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田中太郎、幼稚園に通う1

 ここは動物園か。


 太郎が生まれて初めて大人意識のある思考で幼稚園内部を観察し、出た感想がそれであった。

 基本、会話が成り立たない。それと太郎の中で衝撃だったのは子供が嘘をつきまくるという事だった。


 僕やってない!と言いながら他の子を押すし、私が最初に使ってた!と言いながら最初から他の子が使っていたものを欲しがる。

 並んでた!と言って後入りしてるし、出来る!と言ってやり方はわかっていないのに言う。

 太郎の大人目線からしたら大発見の連続だった。

 子供は嘘をつく。つきまくる。しょうもない事で嘘をつく生き物だった。誰だ、子供は正直だなんて言ったやつ。そう太郎は思った。

 そしてなにより、子供が集まった場はとても騒がしかった。誰が何を言っているのか全くわからない状況が頻繁に起こる。

 1人喋れば一斉に同じ事をし出すのだ。1人騒げば皆が一斉に騒ぎ出す。

 それを笑顔でまとめる幼稚園の先生、嘘をつく子供を窘めたり叱る親。半端ねえな。これ、毎日どうにかしようとしてんのか。子供と向き合うって大変なんだな。と太郎は感心していた。大人は凄い、と子供の姿で思った太郎である。


 そんな太郎は、幼児のエネルギーに圧倒される形で、基本的には端の方で大人しく、皆の言動を観察していた。

 誰も自分に注目をしない場が不思議なくらいだったが、話し掛けておもらしをされた事がトラウマになっていた太郎は、自分から園児へ話し掛けることが出来ずにいた。話し掛けられても、「ウン」と言うくらいしか出来ない。


 俺、こんなビビりだった?と、後込む自分に少々驚いた太郎だったが、これが普通か。と学ぶ姿勢に言い訳をするように観察だけする事にした。

 園庭に散らばる園児たちを眺めながら、手に持ったスコップを「かーしーて!」と言ってきた男の子に「どうぞ」と渡し、太郎はそっと溜息をつく。

 注目されない事は嬉しい。なにより心が楽だった。しかし、自分が同じ幼児として、同世代にどう向き合っていいのかはわからなかった。思考が大人な分、どうしたって相手の子供を子供扱いしてしまう。


 だが、既に人間関係(たたかい)は幼児から始まっている。

 太郎は今、新たな人生を歩んでいるのだから、絶望した前の孤独を繰り返す訳にはいかない。

 太郎の願いは普通に生活をする事。普通に人間関係を築く事。

 うっとりされない、やんわり距離を取られない。切に願った環境が目の前にある今、太郎はボケっとしているわけにはいかなかった。話しかけてもギャン泣きされない、おもらしされない、普通の人生を歩むために。

 努力が必要なのは、どんな状況であれ変わらないのだから。





「あー!」

「?」


 そんな太郎が初めて幼稚園に通った日から数日後、再びの登園道中で、太郎は思わず声を上げた。

 ちなみに太郎は2つのプレ幼稚園、というものに通わされている。一般的に幼稚園に通うのは4歳になる年からだが、太郎は3歳になる年から幼稚園へ行きだした。全ては母の「今はプレ行かないとママ友出来ないのよねー」と言ったせいである。

 その登園日。太郎の目の前を歩く母子に太郎は駆け寄った。

 会えなくなった朱里がいたのである。

 なぜ分かったか。朱里の顔は覚えていなかった。当然だ。生後9ヶ月の時に1度会ったきりなのだから。しかし太郎は朱里の母を覚えていた。朱里の母が、後ろを歩く太郎と太郎の母に気づき目を丸くしたから思い出して声を上げ駆け寄った。

 だが、完全に太郎のやらかしであった。



「あかり!……ちゃん!」


 太郎は覚えている。意識は完全に大人なので。だから名を呼んだ。

 しかし本来、生後9ヶ月の時の記憶を覚えていた上で喋る幼児はいない。ゼロとは言わないが、まともに喋れもしない赤子の記憶があるまま気安く声をかける行為は、間違いなく驚かれる所業である。


「……こんにちは」

「……あ、はい」


 だが、太郎の母、朱里の母は太郎のそれを気にするでもなく、コンニチハ、と、ぎこちなく挨拶を交わしていた。既に会わなくなってから3年近くの時が経っている。

 朱里が太郎の髪の毛をひっぱり、朱里の母がそそくさと帰ったうちに太郎の母は本当に朱里との接点を無くしてきたそれ以来の邂逅だ。だから親同士は気まずさがカンストしていた。

