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飴玉(2)


「こんなものなのかな。」

 もう少し上を目指せたかもしれないと思わなくもなかったが、美子は名門と呼ばれる大学に合格することができた。休みなく勉強し続けるのにも無理はあったようで最後の方はさすがに息切れしたな、と掃除もせずに荒れ果てた部屋を片付けながら美子は考えた。何はともあれ両親を喜ばせることができたのは大満足であった。

「良かったわね。美子が名門大学に入って、父さんも母さんも鼻高々だわね。お金もたっぷり用意してくれているって、言っていたものね。」

 実家に帰省してきたタイミングで合格を報告すると、乳飲み子を抱えた宏子は少し棘のある言葉を返して来た。宏子は就職先で年上の男性と結ばれて出産し、諦めたと言う割には未だ仲が良く初孫の面倒を見ようとする永子と義男の元を頻繁に訪れた。名門大学に合格したことで美子の家庭内での株は上がったが、それは長年焦がれた愛情や信頼を埋め合わせてはくれなかった。

宏子の言葉が気に食わなかったので、美子は進学資金にと差し出された金額全てには手を付けず、可能な限り奨学金に頼ることにした。責任を持って自分で返すのならと永子と義男も承諾し、残った金額は若くして母親になり苦労しているだろう宏子の元へ渡ったのであった。


 大学生になってからの美子は衝撃を受けることが多すぎて、五月の連休を迎えた時点で勉強さえしていれば時間の過ぎる高校時代に戻りたいと思ってしまうほどに疲弊してしまった。名門大学に入学する上で覚悟しなくてはならなかったとは思うが、周りにいるヒトたちの会話についていけなかったのだ。

「父もこの大学の卒業でさ。受験勉強の静かに見守って、好物を夜食に差し入れてくれたのが嬉しかったな。」

「母の実家が経営する企業に入社して、将来的にはそこを継ぐ予定なの。」

 バブルと呼ばれる時代に突入しようとしていた。加えて頭が良いとされる人々は、全員とまでは言わないまでも衣食住から家族関係まで恵まれていることが多く、青くなりかけた肉のエピソードなど笑いごとでも話すことができなかった。

「勉強以外特にすることないな。」

 話の合わない人々と交流を持とうとしなかった美子が、放課後に足を向けたのは百貨店であった。少しは自由に使えるようになった小遣いを握りしめて、憧れた屋上のお好み食堂に初めて足を踏み入れ、苺があふれんばかりにあしらわれたパフェを注文した。

「姉さんと母さんはこんなに素敵なモノを内緒で食べていたのだなあ。」

 周りの席ではしゃぐ子供たちに母と姉の幻影を重ね、大きな窓から差し込む夕日も相まって感傷的になったが、気を取り直し銀のスプーンで口いっぱいに頬張った。途端に頭の中で花畑が広がった。

この食堂がまかない付きでアルバイトを募集していることに気付いたのは支払いの時だ。その場で従業員に話しかけ、数日後には講義終了後から百貨店の閉店時間までをこの食堂で過ごし、まかない替わりに廃棄となる運命のパフェの材料をむさぼった。一瞬で消えゆくその場限りのクリームの甘さは麻薬のように頭を支配し、とりことなった美子は食事を摂らずにその快楽に溺れ続けた。

「テレビに写ることに興味はない? 」

 スカウトマンに声をかけられたその日も、大学での講義を終え百貨店に向かうところだった。

「私で良いのですか? 」

 驚きつつも名刺を受け取り、その夜白く甘い泡に包まれながら、美子は会計にある電話のダイヤルを回した。


「世の中には随分とたくさん綺麗なヒトがいるものだなあ。」

 初めての撮影で何人ものモデルと共に晴れた屋外で集められた時、思わず口にしてしまった。低年齢層向け化粧品のコマーシャル撮影だったからか、集まった人々は美子とほぼ同じ年代のヒトばかりであった。背が高いヒト、低いヒト。細長い目がクールな美女、大きな目が愛らしい少女。自分以外の全員が胸を張って立ち振る舞い、高級なまばゆい衣服を纏っていても負けないような輝きを放っているように感じた。背筋を曲げて足をタオルで隠した時、カメラマンの男性から声を掛けられた。

「ちょっとそこの、美子ちゃんだっけ。次は君を単独で写すからスタンバイをお願いね。」

 思わぬ指示を受け周りから痛い眼差しを浴び、美子はおずおずとカメラの前へと歩き出した。

「いいかい。これは日焼け止めの宣伝だが、それ以上の思いをボクはこのコマーシャル撮影に込めたい。君は草原で読書中に、離陸直後の飛行機からの突風を受ける。慌てた君は帽子を押さえ陰から飛び出し、日向で飛行機の行方を笑顔で見つめるんだ。女性が社会の表で、国境を超えて活躍する時代がきっと来る。君の演技で表現するんだ、できるね?  」

 若きカメラマンはニカッと白い歯を見せて爽やかに微笑み、撮影は始まった。撮影現場には何も飛んで来ない。けれどそこには確かに黄金の光を翼に浴びて、上昇しようとする飛行機があるのだ。正面から勢いよく吹き付ける突風はきっと、大きな機体がどこまでも広がる空を切り開いていくことで発生したものだ。髪が乱れるのもそのままに、美子は帽子を押さえつけ、青く澄みきった中に残る細く白い筋に向かって、気持ち良く笑った。不思議と緊張は消えていた。

「……素晴らし過ぎる。君は天才だ。」

 気が付くと、カメラマンは驚いたような表情をして手を叩いていた。別世界にいるように感じた人々までもが美子に拍手を送り、演技を讃えた。

コマーシャルはその年の夏一番話題のトレンドとなり、宣伝した日焼け止めも大いにヒットした。

「大学まで通わせてもらっているのに、何やっているの。」

 少し大きくなった子を抱えた宏子にばったり会った時ため息をつかれたが、学習面でも優秀な成績を修め、その上でモデルという職業で稼ぎも得ている美子に全く憂いはなかった。永子は美子の新たな活動に興味がなさそうであったが、近所や実家に自慢の娘として美子の活躍を吹聴し回っていた。話題のコマーシャルに出演したモデルが働いていると情報が流れ、百貨店が混雑でパニックになったせいで、アルバイトはその後辞めることになった。変わらず甘いモノは大好きだった。

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