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綿菓子(1)

人生は、所詮綿菓子のようにしかなりえない。長い時間をかけて培ってきたモノはそれが形を作る前に微かな甘さを残して消えてゆくのだ。人生に少し飽きて来た椎子しいこはそう考えた。


 美子たちの唯一の子として生まれた椎子は、温室の赤い薔薇のように大切に守られ育てられた。必ず傍に美子がいて、目にするものや耳にするものは全て心地よくあるよう管理された。

「大きくなったらお姫様になるの。素敵な王子様がワタシを迎えに来て、可愛いモノが溢れるお城で楽しく暮らしていくの。」

 おとぎ話が大好きな椎子は真面目な顔でそう発言し、美子たちもそれを頭ごなしに否定しなかった。ピンク色の柔らかな洋服を纏い、鏡台に腰かけておめかしの真似事をする椎子の目を最初に覚ましてしまったのは、祖母の永子であった。

「椎子ちゃん、久々ね。すっかり大きくなって、手足も顔もたくましくなって。ピンクの服もお似合いね、可愛い子ブタちゃんみたい。顔はウチの系統ではないのかしら、美子に全然似ていないわね。宏子も他の孫も鼻は低くないし、目も小さくないし手足も短くないし……」

 思いついたことを悪気なしにぽんぽんと、言葉を習得し終えた椎子に投げているのに気付いた美子が慌てて永子を止めたが、時はすでに遅かった。椎子は自分がお姫様になるような外見をしていないと理解した。その後も大きな集まりがあると二人は顔を合わせたが、祖母に懐こうとしない椎子を永子は疑問に思い、やがて好まなくなり自分の傍から遠ざけた。


 椎子が小学校に入学する頃に、甘い深窓生活も終わりを告げた。カメラマンとして活躍し続けていた慎一が、過労も重なって体調を崩し入院したのだ。

「大変ね、頑張って。でもこっちも生活があるからお金の援助はできないよ。」

 早々見舞いに来た永子は無邪気な表情で言い放った。慌てた義男が病室のカーテンの陰で美子に謝り、事前に用意して来たであろう少し分厚い封筒を手に押し付けてきたが美子は頑なに受け取らなかった。

「悪気はなくてもね。あんなことを言われて、札束でチャラにしようだなんて虫が良すぎるわ。」

 帰り道を運転する美子の、ハンドルを握る手は小刻みに震えていた。義男が差し出した、十枚ほどの万札が入った封筒は結局宏子へと流れて行ったらしい。

「今度おばあちゃんたちとハワイに行くの。お土産を買って来てあげるね。」

美子が椎子を連れて実家を訪ねた時、椎子の従姉である義美は嬉しそうに自慢した。止める様子もなく淡々としている宏子を美子が睨むと、宏子は口をへの字に曲げて言った。

「恨まれる筋合いはないわよ。こっちは大学も出してもらっていないのだから、その分甘えさせてもらっているだけよ。母さんも椎子ちゃんより義美といる方が楽しそうだし。慎一さんの件はご愁傷様だけれど、そっちの家庭で起きたことはそっちで対処してよね。お見舞い金なんて期待しないでよ? 」

 姉の生き方の上手さを改めて羨ましく思い、美子は思わず歯ぎしりをした。慎一の両親に支援を頼むことはできなかった。華やかな世界で活躍していた彼の出身は非常に貧しい家庭だったのだ。結婚する時も慎一が美子へ婿入りするという形をとり、以降いつの間にか交流は途絶えていた。

美子は椎子を出産した後もモデル業を続けていた。勿論慎一以外とも仕事をしていたが、大黒柱であった慎一が倒れた今、モデル業一本で家計を回すのは困難であった。薬剤師としての仕事も掛け持ちし始め、留守番さえ滅多にしたことのなかった椎子は急な鍵っ子デビューを遂げた。


自由過ぎてやることないなあ。」

 授業が終わって一目散に帰った椎子は茶色のランドセルを床に放り出し、制服も脱がないままベッドに身を横たえた。良い環境で育つことが大切と入学が決まった私立小学校で、引っ込み思案な椎子は広く深い交友関係を築くことはできなかった。

「今度の授業参観は、父も母も来られないだろうな。」

 薬剤師としての職も板についてきた美子は、慎一が治療をひと段落させ現場に戻った後も二足の草鞋を履き続けた。家事育児をしながらのダブルワークに今度は美子が体調を崩さないかと慎一は心配したが、むしろ美子はその忙しい生活の中でますます魅力を増していった。

 椎子は自分の両親が、学校に来ることを好まなかった。級友たちに自分の両親を見られることが嫌だったのだ。

「あれが椎子さんのところのご両親? お父様は爽やかな好青年、お母様は可憐な妖精のよう。その子供である椎子さんは……」

 どちらにも似ていないわね、と言われる前に急いで耳を塞ぎ机に突っ伏した。イケメンと美人の子供である自分は、子豚。遠い昔祖母が何気なく掛けた言葉は脳に黒々と刻まれてしまった。実際あの時期のふくよかさは幼児体型特有のもので、今は同年代よりも少し細いくらいの体型であった。祖母の呪いに気付いた美子から数年に渡って肯定的な言葉を与えられても、椎子は外見については完全に自信をなくし、明るい色の服を着るのさえ避けて生きてきた。


「習い事がある日は良いとして、ない日はこの時間がもったいないな。テレビをだらだらと見るのも退屈だし。宿題や予習復習は休み時間で終えてしまったしなあ。」

 ベッドから起き上がって台所に向かうと、美子が用意したラザニアが暮れゆく秋の日差しに包まれていた。インスタントのカフェオレを作りながら椎子はふとひらめいた。

「本でも読んでみようか。読書の秋だし丁度良い。」

 それからの椎子はすっかり本の虫となった。図書室にある本は限度があって年齢相応のモノしか置かれていなかったから、こっそり附属の中学校及び高校の図書室にも忍び込んだ。休み時間は食事を掻き込み急いで宿題や予習復習を終わらせると、図書室に駆けていき本を漁るのが日課となった。司書とはかなりの仲良しとなった。

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