97. パンクバンド
原宿・渋谷を巡り歩いた買い物疲れで、二時間ほどみんなで横になって、昼寝から目覚めるとそろそろ六時だった。
今日は、七時からマサたちのバンドとの合同練習。俺も見に行くことにした。
トミーはもう一度さっきの格好に着替えさせられた。
エッチも、買ったばかりの白い透け透けのブラウスに白いチューブトップブラ、下はジーンズのワイドパンツを履いて、頭は白のウィッグを付けていた。
「あたしだけこのまんまかよ〜」とアイナが言うので、エッチがタンクトップを貸し、俺がハワイで買った赤いキャップを貸した。タンクトップの裾からヘソが見えてるのが、たいへんよろしい。
レイナちゃんにも新しい服を着せて、いざ出発だ。
国立府中から中央道に乗り、調布インターで降りて20号から調布駅の南口に向かう。駅のすぐ裏手にそのスタジオがあった。
下道が混んでいたので、時間ギリギリ。
マサたち六人はすでにロビーで待っていた。
メンバーは五人なのだけど、もうひとりバンドに入りたいという男が一緒についてきたそうだ。
全員黒づくめで、髪をツンツンに立てて、腰にチェーンをジャラジャラ言わせ、目の回りには黒いシャドウを入れていた。
ピアスや指輪もごつい。鼻や下唇にピアスをしてるヤツもいる。
「今日はみんな気合い入れて来たんすよ」とマサの弟分のタツヤが言っていた。
みんなガタイがよく強面だけど、レイナちゃんは怖がることもなくキャッキャッと笑っていた。
「ところで、そっちの人は誰なんですか?」とマサが訊く。
「トミーだよ」
エッチが答えると、みんな仰天した。
「ええっ! あの事務員の人!?」
「事務員ではないけどね。どう、カッコいいでしょ?」
「スゲーっす! 最高っす! もうメロメロっす!」
タツヤが叫ぶように言って、目は透け透けの胸に釘付けだ。
「あれ、タツヤ君は私のファンなんじゃなかったっけ?」
「まこさんも天使っすけど、トミーさんも最高っす!」
まったく調子のいいヤツだ。
ここのスタジオはバンドごとに会員登録が必要らしい。
エッチが登録をする時に「あ、バンド名なんにしようか」と言うと、アイナが「エッチのバンド」、トミーが「レイナちゃんズ」と勝手なことを言っていた。結局なんと書いたのかは知らない。
「あの、この子はすぐに連れて戻ってきますので、一緒に入ってもいいですか?」と俺が受付の女の子に訊ねると「あ、ぜんぜんいいですよ。もしなんなら少しの間ならあずかってもいいですけど」と言ってくれた。その女の子の目は、すでにレイナちゃんにとろとろだった。
ぞろぞろとスタジオに入り、まずマサたちのバンドが演奏することになった。
機材をセッティングしながらマサがメンバーを紹介する。
リーダーでベースのマサ。
サイドギターのタツヤ。
リードギターはヨウジ。
ドラムスが巨漢のリュウ。
ボーカルはヤサ男のショウ。
そして加入希望のサトシは楽器が出来ないらしい。
チューニングででかい音を出し始めたのでレイナちゃんがびっくりして泣きそうになり、トミーの胸にしがみついている。
俺が慌てて外に連れ出し、受付の子に「30分くらい見ててもらえますか?」と言って預ける。
レイナちゃんは人見知りもせずにその子に抱っこされていた。
スタジオに戻ってエッチたちと隅の椅子に座る。
13畳の広さだというスタジオも、十人入ればかなり狭苦しい。
「じゃ、一発やりますんで」とマサが言って、ドラムがスティックでカウントを取る。
ギャギャギャギャーっとギターが大音量を鳴らし始めた。
ドゴドゴとドラム、ギュワンギュワンとリードギター、ブブブブとベースが一斉に重なり、スタジオ中に爆音が満たされる。
椅子が浮きそうになるくらい、空気が体を押し付け揺さぶる。
そしてボーカルが体を折り曲げながら何か叫び始めた。
音が暴力的なまでに渾然一体となって部屋を揺るがす。
どうやらパンクロックというやつらしい。
エッチたちは平然として彼らをじっと見ていた。
