カルメ焼き(1)
人生は、まるでカルメ焼きのようだ。望む時に大口を開けて噛みしめ、一瞬で消えゆくその場限りの甘さを楽しめば良い。長い長い人生を過ごした永子はそう考えた。
この国が最後の戦争へ突入する直前に、永子は片田舎にある豪農の家に誕生した。六人兄弟の五番目。加えて色白の美人で病弱であったことから幼い頃より特別扱いされ、彼女自身もその待遇に心地良さを覚えるようになった。
「ご飯に卵をかけて食べて良いのは、あたしだけなのだよ。あたしだけが一日一つ卵を使うことができるのだよ。」
体調を崩した末っ子の光子に母親がおじやを作ろうと卵を掴んだ瞬間、恐ろしいほどの力で永子は腕を引っ張った。
「あたしは米を食べないと生きていけないのだよ。白い米をお腹いっぱい食べて初めて人並みの力を出せるのだよ。」
配給でやっと手に入れた芋が食卓に並んだ際も永子は顔をそむけ、箸を持とうとしなかった。質の下がった料理に口をつけず痩せ続ける永子を心配した母親は闇市に通い、父親は隠れて取り決め外の稲作を続け、憲兵に見つかった二人はしばらく家に帰って来なかった。
常に家族の誰よりも良い生活をすることを心掛け、妹の病気が長引こうと父母が連れ去られようと、行動を改めようとしない永子を咎めるヒトもいた。
「あたしは、光子が旨そうなおじやを独り占めしようとしたのが許せなかっただけだ。父ちゃん母ちゃんがケチなのを許せなかっただけだ。」
しかし形の良い唇から紡がれる生意気な発言は、悪気はないという理由だけで見過ごされることになった。
「やい、何しにここへ来た。どうせ言葉もわからないくせに。」
国民学校で学ぶようになると、永子は大陸からやって来た少女にやたらと絡むようになった。少女は全く日本語を話すことができないわけではなかったが、それでも伝えたいことを言葉にするのにやや不自由していた。少女の肌は陶磁器のように滑らかで目鼻立ちはくっきりしており、永子とは違った雰囲気の美人として話題になっていたのも気に食わなかった。永子は少女を標的にし、理由もなく執拗に虐げ続けた。道具箱や本へのいたずらは勿論のこと、酷い時には警報の鳴り響く中防空壕への道を妨げたり、頭巾を渡してやらなかったりもした。流石に見咎めた教師たちに捕まって追求されても、永子は表情を崩さなかった。
「言葉も分からないヒトに、意地悪などできなかろ。あたしは得体の知れない異国人を、ただ構ってやっているのさ。」
無理がある言い分に困惑する教師たちを、今度はすがるように永子は見つめた。故意にいじめていたわけではないと判断され、ここでも永子は諌められる機会を失った。
長い戦争は永子の年齢が二桁になってしばらく経った、ある暑い夏の日に終わりを告げた。その後の農地改革やら何やらといった影響で永子の家も昔の勢いは衰えたが、姉たちに嫁入り道具を揃え、男兄弟を大学に通わせるくらいの余裕は保っていた。
「父ちゃん母ちゃん。あたしを都会に出して、大学に通わせてくれよ、兄ちゃんたちみたいにさ。」
身体の弱さを言い訳に手伝いもせず、高等学校と家の行き来と余った時間を流行り本に費やしていた永子はある日の夜、団らん中の両親に意を決したように声をかけた。
「兄弟姉妹に差をつけるつもりはないのだけれど、どうしても進学は男性陣が優先になって申し訳ないねえ。でも姉さんたちと同じく、永子もお嫁に行く時には精一杯の豪華な品を揃えてやるつもりだよ。それとも何だい? 都会に出て勉強したいことでもあるのかね? 」
二つ返事で了承してもらえると考えていた永子は思わぬ両親の反応に眉を顰め、涙をこぼしつつ顔を真っ赤にして叫んだ。
「勉強? 嫁入り? あたしはこんな片田舎で人生を終わらせたくないの。だから高等学校を卒業したら都会に進学するのさ。」
大学に行く意義や今の経済状況を話しても無駄だと悟った両親は、卒業後は花嫁修業に勤しむことを条件として、希望通りに大都会の女子短期大学へ進学を認めた。
「思い立った時ふさわしい相手に望むことを言えば、大抵のことは叶うのさ。あたしの場合はね。」
引っ越すために荷物をまとめるのを羨まし気に眺める光子に、永子は小さな口の端を上げて得意気に言い放った。欲しいと思ったモノに手を伸ばさないでいれば、それは目の前で微かな甘さだけ残して消えてゆくかもしれない。一度だけこの地で空襲があった時に、焼夷弾が慣れ親しんだ風景全てを奪い去ったように。指を咥えてそれを眺め続けるほど人生は長くないから、思い立ったことはすぐに実行しなければならないのだ。
人生に対する永子の貪欲さに、光子は少し引いていた。幼いうちから栄養価の高い食べ物を優先的に与えられた影響もあってか、永子の病弱さはいつのまにか影を潜めていた。