母
〈母思ふふと夕飯の匂ひ哉群馬の夕べたゞ「タル」くあり 平手みき〉
【ⅰ】
杵塚のスマホに、彼が付き合つてゐる女性ではない女から、珍しくメールが届いた。
見れば、母である。群馬県の某市に、一人詫び住まひしてゐる、杵塚のたつた一人の身寄りだ。「元氣でやつてる?」との事。
たつた一人の身寄り? 由香梨は、ぢやあ何なのだ。
「由香梨、お祖母ちやんが慾しくないかい?」ふと、さう彼女に訪ねた。「うん、慾しい」「俺の母ちやんに會ひに行くかい?」「うん」
本当は、由香梨には由香梨の複雑な胸中があつたのだらうけど、取り敢へず、今となつては父母のゐない彼女に、一人でも身内としての者、を作つてやりたい、と云ふ氣持ちが先に立つた。
アプリリアのSR-GTがいゝな。タンデム車である。あれなら早く走れるし(何せ氣が急く)、二ケツも樂だらう。
【ⅱ】
母親つて何なのだ。カンさんには勿論、母なる者はゐない。もしかしたら、あの鞍田と云ふ「造り主」の愛人・日々木斎子には、何らかのカンさんなりの、「母親的」投影があつたかも知れない。
また、テオ。「をばさん」を母代はりと思つてゐるが、「をばさん」には【魔】との間に設けた實子・雪太郎が、ゐる。テオには惡いが、「をばさん」と彼との間には、思ひのギャップがあるかも知れない。
更に云へば、ロボット犬・タロウの母としては、じろさんの愛犬・ジョーヌの面影もちらつく。カンさんならいざ知らず、悦美さんは、「貰ひつ子」の君繪ちやんをあんなに一生懸命、育てゝゐる...
血の繋がりつて何なのだ? 金尾に聞いたが、前回の仕事で、天神博士の後援財團は、彼の身柄に百萬圓と云ふ値しか付けなかつた、と云ふ。血が繋がる者となら、たつた百萬で濟む譯がなからう。天才とか凡才とかに関はらず。
【ⅲ】
郷里に帰ると、母は、由香梨の存在を殊の外喜んでくれた。杵塚、胸を撫で下ろしたのだが- 不審な事に、母は、「そんなメール、知らないわよ」と云ふ。杵塚が勝手に帰つてきたと思つたらしい。
もしや、鰐革男? さう云ふ惡質な惡戲をする必要が、何処の誰にある? 然し、鰐革にとつては、所詮俺は脇役。カンさん・じろさんとは違ふし、「龍」やらゴーレムやら云ふ物に、俺は變身出來やしない。
鰐革の線はだうやらなさゝうだつた。
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〈匂ひとは母性の謂ひか暮春なり 涙次〉
【ⅳ】
さう思つた杵塚は、まだまだ「一味」の者としては甘かつた。鰐革男、楳ノ谷汀に目を着けてゐたのだ。彼女が、一味にとつて惡いニュースを揉み消さうと奔走したのは、鰐革の記憶に新しかつた。
要は杵塚は邪魔者。こやつあつては、カンテラと楳ノ谷は、ホットラインで繋がつてゐるも同然。つまり、鰐革、今度は楳ノ谷誘拐を目論んでゐた...
中年女性、杵塚の小遣ひ稼ぎの相手たち(その母性を杵塚は利用してゐる、とも云へた)、の中では、際立つて親しい間柄の楳ノ谷、鰐革は氣を利かしたつもりで、「俺だよ。春多だよ」なるメールを送つたと云ふ。無論、誘拐には呼び出しが付き物だからである。だが、そんな言葉は杵塚は使はない。たゞ文末に「杵」と一言加へるだけだ。それで、勘の良い楳ノ谷は気付いたらしい。
こいつ、【魔】だわ。杵塚はしかし東京にゐない、と云ふ。さて、だうするの汀? と彼女は自身に問ふた。
【ⅴ】
鰐革はつまり楳ノ谷と云ふ、一箇の聡明な女性を舐めてゐたのだ。何をするにつけ愛人の命に従ふ、旧弊なタイプの女しか知らない鰐革ではあつた。
楳ノ谷、杵塚がゐなくても一人の人間として行動出來た譯で、すぐさまカンテラに渡すカネを用立て、然もこの一件をニュース種にしやうと、謂はゞ、鰐革の「裏を掻いた」。
「呼び出し」の場は、と或るホテルのロビーであつた。鰐革、殊更大きなマスクが却つて目立つた。楳ノ谷はそれを見た時、何でこんな莫迦な奴に、カンテラ一味は踊らされてゐるのか、理解に苦しんだ、と云ふ。流石の彼女も、善玉vs.惡玉の微妙な力関係には、思ひ及ばなかつたやうだ。
【ⅵ】
カンテラ・じろさん、そんな彼女を「張つて」ゐた。彼女の特別な要請があつたからだ。寧ろ、彼女の云ふより目立つ、大仰な仕草で。これはテオの發案であつた。
鰐革は、彼にしては上出來だが、そのカンテラ・じろさんを見て、自分から姿を晦ませた。本当の事は誰も知らないが、だうやらそのやうだ、と云ふ事だけ、彼らカンテラ・サイドには傳はつた。
で? 誰も何もせずに、カンテラ一味、報酬を得たのである。これはニュースにはならないな、と、さしもの楳ノ谷も思つたと云ふ。
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〈おつ母さんと云つてみたのは氣の迷ひこの糞婆アと俺云つたもんさ 平手みき〉
文中お見苦しい表現があつた事をお詫び申し上げます。ぢやまた。アデュー!!