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田中太郎、誕生

 胎内ってすげえよ。というのが田中太郎の感想だった。


 勇者だの徳だのと、実際言われてしまえばわけがわからない話でしかなかった真っ白な空間から、話を勝手に終わらせられて胎内へ送られた太郎は、神と名乗るナニカの言い訳を聴きながらそう思っていた。


 まず、驚いたのは居心地が良すぎるという感覚だった。じわじわと温かく、ふわふわと柔らかい。

 更には、記憶があるからこそ感じる味があった。ビックリした。

 当然、まだ舌など作られていない。だが味を感じた太郎は驚きながらはしゃいだ心地になった。

 どんな母さんの元へ送られたのかはわからないが、胎内で、肉じゃが!と感じたり、麦茶!と感じられた味があったのだ。ポテト連投!には、ちょっぴり心配も滲んだが、胎内で感じられる味は太郎の意識をとても楽しませた。そして期待を抱かせた。肉じゃが麦茶とくれば転生先は馴染んだ日本!と。


 そして、なんといっても出来上がっていく体が凄かった。太郎は感動しきりだった。

 まるっこい塊だったものが、目をつくり、脳をつくり、骨を作り、体をつくっていく過程に、太郎は人間の神秘を感じた。特に指先が分かれ手を作り足が伸び、指が出来ていく感覚は、生涯忘れぬと誓った。

 柔らかく温かな胎内で見続ける人間の神秘は、まだ見ぬ母に感謝したほどだ。


「聞いているか勇者。そなたは本当に悲しい前世だったんだぞ」


 例え、耳が育てば聞こえてきた神の言い訳が喧しくても、だ。太郎が最初から備わっていた意識と心は常に穏やかだった。

 勇者に選ばれた自分が、過酷な旅をして、その旅路で仲間を失い、家族をも失い、それでも世界を滅ぼす魔王と戦い勝利をおさめたこと。

 世界は平和になり、魔物と呼ばれていた全てが消滅をしたこと。

 それにより、力があり過ぎる状態で独り生き残った勇者は、だんだんと疎まれるようになり、いつしか脅えられ、生まれ育った国の王から、秘密裏に呼ばれた王の自室で毒殺された事を聞いても、どうでもいいと思えるくらいには胎内にいる時間が幸せだった。


「勇者よ、そなたはそれでも国の為になるのならと笑って死んだ。それをあの王は踏みつけにしたのだ。だから我は」


 今度こそ何の苦労もなく、人間として、のんびりと生きて欲しかったと告げる神の言い訳は、何度も何度も繰り返されたが、太郎は無視した。そんな事より、今度こそ普通の暮らしさせろよテメェ。あと最後の何だ、運命神って。と悪態をついていた。意識の中で、である。

 だがそれに答えが返ってくることは無かった。何度ふわふわする意識の中で聞いても、神とやらの声は返って来る事はなかった。


 そうして、喧しかった言い訳が止んだ頃、太郎は産声をあげたのである。その瞬間を言葉にするならば、寒ィ!眩しい!だった。


「ほんぎゃああああ!」

「おめでとうございます。元気な男の子ですよ」


 田中太郎は、その言葉を耳にした瞬間、日本語だ!やっぱり日本だった!と理解し大歓喜した。やはり記憶にある土地の安心感は欲しかった。そして母と思われる人物に、生まれたての太郎は渡されたのだが、母は言った。可愛い、と。

 大歓喜がみるみる萎む。母の声を拾うよりも反射的に反応してしまう言葉を聞いた太郎は戦慄した。うっとり顔を常時向けられてきた田中太郎の意識がある太郎からしたら、可愛いなんて言葉はトラウマでしかない。だから太郎は力の限り泣いた。やめろ!可愛いって言うな!あと目が見えねえ!俺の母さん誰!と。

