石の眠りから目覚めて (3)
セジットは決意とともに顔を上げ、リュノの顔をまっすぐに見つめた。
「……わたしは、どうすればいいの」
セジットが問うと、リュノは淡々と答えた。
「当面は、俺と共にこの街の領主の館で生活してもらう。今は帝国軍の管理下にあるが、そこがお前の――いや、貴女の居所になる」
もともとの領主にも良い思い出はなかったが、セジットは少し複雑な気分になった。
彼は、帝国の侵攻で殺されてしまったのだろうか。
車窓から覗いた街並みに、彼女はさらに愕然とした。
七年前に知っていたユレシアの面影は、ほとんど残っていなかった。
通りは整備され、帝国の法に則った看板が並び、かつて自由に点在しいた露店たちは姿を消していた。
子どもたちは整列し、教会の言葉を朗読しながら歩いている。
(本当に、七年の間に……)
セジットの知らない世界が、静かに広がっていた。
* * *
館に到着すると、セジットは広間を抜け、階段を上がり、ひときわ日当たりのよい部屋へと案内された。かつての領主、その妻の私室だった場所だろう。
「ここが“聖女様”の居室になります」
案内の声とともに、部屋の扉が開けられた。
そこには既に誰かが待っていた。
「聖女様っ! 本当にご無事だったんですねっ!」
ぱっと飛び出してきたのは、淡い栗色の髪を三つ編みにした、小柄な少女だった。花のような笑顔で、両手を胸の前でぎゅっと握っている。
「えっ……?」
「わたし、アンナって言います! 聖女様のお世話をするようにって、リュノ様に言われて……ほんとにほんとに光栄です!」
「え、ええ……よろしく……?」
セジットは戸惑いながらも、少女のまっすぐな瞳を見て、少しだけ安堵した。少女には、何の打算もない。
純粋に「聖女」としての自分を信じてくれているのだ。
それが、むしろ心に痛い。
(私は、本物じゃないのに……)
アンナは、目をきらきらと輝かせながら、寝具や衣服の場所を丁寧に教えてくれた。食事の時間、礼拝の手順、戸棚の中の薬草――何から何まで「聖女としての生活」に必要なことが、すでに整えられている。
まるで、自分が目覚める日を、すべて見越していたかのように。
「夕方には沐浴の準備をいたしますので……あと、夜の祈りの時間は、またリュノ様から直接ご説明があると思います」
「……そう、ありがとう。アンナ」
少女の明るい笑顔に、セジットもようやく口元をゆるめた。
* * *
夜になり、アンナが屋敷から引き上げた後、部屋はしんと静まり返った。
ふかふかの寝台、温かな蝋燭の灯り、白銀で縁取られた鏡。
何もかもが、整いすぎていた。
だからこそ、居心地が悪い。
ベッドに身体を横たえても、目は冴えたままだった。
薬湯の香りが残る寝具に包まれても、心は休まらなかった。
(……また、あのときのように眠ったまま……)
不安が、喉の奥に棘のようにひっかかっていた。
魔女だった頃、セジットにとって眠りは回復の手段であり、魔力を養う儀式でもあった。
だが、あの石化の七年が、彼女の“眠ること”への感覚を決定的に変えてしまった。
眠りは、戻らないもの。
次に目を覚ましたとき、すべてが失われているかもしれない。
そんな恐怖が、彼女の心を締めつける。
(……エイル……)
夢を願うように名前を呼ぶ。
あの子が、どこかで生きていると信じていた。
七年前、最後の夜。
戦火が迫る森の中で、セジットは彼を森の外れに逃がした。
それは本当に正しかったのだろうか。
帝国に見つかる危険を追ってでも、一緒に逃げるべきではなかったか。
「……怖い……」
小さく呟いた声が、部屋の静けさに吸い込まれる。
その時――
コン、コン、と、控えめなノックが扉を叩いた。
「……まだ起きているのか」
リュノの声だった。
「……眠れなくて」
扉は開かない。
それでも、その向こうから彼の気配が感じられる。
「……貴女は、もう“あのとき”とは違う。呪いは解けた」
「でも、また石になるかもしれない。……眠ったまま、誰かに全部奪われるかもしれない……」
沈黙。
「誰ももう、貴女から何も奪わない」
「あなたも?」
リュノは答えなかった。
けれど、その沈黙こそが、何よりも彼の誠実さを表しているように思えた。
「……そばにいてくれる?」
思いがけず口から出たこの一言が、どれほどの弱さから生まれたのか。
自分でもわかっていた。
扉の外から、椅子を引く音が聞こえた。
「ここで見張っていてやる。……気休めでしかないし、他に何もできないがな」
セジットはハッとした。
自分が目覚める日を予期していたわけではない。
本物の聖女がいつ戻ってきてもいいように、おそらくリュノがこの部屋を綺麗に整え続けてきたのだ。
七年の間、ずっと。リュノもまた、大切な人を救えなかったという後悔を抱えて。
憎むべき仇でもあると知りながら、唯一の手掛かりであるセジットを見守り続けてきたのも、その一環なのだろう。
セジットは柔らかな枕に顔をうずめた。
(この世界はいつだってひどく残酷で、いつだって闇の中をさまよっているようで……)
そっと目を閉じる。
(でもそれは、わたしひとりじゃないのね)