  が、太郎はキョトンと見てくる朱里の事で頭がいっぱいだった。


「ひしゃすむり!」


 げんきだった?も、まだハッキリ言えず、ねんき!ねん、めんきだった!?と無理矢理言葉を放った太郎は、喋ってもうっとりしない、顔を赤らめない、目を逸らさない朱里を再確認して俄然テンションを上げた。しかし朱里は、キッと太郎を睨みつけてきた。えっ、と太郎はたじろいだ。


「うるさい!」

「朱里!」

「きらい!」


 まま!だっこ!と、機嫌を損ねた朱里のツインテールがくるんと揺れ、吊り上げた猫目が朱里の母に向けられた。太郎は動く事が出来なかった。


「じ、じゃあ……すみません……朱里がごめんね、太郎くん」

「……こちらこそすみません」


 ぷん!と顔を背け、朱里の母の首に巻き付く朱里を、太郎は半ば呆然と見送った。

 ただ、嬉しかった。また自分をちゃんと見てくれて、うっとり意外の反応をくれる朱里の存在が太郎にとっては希望のような存在だったから、思い出せば嬉しくて近づいた。そして確認のつもりだった。鏡で自分の変わらない顔を見て、毎日毎日可愛いと言う母に絶望していたから。あまり帰って来なくなった父に、ブサイクと言われなくなっていたから、朱里は普通に接してくれる事を再確認したかった。

 案の定、朱里は朱里でうっとりなんてしなかった。太郎は歓喜に震える心地だった。しかし、朱里は太郎を睨み、キライと言った。睨んできらい!だ。

 生まれて初めて受けた心からの拒絶ともいえる言葉だった。それを至近距離でぶつけられた太郎は固まった。内心、かなりのショックを受けていた。


「……まさか朱里ちゃんも同じ幼稚園なのかしら」


 他のプレも回ってるわよね?うちだってそうだし。と聞こえた母の声に反応は出来なかった。

 なんとなく、痛む胸と腹の中の気持ち悪さを抱えていた太郎は、意識を切り替えるように息をつく。

 そして思考を回す。嫌われたのなら、今後は近づかない方がいいのか。と。早い決断だった。逃げの思考は瞬時に把握したけれど、心が止まらなかった。

 だが同時に、自分の醜い打算に気づいてしまった太郎は、再びその場で固まった。太郎?行くわよ。と言う不思議そうな母の声すら届いていなかった。


 太郎の顔は、天使のようなイケメンが既に形成されている。小さな踏み台に乗り、自分で歯磨きをするようになってから見た鏡で確認済みだ。絶望したその日は吐いた。

 しかし、いざ朱里と会えば。そんな自分が他人に向かえば、喜ばれるという前提認識があった。だから躊躇わずに自ら声を上げた事に、太郎は唐突に気付いてしまった。嫌な顔を向けられるなんて、想像だにしていなかった。

 それに気づけばなんの事は無い。朱里に駆け寄ったのは醜い打算にまみれた行動だった。

 朱里は、太郎が初めてうっとりされなかった他人だから。だから行った。だから声を掛けた。嫌がられるなんて考えもしなかったのは、顔の良さを拒否された事がなかったから。だから今回もそうだと勝手に確信して、当然のように声を掛けていた。それを認識してしまえば、太郎は打ちのめされるように顔を下に向けた。


 ダッセ。なんだそれ。


 俺はバカか。情けねえにも程がある。どんだけ甘ったれだ。と、項垂れながら太郎は思考を回す。いくら見た目が幼児でも、いきなり距離なしで近づけばただの不審者だ。

 決してそんな事はないのだが、太郎の思考は大人だったのでそう結論を出した。


「……おかあしゃん。いこぉじぇ」

「え、えぇ……」


 あなたそんな雑な口調どこで覚えてくるのよ。お父さんの真似ならやめなさい。という母の声がぼんやり聞こえた。

  てくてくと小さな歩幅で歩く太郎の心臓はバクバク鳴っている。チクチクと胸も傷んでいた。喉が引き攣り腹もぐるぐる気持ちが悪かった。目だって熱くなった。

 それでも太郎は思考を止めなかった。小ちゃな歯を食いしばるようにして考える。逃げの思考、というのはわかった上で考え続けた。


 そんな登園の道で、拒絶されるのは、凄く辛いことなんだな。と、気づきを得ながら、太郎は母と幼稚園へと向かった。

 今日はもう、観察もやめよう。なんか、凄い失礼な事してる気がするし。と強く心に留めながら、おはようございまーす!と言う元気な先生の挨拶を聞き、大人しく教室へ向かう。