 生まれたての赤子にまであの赤らめたうっとり顔を向けられては生後0日にして絶望が始まってしまう。だから太郎は泣いた。目が!開かねえ!顔見えねえ!と。


 その結果、田中太郎は、声が大きくよく泣く子として、母に多大な苦労をかけながら育てられるのである。


 田中太郎が生まれた世界は、太郎が思った通り、うっとりされるしかなかった田中太郎と同じ時代の同じ国であった。なので太郎は転生しても変わらず、日本在住田中太郎である。

 そして名前も、田中太郎で決定していた。

 母の胸から摂取する母乳を、生きるためだと我慢して飲みながら聞いたのは、田中さーん。検温の時間ですよー。という声と、太郎くんはぶっちゃいくでちゅねー。という加齢臭を感じた時に放たれた声で把握していた。ぶっちゃいくと放ったのは太郎の父であった。そしてその父は、太郎の記憶に残る父の声だった。酷い……、と涙声を放った母の声も、その時に認識すれば、記憶の母と同じ声だった。

 太郎はホッとした心地になったが秒で終わった。


 放たれた言葉を反芻し、父さんがブサイクって言った!と歓喜したのである。そこで太郎は、生まれて初めて笑った。新生児微笑という事に片付けられたところでかまわなかった。ぶちゃいく。なんて素敵な言葉なのだと太郎は喜んだ。母は父を睨みつけていたが、視力が安定しない生まれたての太郎が気づくことは無かった。


 それから母が退院した日に太郎が連れていかれた自宅は、可もなく不可もなくな普通の集合住宅だった。

 2DKのそこは、お世辞にもきっちり整えられているわけではなかったが、生活感が溢れる温かい家庭の印象を持った太郎だった。狭い、とは思ったが、これが普通なのかと思えば嬉しくなった。

  怒られたことがない、うっとりしかされない、やんわり距離を取られるしかなかった太郎にとって、転生後の生活は刺激たっぷりの時間であった。


「洗濯は太郎のと別にしてって言ってるじゃない!」

「じゃあお前がやれよ!」


 時々、両親が喧嘩をする声が聞こえれば、太郎は思い切り泣いた。悲しくて泣いた訳では無い。怒鳴り声のような大きな声は、赤ん坊にとっては凶器でしかない。普通に煩くて耳が痛くなるのである。だから太郎は声を張り上げるように泣いていた。うるせえ!つーか痛いんだけど!と。


「おんぎゃあああああ!」

「おい!泣いてんぞ!」

「たまにはあなたが面倒見てよ!父親でしょ!」

「お前が母親だろうが!」


 だが泣く度に両親の喧嘩が酷くなる事に気づいた太郎は、痛みを我慢することにして泣くのをやめる事にした。

 聞こえてくる怒鳴り声に、耳が痛いには痛いのだが、大人の意識を保てる太郎からすれば、我慢出来ない程では無い。それに、これが普通の家庭なんだなという感心もあった。

 太郎には、前世での赤ちゃんだった記憶はないけれど、6SLDKの家を都心部に持つ太郎の両親は、穏やかが過ぎるほどのんびりしていた人たちだった。物心ついてからの記憶を辿っても、両親が怒鳴り合う姿を一度も聞いたことがなかった。そう思えば、普通って騒がしいな。と思えるくらいには、太郎は達観していた。


 ちなみに予防接種では、普通に痛すぎてギャン泣きした太郎である。痛いものは痛い。嫌なものは嫌だ。前世と繋いだ記憶を持つ太郎は、普通に痛くて泣いた。


 そんな乳児期を過ごし、寝返りやつかまり立ちで意識がある分早めにやってやろうとしてみた太郎が、全く無理でふてくされていた9ヶ月で、太郎は同い年の人間と初めて出会う事となる。


