5話・王女、車道と信号にいろいろびっくりする
「それじゃ、兄上。私は伯父様たちと、これからどうするかのお話し合いに戻りますわね」
坂巻は言って、部屋を出て行った。
「竜司は何歳ですの?」
ごそごそと着替える音をさせながら、ロゼッタが問う。
「……二十五」
「まあ。結構年上ですのね。肌が綺麗だから、髪型のせいで、おとなびて見えるのかと思ってましたわ」
「気色悪いことを言うな」
竜司はげんなりしたが、ロゼッタは機嫌がよさそうだった。
「あらどうして? 私、最初に見た時から、竜司の外見は気に入りましてよ。真っ黒な髪と目が素敵ですわ。そんなに黒い瞳を見たのは初めてですもの」
「そうか。俺は年上の女が好みだ。お前はガキにしか思えねえ」
「そんなに不敬なことばかり言うと、あなたの口調も変えて差し上げますわよ」
冗談ではない。竜司は渋々謝罪する。
「……悪かった。それだけは勘弁してくれ」
「二度目はありませんわよ」
言い放ってから、ロゼッタは駆け寄ってきて、竜司の肩とトントンと叩いた。
「どう? 着方はこれでよろしくて?」
着替えたロゼッタは、金髪の縦ロールと安っぽいワンピース、絹張のパールで飾られたつま先の細い靴、というアンバランスな格好のせいもあり、なにかのマスコットキャラクターのように見える。
「あまり好みの形のお洋服ではありませんけれど、滑らかで温かい生地ですわね。軽くてゆったりして、とっても体が楽ですわ!」
こんな女と外出するのか、と想像するときつかったが、とにかく組のためにも、早く問題を解決したい。
竜司は立ち上がり、溜息をついた。
「……というわけだ。俺はこれから、こいつにいろいろ食わせてくる。何日かかるかわらねえが、このままじゃ仕事にならねえだろ」
竜司が説明すると、会議室に残っていた面々は、どんよりした表情でうなずいた。
「兄上、頑張ってくださいませ! もうこんなのイヤですわ!」
「これじゃ、お仕事どころかお買い物にも行けませんわ。店員さんとお話したくありませんもの」
「仲良しのレディーと会うこともできませんわ」
「できるだけ黙っていましょうよ。それしか方法はないのですもの」
野太い声で囁き合う組員たちを気の毒に思いつつ、竜司はそっとドアを閉めた。
「よし。じゃあ行くぞ」
声をかけると、廊下の窓から物珍しそうに外を眺めていたロゼッタは、にこにこしながらついてくる。
ふさふさと揺れる縦ロールのせいか、なんだか犬か猫でも飼ったような気分だった。
「……まあ……これが……奇界ですのね……」
外に出た途端、ロゼッタは道端に立ち尽くし、周囲をきょろきょろする。
「奇界?」
聞き返すと、ロゼッタはうなずく。
「この世界……私のいた世界から見て、第三平行世界のことですわ。……なんてこと。地面が……石で塞がれている……」
「いろいろと珍しいのはわかるが、こっちはそうのんびりしたい気分じゃねえ。行くぞ」
すたすたと竜司が歩き始めると、慌ててロゼッタはついてきた。
「えっ……ええ……。でも、す、すごい……怖い……。巨大な甲殻類のようですけれど、襲ってきたりしませんの?」
ロゼッタの口調は、先刻までの偉そうなものではなくなっていた。
初めて見る東京の風景に、強い興味と不安を感じているらしい。
「甲殻類じゃねえ。乗り物だ」
ぎゅ、と竜司の上着の端をつかんだロゼッタが怯えていたのは、大通りの車の流れだった。
「乗り物……確かに、よく見ると中に人がおりますわ! へ、平気なの? あんな大きなものが、こんなにすごい速度で動き回っていて、ぶつかったりしないのですか?」
「ちゃんと走るための規則がある。ぶつからねえよ」
「あれは、どういった原動力で走っているのですか? 馬もいないというのに」
「エンジンだ。どうせ説明したってわからねえだろ」
「し、失礼ね。私のいた世界だって魔法を使えば……まあ!」
今度はロゼッタは、歩きながら上を見て目を輝かせる。
「あそこに埋め込まれた宝玉、綺麗ですわ。なんて不思議な光を放つのかしら」
「宝玉だあ?」
眉を寄せて上を見た竜司は、それが信号機だとわかって苦笑する。
「LEDの光が宝玉か。まあ、石よりはよっぽど光るからな」
「待って、こ、これは……!」
「今度はなんだ」
横断歩道を渡りながら立ち止まったロゼッタに、竜司は苛立つ。
「この曲はいったい! なんとも耳に残る、不気味で物悲しい音楽ですわ! どこにも奏者がいないのに聞こえてくるということは……精霊の唄……? 危ないですわ、竜司! 耳を塞いで! うっかり聞きほれると命を失うことにも!」
「あー。そうだな。気にするな」
聞き慣れた『通りゃんせ』を耳にしつつ、竜司はジタバタしているロゼッタを引きずるようにして、歩道を渡り終えた。