 そのあとはもう、黙っていよう。先生に目をつけられない程度に。そう、思っていた。

 しかし、無理な事態が太郎を襲った。


「あんた、あたしの下僕になりなさいよ!」

「うしょじゃん……」


 朱里が現れた。コマンドは逃げられない一択しかないくらいに、朱里は太郎の眼前で仁王立ちしていた。そして意味がわからない事を吠えてきた。下僕になれ、と。


「きいてんの!?返事しなさいよ!」

「は、はい……」

「じゃあ下僕、あの子のクレヨンふんでこわしてきて」

「なんで!?いやだけど!?」

「いうこときけ!」

「いだっ!痛い!痛い!痛い!」


 朱里は暴君だった。強気を映すような猫目を吊り上げ、嫌だと否定したらいきなり殴りかかって来た。下僕のくせに!下僕のくせに!と決めゼリフのように朱里は太郎を殴ってくるのだが、小さな女児とはいえ、グーで何度も殴られれば普通に痛い。


 今時はアニメとか教育番組で下僕なんて言葉が出てくるのか……?と思った太郎であったが、朱里は既に太郎を下僕認定していた。よって朱里は止まらない。


「はやく!ぶっとばすよ!」

「ちょ!ちょっと待って!」

「またない!」

「そんな馬鹿な!」

「朱里ちゃん!何してるの!」


 ぶっちゃダメ!太郎くん痛いでしょ!と、飛んできた先生により太郎は救われたが、朱里は「あたし何もしてない!」と叫んでいた。

 目の前で殴っているのを見られて注意されているのにこれである。太郎はいっそ清々しいと思った。メンタル鬼強じゃんと思った。

 そういや、朱里と1番最初に会った時にも、俺髪引っ張られてたな。と、太郎に苦笑いが零れた。が、太郎は幼稚園児である。朱里に諭すように注意をしていた先生は、太郎の表情を見た瞬間、朱里を物凄くキツく叱り始めた。


「朱里ちゃん!本当にダメなの!ぶったらダメ!心も痛い痛いってなっちゃうの!」

「何もしてないもん!」

「朱里ちゃん!」


 知らない!先生きらい!と顔を背け話を聞かない朱里に、朱里ちゃん、ちゃんと先生のお話聞いて?と、先生は声を落として再び諭すようになった。説教が長引いたのである。

 これを機に太郎は、幼児で憂いた表情はタブーと学んだ。しかし、これをきっかけに、太郎は朱里に逆恨みされ、粘着されるようになってしまった。


「タロー!あそこの山ふんでこわしてきて!」

「何でいきなり!?」

「うるさい!やれ!」

「いやだってばぁ!」

「あ!またにげる!止まれ!タロー!」

「止まったら朱里ちゃんぶつじゃん!」

「ぶたれるタローがわるい!」

「そんな馬鹿な!」


 朱里は太郎を見つけては近づき命令を下す。その時に手の届く範囲に太郎がいると、朱里は必ず殴ってくる。そうなれば、先生が飛んできて朱里が叱られる。そのあと、必ず朱里は太郎にブチ切れてくるので、太郎はコマンドが逃げられない一択しかなくとも、朱里が近づけば走って逃げて朱里と距離を取るしかない。

 しかし朱里は、絶対に太郎を逃がさなかった。


「タロー!」

「いだっ!痛い!痛いってば!やめて!」

「うるさい!」


 とんだ暴君女児である。何度先生に叱られようが何もしてない!と朱里は吠えるので、そのうち親を呼ばれるようになってしまった。当然、太郎の母は謝り倒し、時には涙ぐむ朱里の母を罵倒していた。