なにがどうなってるのかわからないうちに一曲が終わった。
静まったスタジオに、ジーッとジッター音だけがする。
その音は鼓膜がバカになったせいに思えた。
「こんな感じっすけど、どうでしたか?」
マサの声もまだくぐもって聞こえた。
エッチたちは「う〜ん」と顔を見合わせて何も言わない。
堪らずトミーが「今のってグリーン・デイの曲だよね、何だっけ?」と訊く。
「あ『チャンプ』って曲っす」
「あ、そうそう。90年代だよね、なんか懐かしいな。私は『バスケットケース』とか好きだなあ」
「あれもカッコいいっすよね、次に練習するつもりっす」
「ま、とりあえずあたしらもやろうか」
「そうだね」
メンバーが入れ替わる。
トミーがドンドンとバスドラを踏んで「やっぱりこの靴じゃムリ」とブーツをドラムシューズに履き替えた。
エッチとアイナもエフェクターをつないでアンプの設定をいじっていた。
「じゃ、いい?」とエッチが訊くと二人が手を挙げる。
ズドンとドラムが鳴ると、すぐにギターとベースが重なる。
マサたちのようにでかい音じゃないからか、ドラムス、ベース、ギターの音がそれぞれ明瞭に聞こえる。
音がパキッとしている感じだ。
微妙に音量を調節しながらバランスを取り、顔を見合わせて頷き合う。
そしてエッチが歌い出す。
何度か聞いたことのあるエッチのオリジナル曲だ。高校生の時に作って、いろいろ変えながら『タイムスリープ』というバンドの時にやっと完成したと言っていた気がする。
このバンドで聞くのは初めてだけど、またどこかちょっと変えたのか、すごくカッコいい。
エッチのボーカルは少し抑え気味なのか、以前よりクールな感じに聞こえる。なのに声に広がりがあって言葉がきっちりと伝わってくる。ところどころで入るトミーのバックボーカルのせいだろうか。
歌詞は「雨に濡れた子猫に誰も振り向きもしない」というような、寂しくて切ない曲なのに、みんな弾みながら楽しそうに演奏している。
あっという間に曲が終わった。
マサたちは「ウオーッ!」と言いながら立ち上がって拍手をしている。
もちろん俺もだ。
この曲が売られてたら、絶対買うだろう。
「私たちはこんな感じ」
「スゲーっす! 最高っす!」
タツヤが毎度同じセリフを言う。
でもまったくその通りだ。
「三人だけでこんな音出るのか」
マサが唖然としていた。
他の連中も似たり寄ったり。
「その衣装のせいか、いつもと音が違ってたな」
「このライドシンバルがよく鳴るせいじゃない? それよかコルセットきつくて大変だったよ〜」
「アイナのベースだって、いつもより冴えてたんじゃない?」
「そりゃマサに一発手本を見せないとだしな。あんなモッタリした音じゃ曲が泣くわ」
「俺、そんな酷かったか? 姉貴」
「ダメダメのダメだな」
「くっそ〜」
「お前さ、ピック弾きするんならもっと歯切れよく弾かないと音がズルズルして聞こえるんだよ」
「ちょっとやって見てくれよ」
「あたしはピックで弾くことないから上手くないけどな。お前のはこんな感じ。もっとこうピックが当たる瞬間に一瞬ミュートする感じかな」
「おお、すげえ! なるほどな! 腐ってもプロだな」
「誰が腐ってるって?」とマサのピアスを引っ張る。
「いててて、やめてくれ、耳が千切れるって」
「あ、まこさん、じゃなかったエッチさん、俺のギターはどうでした?」とタツヤが訊く。
「う〜ん、なんていうか、ただうるさいだけだったかな」
「パンクってあの爆音がいいんじゃないっすか」
「それはちゃんと楽器を鳴らしてからの話だね」
「鳴らしてたっすよ〜」
「ちゃんと自分の音、聞こえてた?」
「他のやつらの音もでかいんで、負けないように俺もどんどんボリュームあげてるうちに、どれが自分のギターの音なんだかわかんなくなっちゃうっす」
「でしょ〜。自分の音もだし、他の人の音ももっとちゃんと聞かないと」
「それ、どうすればいいっすか?」