「太郎~。あかりちゃんだよ~」

「朱里、太郎くんだよ。太郎くん、仲良くしてね」


 ある日、今日はお友達がくるよ~。と上機嫌な母が部屋の片付けをきっちりしていた日に、アカリという名の女児が、太郎の前に現れた。

 太郎の目には随分近い位置で、ぱっちりした二重の目。ちょこんと前髪を結んでいるリボンのゴムが、女の子らしさを強調していた女児の姿が見えた。

 同月齢9ヶ月。アカリこと、高坂朱里という名の女児は、ジッと太郎を見つめていた。


「あうー」


 なんだなんだこの可愛い赤ちゃんは!赤ちゃん凄えな!可愛いしかねえじゃん!と感心した太郎は、自分も全く同じ姿形の事は棚上げして朱里を見つめ続けた。

 キャーキャー言われない。顔を赤くされない。目だって逸らされない!と太郎は、朱里をジッと見つめてはキャッキャと笑い喜んでいたのである。太郎のトラウマは、深い地中にしっかり根付いたままだった。


「可愛い~!太郎くんご機嫌だねー!あっ、写真撮ろー」

「そうね!撮ろう撮ろう~!」


 向き合っていた姿から、無理矢理隣に並べられ、朱里と太郎をお座りした状態にした母2人は、互いにふふっ。と笑い合う。

 平和だった。幸せってこういう事かな。なんて太郎は目の前の光景を有難く享受していた。が、突然鋭い痛みが太郎を襲った。


「んぎゃあああ!」

「朱里!」

「太郎!」


 隣に座っていた朱里が、太郎の髪の毛を掴み引っ張ったのである。太郎は激痛に思わず声を上げ、朱里の母が慌てて朱里の小さな手を取り、朱里!ダメ!離して!と言うのだが、朱里は太郎の髪を離さなかった。


「ごめん!ごめんね太郎くん!ごめんなさい太郎くんママ!朱里!離して!ダメ!」


 キンッと耳に響く大きな怒鳴り声に、朱里がようやく髪から手を離し、ふにゃあああ!と泣いた。太郎は母にすぐに抱き上げられ頭を撫でられた。


「ごめんなさい!本当にごめんなさい!」

「い、いえ。朱里ちゃんも赤ちゃんだから……」


 うちのがやらなくて良かったわ。という母の声は引き攣っていた。ペコペコ謝る朱里の母親に抱かれた朱里は、もう泣き止んでいて。その朱里が、太郎に向き、ブーッと唇を震わせた。

 唾は飛び、そのあとは、あうー!と太郎に向かってぶんぶんと腕を向け振るっていた。そんな朱里の姿に、ごめんなさい!怪我させたら大変だし、今日は帰るわ!と、朱里の母はそそくさと朱里を連れて帰ってしまった。えっ、痛かったけどそんなんで帰んの?と固まった太郎である。


「……痛かったね」

「あーうー」


 いや別にそこまででは、と思った太郎だった。赤ん坊のした事だ。大人の意識を持つ太郎からしたら、全てを許せとしか思えない。悪意があったわけではない。

 だが母は違ったようで、朱里ちゃん、乱暴な子だから、もう遊ばないようにしようねと宣った。バカかよ!と言いたかった太郎であったが無理であった。


「もー。可愛い太郎ちゃんになんてことするのよねー?」

「あー!んまー!」

「ママって呼んだ!?今太郎ちゃん!ママって呼んだ!?」

「んまー!」


  い、の発音が出来ない太郎は、違うと言いたいのだが無理だった。

  う、はかろうじて出る。んーぶー。もなんとか言える。だが違うという言葉は全く無理であった太郎は、ちょっぴりイライラした。


  普通なの?これ普通?赤ちゃん同士だぞ?という太郎の思い虚しく、太郎はそれきり朱里と会うことはなかった。

  せっかくうっとりしない貴重な人材だったのに!と太郎は怒った。しかし母には通じない。ご機嫌斜めですね~?と言われながらオムツを変えられ尻を拭かれる日々を過ごした。


  だが、太郎が成長し、通うことが決まった幼稚園で、太郎は朱里との再会を果たすのだが、当の朱里にはだれ?と言われ、朱里の母と太郎の母の間には、気まずい空気が流れていた。そして太郎は、その幼稚園生活で、めいっぱい()()の洗礼を受けるのである。




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