「おかあしゃん、僕へいき……」

「太郎は黙ってなさい!」

「申し訳ございません……!本当に申し訳ございません……!」


 大惨事である。当の朱里はツーンとした態度を崩さないので、更にカオスになるばかりだった。


「もう転園して下さい!何でうちの子ばっかり傷つけられなきゃならないんですか!」

「お、お母さん落ち着いて下さい。朱里ちゃん、他の子には優しいんです。太郎くんだけにしかやらないので、まずは落ち着いて話を……」

「うちの子を朱里ちゃんのサンドバッグにしろって事ですか!?」

「いえ!決してそうではなく!」


 ただ、そんなカオスな状況でも、太郎自身は、太郎くんに謝りなさい!と叱る母をシカトし続ける朱里を天晴れ。と思っていたし、そんな朱里を嫌ったり、太郎の母が言うように、幼稚園を変える話にまでなるのはやり過ぎだと思っていた。そして、先生にも、太郎の母にも、朱里の親にも怒られ、叱られてばかりの朱里を可哀想だと思ってしまった。だから太郎は叫んだ。


「僕は!朱里ちゃんが好きだよ!」


 何言ってんのよ太郎!と激昂する母を無視した太郎は、びっくりして猫目を丸くする朱里を見つめて口を開いた。


「これからも、僕をぶってもいいよ」

「太郎!」

「……あんたどえむなの?」

「朱里!」

「ちがうけど……」


 でも、朱里ちゃんと遊ぶの楽しいから。と、太郎は朱里を見つめながらハッキリ言った。

 これは、紛うことなき罪滅ぼしだ。

 自分が特別視されなかった初めての人間が朱里だった。だから朱里に声を掛けた。もしも朱里が最初に拒絶しなければ、自分の方が朱里に執着していた。そう思った。

 そんな利用したも同然の自分の愚行に、考えに。今助け舟を出して保身に走るそれこそ卑劣な考えかもしれない。

 けれど、朱里が転園させられるのをおかしいと思ったのは本心だ。朱里が大の大人に囲まれて怒られた姿を嫌だと思ったのも本心。

 だから太郎は、自分の気持ちを優先した。


「朱里ちゃんのパンチは痛いけど、怪我するほどじゃないから大丈夫」

「……じゃあこんどから何かかたいものでぶつ」

「それやったら僕は怪我するから、素手にしとこうよ。素手ならだいじょうぶだから」


 ね?と、太郎は笑顔を向けて、1歩を踏み出す。そして朱里の小さな手をキュッと握った。

 幼児らしからぬ物言いと会話に、大人はポカンとしていたが、太郎は朱里に笑みを向け続けた。

 朱里は、そんな太郎をチラリと見て、太郎の握ってきた手にキュッと力を入れると、太郎に1歩近づき


 頭突きした。


「太郎!」

「朱里!!!」

「朱里ちゃん!!」

「あんたは下僕でしょ。きやすくさわらないで」


 痛む頭を抱えた太郎の手が、ブンッ!と振り払われたが、朱里はそっぽを向いて、涙目で唇を噛んでいた。


 まるで悔しそうな、まるで照れくさそうな、そんな表情だった。そして、朱里が何かを言いたげに太郎へと視線向けて目が合った。そんな朱里の表情を見た太郎は、もう帰るわよ!二度と朱里ちゃんと近づかないで!と太郎を抱き抱えたが、太郎は無視して朱里に手を振った。


「朱里ちゃん!また明日ね!」

「ばーか!あしたはどようび!ようちえんお休み!」

「朱里!もういい加減に」

「じゃあ月曜日あそぼう!」

「太郎!!」

「僕朱里ちゃん大好き!」


 絶対月曜日遊ぼうね!と告げた太郎に返事はなかった。

 太郎の母は、帰り道も帰ってからも朱里ちゃんと遊ばないで、違う子と遊びなさいと太郎に言ってきたが、太郎はその全てにNOを言い続けた。

 太郎の母は、なんで……。と消沈していたが、暴君女児の朱里は、まだ子供だ。何か荒れる原因があるんじゃないかと思った太郎だった。だから引かなかった。


「太郎を転園させるにも、また制服代とか掛かるわよね……?」


 不穏な母の言葉も拾ったが、幸い、太郎の家の経済状況はカツカツだった。だから太郎は、自分が転園させられる事はないと確信して、月曜日を楽しみに待った。


 初めて、人と向き合おうとしている。そんな自分にも、ちょっぴりワクワクした太郎であった。
















 

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