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【1】現場の猛者と泣き出す女子放管事務員

【1】現場の猛者と泣き出す女子放管事務員

事故後に瓢タンは3号建屋のドーム建設に加わった。それは2011年6月にJVとして立ち上がった。JVとはジョイントベンチャー、共同企業体といって、今回は大手ゼネコン6社の共同企業体で、幹事企業は鹿山建設だった。

所長との面接は簡単だった。事故直後猫の手も借りたいくらいにがれき撤去の作業が急務だった。1Fの構内の道路上のがれきを撤去して道路を整備し、大型クレーンが走行可能なようにするためだ。

当時を思い出しながら瓢タンは話した。

「鹿山建設のビルに行くとトランク下げた所長が入ってきて、放射線取扱1種の資格を持っているんですね?と言うので、そうです、と答えると、「私はいまからバスでいわき事務所まで行きますから一緒にどうですか?」と言われたんだよ。だから、いまは無理ですが明日なら事務所に行きますよ、と答えてそれで面接は終わりだった。」


瓢タンの任務は通称3号カバー工事と言って大型クレーンで3号機にドームを設置する計画の放射線責任者だった。ドーム設置の目的はオペフロにある使用済み燃料の撤去で、ドーム内部には使用済み燃料撤去に必要なクレーンも備えてある。そういうものを組み込んだドーム鉄骨は7分割で組み立てる仕組みになっていて、大型クレーンで吊り上げてオペフロ上でボルトで組み合わせてゆく。その前にドームを支える土台として鉄骨の枠組みも必要だ。

瓢タンは呟くように語った。

「報道はドームをクレーンで吊り上げる遠隔作業のところを映して終わりだろ。そのあとで人がボルトを締めているなんて細かいことは報道されない。最先端の高線量被ばく地帯にはカメラは入れないしね。所詮現場を知らない人たちが報道しているんだ。」

ボルトの数は10万本以上もあり、ボルト締めは人力作業だった。土台の鉄骨も含めると数十万本が被爆しながらの職人の手作業だった。そのためオペフロ上の線量率を1mSv/h以下にする必要があった。事故直後は数千mSvつまり数Sv以上。だから千分の1以下にしなければいけなかった。」

「そのためにはオペフロ上の折れ曲がった鉄骨や爆発して落下したコンクリート壁材の撤去、さらにはオペフロ床面の粉塵や床面自体に染み込んだ汚染の除去が必要に成る。それから分厚い鉄板を並べて遮蔽する。」

「実際の建設作業はクレーンで吊り上げた鉄骨をボルト10万本締めることだが、それは半年ほどで終わった。それまでの6年間はひたすら超高線量のがれき撤去に費やされた。」

 瓢タンは話した。

「所長もさ、建築家だから、がれき撤去には興味がなかったのよ。だから6年間はあまり積極的には現場には顔をださなかったな。でもオペフロにドームを組み上げる頃になると俄然現場に足を運ぶようになったね。」

「がれき撤去の期間中にドームの鉄骨組み上げ試験は小名浜の事業場でやって、完成したら船で1Fまで運搬するんだが、その船はまた小名浜に戻る。小名浜ってのは当時風向きの影響で唯一福島では汚染しなかったエリアで、小名浜町民は町に汚染持って来るな、というプライドがあって、船が1Fの港湾に止まって鉄骨を陸揚げするときが問題。1F側から荷を受ける作業員が乗り込むんだが、靴を履き替えて、使用する道具は無汚染検査して、って徹底してるんだ。それが無汚染で帰ってこいという小名浜側の要求だからね。」


さて作業を請け負う下請け企業も決まって、JV事務所も開設され、いわき市内の作業員用プレハブの宿舎も完成した。しばらくは調査目的で原発構内に入り放射線の作業計画を立ててゆく。

 3号機のオペフロ、原子炉建屋の最上階、使用済み燃料プールのある壁や天井は水素爆発で吹っ飛んだ。原子炉圧力容器を囲む原子炉格納容器とそれを囲むコンクリート建屋、そこまでは頑丈に作られているが、その上のオペフロは鉄骨梁にコンクリートの壁材を張り付けたものだった。水素爆発では簡単に破壊され、骨組みの鉄骨は恐竜の背骨のように折れ曲がっていた。オペフロの壁材はいったん垂直に吹き上がったあと粉々になって落ちた。無残な残骸というしかない。

 オペフロ壁材は板材を重ねたもので原子炉格納容器建屋の鉄筋コンクリートとは違って爆発には弱いが、逆に爆発の際に圧力逃がすため吹き飛ぶようになっていた。

逆に言えばオペフロ壁材破壊で吹き飛んだことにより原子炉建屋には水素爆発の応力がかからず爆風は逆流することもなく上空へ逃ていったので、原子炉建屋内は守られていた。

 3号機JVのルールでは30歳前は原則として事務所勤務で、直接現場には行かなかった。放射線のリスクは60歳以上になると相対的に低くなるから、平均年齢が60歳くらいだった。30前後で現場に行くのはドーム建設の計画を担う技術者だけだった。

