21話・王女・動物園に行く
お茶を淹れて一息つくと、竜司は幹部たちからのメールに目を通す。
いずれもこのままでは文章以外での仕事ができない、電話もかけられない、早くなんとかしてくれという訴えと嘆きばかりだ。
(なんとかって言ってもな。マヨ子が探す食い物を見つけないと、どうにもならねえ)
正直、自分たちの仕事は社会に貢献していない。
当分の間ふらふらするくらいの金は、竜司は蓄えている。
だからあまり焦ってはいないのだが、抗争中の宇陀川組が、縄張りを荒らすことだけが気掛かりだった。
(まあ、あれこれ考えても仕方ねえし。……昼飯は宇陀川組の連中が、絶対にうろつかねえ場所にでもマヨ子を連れて行って食わせるか)
竜司はそう決めて、皿を洗っているロゼッタに言う。
「もう体は、問題ないんだよな?」
「もちろんですわ。ゆっくり眠って魔力も回復しましたもの」
「なら洗い終わったら出かけるぞ。髪をまとめて、昨日の帽子をかぶっとけ」
「わかりましたわ!」
また出かけることになって、ロゼッタは嬉しそうだった。
「まるで幻獣たちの集いを見るようでしたわ! ああもう、今もまだ驚きで、胸がドキドキしています!」
興奮状態でロゼッタが言ったのは、動物園の中の休憩所だった。
動物園で家族サービスするヤクザが絶対にいないとは言わないが、ここでなら遭遇する確率は低いだろうと竜司は考えたのだ。
ロゼッタは、ずっとハイテンションできょろきょろしていたが、意外にも一番興味を示したのは、パンダではなかった。
「熊なら私の世界にもいましたわ。確かに、柄は違いましたけれど。それより、もっともっと不思議な生き物だと感じたのは、ゾーという生き物ですわ! あの鼻! あんなに長くて息ができるのでしょうか?」
「知らんが、口もあるからな」
「それに、首の長い生き物も驚愕しましたわ! 黄色に斑点の模様も、素晴らしく美しかったですし。この世界には、あのように不思議な生き物がいるのですわねえ……」
注文したホットケーキとココアを堪能しつつ、ロゼッタは言う。
そして例によって、美味しいけれども探している味ではない、と残念な結果を答えた。
「知っているパンケーキとほんどと同じ味でしたわ。でも、少し間を置けば、また食べられると思います! もっといろいろな生き物を眺めたいですわ」
「要するに、遊び足りないんだろ」
「だって、すっごく楽しいのですもの」
素直にロゼッタは認めた。
「珍しいものばかりだし、それに歩いている人たちもみんな楽しそうに見えますわ。ただ、ちょっとだけ、気になることもありますけれど」
「ああ? なんだ」
コーヒーを飲みながら尋ねると、ロゼッタはまつ毛の長い目を伏せた。
「ええと。……生き物たちは、どこから来たんですの?」
「ほとんど別の国からだな。内訳は、看板に書いてあったが」
「……連れてこられて、閉じ込められているのですわよね?」
「まあそうだな。おれは弱肉強食の外にいるより、ラッキーじゃねえかと思うが。自由ってもんに価値を感じるのは、それと引き換えの飢え死にや食い殺される配をしなくていい連中だけだ」
「……そういう……ものかもしれませんわね」
ロゼッタは、なぜか小さく溜息をつく。
「私は今、自由だと感じていて……とても楽しくて仕方がないのです。誰も私を知らない異界にいて、誰にも怒られない、罰されない……自分のためだけに振舞っていることが、心地よくてたまらないのです……でもこれは、我がままだということも、よくわかっているのですわ……」
「お前の言うことが事実だとすれば、お前は王女で国のためにここに来たんだろ。どこが我がままなんだ」
「もっと、必死にならなくてはいけないはずなんですの。こんなふうに、笑ったりはしゃいだり楽しいと思ってしまったら、いけないと思うのです……」
「泣いても笑っても、飯の味は同じだ」
竜司は淡々と言う。
「だったら笑ったほうが、気分いいだろうが」
「……でも」
「どうせいつかは死ぬんだぞ。王女もヤクザも、持ち時間は決まってる。有効に使え」
竜司が言うと、ようやくロゼッタは顔を上げた。
「そう考えても、いいのでしょうか。王女も、自分の楽しみを持っていいと」
「駄目だってやつがいたら、俺がぶん殴ってやる」
ふふっ、とロゼッタは笑った。
「わかりました。……竜司の言葉を信じますわ!」
ロゼッタの表情が明るくなる。
「それならいっぱい、楽しく過ごします! 竜司、私、もっと毎日あちこちたくさん出かけたいですわ! そして美味なるものを食べまくります!」
「ほどほどにな」
竜司は静かな声で言う。
「この前、俺を刺したやつがいただろう。今俺の周りは物騒だ。出かける場所も考えなきゃならない」
「ならずもの同士で、喧嘩をしているのでしたっけ……?」
「そのために、お前を巻き込みそうになった。だからあまり迂闊に、どこでもふらふらと出歩くわけにはいかねえ。夜は特に、気を付けたほうがいいな」
「それは残念ですわ」
ロゼッタは、心底つまらなそうな顔で言う。
「竜司の家の近くにも、あんなにたくさんお店がありますのに」
「親父の容態も含めて、どうなるのか先が見えねえ。……マヨ子お前、もういいだろ。組員たちの言葉遣い、元に戻してやってくれ」
今の友好的なムードだと、頼めばあるいは聞き入れられると思ったのだが。
「それは無理ですわ」
あっさりとロゼッタは拒絶した。
「あの魔法は一度発動すると、どんなに短く終了させようとしても、一か月はあのままですの」
「……厄介なことしやがって」
「だってああでもしないと、私のお願いをきいてくれなかったでしょう?」
「まあな」
竜司は肩をすくめたが、あまりロゼッタに対して、腹を立てていない自分に気が付いていた。