覚ました。その奇跡を祝して、急ぎ祭礼が執り行われる予定だ」
淡々とした口調で、リュノは続ける。
「もちろん、貴女には出席してもらう。聖女の代役としてな」
「……っ!?」
確かにそれは、昨日言われ、セジットも受け入れたはずのことだった。しかし、あまりにも突然すぎる。
「む、無理よ! 打ち合わせも練習もせずに、そんな……」
「だからこそ、だ。付け焼刃の練習をしたところですぐに身に着くものでもあるまい。日が空けば空くほど怪しまれる。今なら少しぐらい様子がおかしくても、石化が解けたばかりということで言い訳が効く。その後はしばらく、まだ体調が優れないと言って引きこもっていればいい」
「……頭が回るのね。帝国らしいやり方だわ」
「貴女のためにやっているつもりなんだがな」
そのとき、扉がノックされ、アンナが入ってきた。
「おはようございます、聖女様っ。今日はこちらのお召し物を」
アンナが腕に抱えているのは、光を受けて鈍く輝く、白銀の軍装だった。
帝国製の軍服でありながら、胸元や袖には聖紋が刺繍され、腰には聖なるレリーフをかたどった金属板が取り付けられている。まさしく“聖女専用”として仕立てられた礼装だった。
「……これを、わたしが?」
「はいっ! 七年前にお召しになっていらしたものと、そっくり同じもののはずです。わたしも、個人的にそのお姿を直に見られるのが、すごく楽しみでっ!」
セジットはその軍服を受け取り、しばらく黙って見つめた。
(こんな格好をしなきゃいけないなんて)
そう思いながらも、手触りは滑らかで、布地は重みのある高級品だった。
魔女として森にいた頃は、簡素な黒衣一枚で過ごしていた。顔を合わせる相手と言えば弟子の少年エイルだけで、身なりなど気にする必要もなかったからだ。
けれど今は、着飾らなければならない。
帝国の“聖女”という、作り物の象徴として。
リュノが咳払いをひとつして退室すると、アンナが期待に満ちた瞳でセジットを見つめる。
「……まだ手足がうまく動かせないみたい」
戸惑っていることを悟られまいと、そんな言い訳をしながら、セジットは着慣れない衣装に袖を通していった。
冷たく硬い金属のボタンを指先で留めて、全ての身支度を終えて鏡の前に立ったセジットは、自分の姿に言葉を失った。
身体にぴったりと合った軍服は、どこか戦場に赴くような緊張感を与えながらも、聖女としての神々しさをまとわせるよう意図されていた。白を基調に銀と青が差し込まれ、立ち襟のラインが凛々しさを演出している。
「……誰、これ」
鏡に映るのは、魔女ではなかった。
あの夜、月光の下で向かい合った“帝国の聖女”の姿。
奇しくも戦いの中で髪を切られたことで、鏡に映るセジットは記憶の中のその姿と、思った以上によく似通っていた。
鏡越しに、アンナがキラキラした瞳で正装したセジットを眺めているのが見えた。
(取り違えられたのって、そういうこと……?)
あらためて鏡の中の自分に目を向ける。
もちろん、外見がいくら似ていても聖女そのものではない。
ただ、帝国のために作られた“虚像”だ。
セジットは、胸元の紋章にそっと指をあてた。
そこには、七年前、自分が敵として戦った帝国の紋が、堂々と刻まれていた。
* * *
やがて支度を終えた頃、扉の向こうからノックの音がした。
「入っていいか」
リュノの声だった。
「……どうぞ」
セジットが答えると、重厚な扉が音を立てて開く。
その瞬間、リュノの足が、微かに止まった。
――そこにいたのは、白銀の軍装に身を包んだ“聖女”。
その姿を見た瞬間、リュノは思わず、小さく声を漏らした。
「……ヒルデ、様……」
一方のセジットも困惑していた。
てっきりまた、冷淡な口調で嫌味を言われるかと思っていた。
今までセジットは、こんなに身体のラインに沿った衣服を身に着けたことはなく、それを若い異性に見せた経験もない。
まして、こんなに熱っぽく真剣な眼差しで見つめられたことなど……。
「あっ、そうだ」時間が停まったかのようなふたりの横を、アンナが駆け抜けていく。「ブーツも取ってきますね!」
アンナが扉を閉めて出ていくと、部屋にはセジットとリュノの二人だけが残された。
「……似合わないわよね、わたしなんかにこんな立派な軍服なんて。なんだか胸のところもキツいし」
「い、いや。――そんなことはない」
リュノは、かすれた声でそう言った。
「や、やっぱり、わたしもアンナのところに……」
空気に耐えられなくなって、セジットは逃げ出そうとした。
しかし、手足がまだうまく動かせないというのは、方便だけではなかったようだ。足がもつれ、バランスを崩し――セジットは、リュノの胸に倒れこんだ。
反射的に受け止めようとしたリュノの手が、セジットの肩に触れる。
リュノの懐に顔を埋める形になったセジット。細身に見えたリュノだが、法衣の下の身体には、固く引き締まった筋肉があった。
「ご、ごめんなさ――」
頬がカッと熱くなるのを感じながら、セジットはリュノの顔を見上げた。
あの夜、彼女が目にした聖女の従者は、10代前半の少年だった。それから七年。今ここにいるのはセジットよりも少しばかり“年上”となった男性だ。
「リュノ……?」
先ほどから無言のままのリュノ。彼の名前がセジットの唇からこぼれたとき、それを塞ぐかのようにリュノの唇が押し当てられた。
あくまで軽く、しかし確かに、体温が感じられるぐらいに。
(……!?)
セジットは反射的に目をつぶっていた。真っ暗になった視界の中で、情報が頭のまわりをぐるぐる回る。
(これは、キス……? キスって、こんな感触が……。でもどうして、リュノがわたしに……?)
混乱する思考の中で、セジットは目を閉じたまま、ともかく身体を離そうとした。
ぽつり、と、彼女の頬に温かな水滴が当たった。
それが涙だと気付いたとき、セジットは再び動けなくなった。




