カルメ焼き(2)
大学生活で何を勉強したのか、永子は全く覚えていない。しかし都会で過ごした二年間は思い出す度夢見心地になるほどに、光輝く毎日だった。
「永子さん、マンドリンに興味はない? 」
講義の後に友人と町へと繰り出して、プレーヤーのレコードが流すジャズに聞き惚れながら紅茶を楽しんでいた時、突如そんな質問が飛んできた。
「マンドリンが何かも知らないわ。」
「のどかな昼下がりにお似合いの異国の楽器よ、きっと気に入るわ。兄が大学でクラブに所属していて。発表会があるのだけれど、一緒にどうかしら? 」
大きく頷く永子に迷いはなかった。マンドリンにも興味はあったが、何より魅力的だったのは都会の男たちと交流できる機会であった。
マンドリンの音色は美しく、青年たちは更に永子を魅了した。優美で儚いと言われる外見を駆使した結果、数人とは個人的に遊びに出かける仲にまでなった。ああ、こうしてきっと彼らの誰かと結ばれて都会の女になっていくのだ。そんな期待もむなしく、友達以上の関係に発展する事はないまま大学生活は終盤を迎え、永子は実家へ戻された。
「いつまでごろごろしているのだ。見合い話をかたっぱしから蹴とばして。」
卒業して五年が経っても永子は実家に留まり、そのうち近所の噂のタネにもなった。
「あたしのような都会の大学を卒業した女にふさわしい相手が、この地には誰もいないのですもの。」
マンドリンクラブで出会った青年たちの輝かしさを、永子は忘れられなかった。しかし光子までもが嫁に出たこの家に、いつまでも留まる訳にはいかない。ある日永子の父親は一人の男性の写真を差し出した。
「部下の息子だ。ここらへんの出身であるが、都会の大学を出て今もそっちで働いているらしいぞ。」
永子と歳の近い独身男性がいないか、恥を忍んで駆け回った父親の苦労は報われた。永子は首を縦に振り、義男という名の男性との縁談はとんとん拍子に進んでいった。
「お願いだから向こうで上手くやってくれ、そしてまともに生きてくれ。」
永子に振り回された両親は要望に沿った最高級の嫁入り道具を揃えながら、こっそり仏壇に向かって手を合わせた。首を縦に振ってから二週間で、相手の人となりを良く知らぬまま永子は慌ただしく都会へと送り出された。
実際に結婚してみて、義男は永子にとって大変条件の良い相手であった。家を出るまでは農作業を手伝っていたのだろう。マンドリンクラブで知り合った男友達に比べるといくらか色黒であったが、今まで出会った誰よりも背が高く均整のとれた体形をしていて、使う言葉も穏やかであった。
「義男さん、あたしね。今日は百貨店に行きたいの。この前買ったバッグに似合うシルクのスカーフを買いたくて。」
「良いよ、自動車で連れて行ってあげる。永子さんが必要と思うものがあれば買ってきなさい。僕が見ても良くわからないから。」
市役所勤めで安定した収入を得ていた義男は、永子の買い物に一切口出しをしなかった。
二人で過ごす小さな新居は、場違いなほど立派な嫁入り道具の他に、永子が気まぐれに購入する高級な品物で埋め尽くされた。買うという行為で永子の満足感を満たしてしまった品物は結局使われることもなく、やがて床下や押し入れに封じ込められた。
永子が義男との子供を授かったのは結婚から二年ほど経ってからであった。
「ああ、これであたしも立派な母親だ。」
永子は膨らんでいく腹をさすって微笑んだ。これで義男の両親にも孫の顔を見せられるし、最後には追い出すような扱いをした実家にも堂々と顔が出せるようになるだろう。まともな生き方をしていると、胸を張って扉を叩くことができるだろう。女孫ばかりを見て来た義男の両親は、跡継ぎを生めば更に喜び優遇してくれるだろうか。身体の内側から繰り出される振動へ、男の子でありますようにと念じ続けた。