瓢タンは現場採用の現場放管(放射線管理)なので現場に行くが、目的は法令上の被ばく基準を作業員に守らせる仕事だった。

事務所には全国の工事現場から60前後の職員が3か月交代でやってくるが、年寄りから先に派遣されてくる。若手は家族の同意が有られそうにもなかったからだ。亭主元気で留守がいい、ってことで年寄りになると家族の同意も得やすい。孫の写真を忍ばせて北海道から沖縄より遠路はるばるやってくる者もいた。他のゼネコンも同様だったし、全国からやってくる下請けの作業員も年寄りが多い。

 まずはゼネコン職員が50人、下請け作業員が50人。それだけの人数が集まったが、問題は急場しのぎでかき集めた誰もが原発を初めて経験することだ。原発で仕事する場合はまず中央登録といって国の一元管理元から登録NOをもらうこと。

 原発作業従事者の被ばく管理は中央登録が一元的に行っている。併せて電力会社に作業者証を発行してもらう。そういう事務を専門で行う事務放管というのが別途ある。3号機JVは事務放管のできる経験者を雇ったが、急場拵えで作業員を一気に集めているので電力会社も業務進行が遅れて、手続きに二週間ほどかかった。その間は作業員には日当、職員は月給制の給料を払う。しかし日当もらってもなにもすることがないのが人間は一番苦手であり苦痛だ。原発避難者が補償金もらってもストレスで病気になったりするのと同じだ。

 何もせずに一週間も経った。そして二週間経った。JV職員のなかでも現場の古株の佐木っつぁんは武道の猛者で、力ずくで事務手続きが進むんではないかと思い、女子事務放管グループに怒鳴り込んだ。

事務放管手続きは女性が数人でやっており、彼女たちは放管手続きの経験者で中央登録から電力会社登録そして放管手帳発行までと原発への入構証発行までを行い、原発で作業するためのAB教育、新規入所時教育の申し込みまで行う。専任の経験者でなければ進まないので経験のあるいわき市在住の事務員を募集して集めた。若い女性でも専門のプロ集団なのである。

 ただでさえ原発入門は手続きが厳しいのに、一気に増えた人数を大量処理するシステムはなかった。しかし現場の猛者たちは事務所で何もしないで二週間も待たされるなんてのはいままでの一般の現場では経験がない。

「なんでそんなに時間がかかるんじゃあ!われわれはいつまで事務所待機すればいいんじゃあ!」

 佐木っつぁんはいかめしい赤レンガのような顔つきで若い女子事務放管に迫った。

 すると対応の女性事務員は泣きだしてしまった。

 所長が佐木っつぁんを呼んで諭した。

「あのさ、女子事務員を泣かせればさ、それだけ手続きが遅れるんだよね。」

 女を泣かせてもどうにもならない。ますます手続きが遅れることを佐木っつぁんは理解した。

 原発で作業する手続きの面倒なことが強面の猛者たちも肌でだんだんわかってきた。できないものはできないと。

「そっかあ、彼女たちはするべきことはやってるんだなあ。問題は手続きが煩雑なんだな。そこが一般の現場と違うところか。事務所で待機しているしかないんだな」

 佐木っつぁんは腕組みしながらそうつぶやいて事務所の待機を覚悟した。

 当初の作業者証には写真がついていなかった。ある外人報道記者が偽造作業者証で入門したことがあった。正門の警備で見つかった。それからは写真つきになってますます手続きに時間がかかるようになった。


 一方、現場放管担当として採用された瓢タンの当面のやることは毎日全国から集まってくる作業員やJV職員の放射線教育だった。一般の現場しか知らない作業者たちに原発構内での放射線管理ルールを教えるのだ。教育はまず電力会社が全企業対象にJヴィレッジで毎日50人単位で教育する。これをAB教育という座学で、Jヴィレッジの会議室で行った。

 そして各企業単位でそれぞれの仕事に合わせたルールを教育する。土木もあれば建築もあれば、汚染水の装置系、電源系など復旧工事を請け負う元請けは様々だが主として当初は土木建築の人数が多い。日立東芝などが活躍できるのは原子炉周りの作業だから土木建築の後になる。

 国内作業者も千差万別で、下請け作業員の中には多重下請けの構造で、反社組織から派遣されたと思われる全身唐獅子のタトーなどはありふれた光景だった。電力会社からは下着も支給されるので着替えの時に裸になったときにわかる。背中一面に唐獅子牡丹が彫ってある。タトーがあるからやくざ者とは限らない。とび職人にはタトーが多い。見分けは、面と向かって目を合わせるかどうかだ。多重下請けの反社組織から来た者は目を合わせなかった。

 免許証が身分証明だったが、その免許証も仮免の写真のないもので偽造を提出するものもいた。とにかく手と足があれば汚染した高線量瓦礫の撤去運搬くらいはできる。空間線量3mSvの3号機周辺では一か月で40mSv被ばくして交代する作業員もいて、若い人は集まらないし、猫の手も借りたいくらいだった。

瓢タンは酒を飲みながら続けた。。

「ゼネコンの宿舎はグランドホテルとか温泉宿借り切るとか大掛かりだから、いわき駅周辺のホテルはほとんどゼネコンが借り切っていたんで、空き室を探すのが難しいくらいだった。そこへは報道陣も足しげく通って来たなあ。ボランティアとかに来るのは昔名を売ったタレントとかで、ある朝ホテルのバイキングでサラダの前に並んでいたら隣が秋野暢子とか秋吉久美子とか。でもすでに峠を越したバラエティタレントとはいえ年の割にはスタイルが良くて、さすがに節制して鍛えてるなと思った。」

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