「とりあえずは、もうちょっと音を絞って誰がなにを弾いてるのかよく聞くことかな」
「それじゃあ迫力出ないんじゃないっすか?」
「私たちの、どうだった? 音量物足りなかった?」
「イヤ、そんなことないっす。CD聞いてるみたいだったっす」
「音の迫力なんか、でっかいスピーカーで鳴らせば誰だって出せるんだから、それよっかちょうどいいバランスの方が何倍も大事だよ」
「バランスか〜、わかったっす。お前らもわかったか?」
「ういっす!」
「あの、俺の歌はどうでしたか?」
「えっと、なんたっけ?」
「あ、ショウです」
「うん、そうだな〜。ショウは歌詞の意味わかって歌ってる?」
「なんとなく……。だけど英語なんてしゃべれないし」
「ま、それはいいんだけどね。やっぱカタカナ発音だといまいちノリがねえ。はっきり言って、なんか怒鳴ってるのしかわからない」
「じゃ、どうすれば」
「そうだなあ。トミー、どうしたらいいと思う?」
「まずなにより滑舌かな〜。モゴモゴこもって他の音に埋もれちゃってたし。マイクも握り込みすぎ」
「ああ、そっか」
「こう普通にしゃべってると声はいいんだから、もっとマイクに乗る歌い方を研究するといいよ」
「わっかりやした! ありがとうございます、姉御」
「あ、姉御!?」
「姉御、俺にもドラムの叩き方教えてもらえませんか?」
のっそりとリュウがでかい体で迫る。トミーがひぃっとのけ反る。
「キミ、でっかいね〜。どのくらいあるの?」
「195の120キロっす」
「こいつ、中卒で相撲部屋に入って幕下までいったんすよ」
「へ〜お相撲さんか〜」
「今はしがない土方の下働きっすけどね」
「いくつなの?」
「21っす」
「ドラム始めてどのくらい?」とトミーが訊く。
「半年くらいっす」
「そっか〜、ならまだまだこれからね。ドラム面白い?」
「はい。やっと手足が動くようになってきて面白くなってきたっす」
「こう見えて、こいつけっこう真面目っていうかマメなんすよ。毎晩ひとりで倉庫で練習してるし」
「そう、いいわね。その体格だとやっぱパワードラムだねえ。だからって言って力任せに叩けばいいってものじゃないのよ」
「そうっすか……。どういう練習したら、姉御みたいなイカしたドラムたたけるんでしょう」
「そうだなあ、まずは音を揃えることかな。さっき聞いてたら手足がバラバラだったからね。特にスネアの音はしっかり聞かせないと。ほら、こことここで叩く場所によって音が違うでしょ? 常に同じ打点を打つように心がけること。そうしたら他の音もだんだん揃ってくると思うわ」
「お〜なるほど! さすが姉御っす!」
「もう、その姉御っていうのやめてくれない?」
「じゃあ、師匠」
「それも!」
「やっぱ姉御は姉御っすよ。今日はまたえらいカッコですね〜」
「へん、かな?」
「いやいや、最高っす! イカしてるっす!」
「特におっぱいが、でしょ」とエッチが茶々を入れる。
「はいっす!」
みんな揃って首を振った。
トミーが赤くなるけど、もう身を縮めたりはしない。しっかり背筋を伸ばして胸を張っている。
まあ、縮めたくてもコルセットがそうさせないのかも知れないけど。
「あの、俺にもなんかアドバイスもらえますか?」
リードギターのヨウジが言う。
「そうだなあ、タツヤくんに言ったのとおんなじ感じかな。あ、そういえばキミ、ずっと下向いて弾いてたでしょ。もっと堂々と前向いて弾いた方がカッコいいよ。せっかく聞かせどころのリードなんだし」
「うっす。でもついつい手を見ちゃうんっすよね」
「ああ、その気持ちは分かるけど、見るより聞かないと。自分の音もそうだけど、他の人の音もね」
「そっすか、わかりました。やってみます」
「そんならもう、みんな目をつぶって練習してみな」
アイナが提案した。
「あ、それいいかも」
「目つぶったら百パー間違える自信あるっす」
タツヤが自信満々に言う。
「どこで間違えるか、自分はなにが出来てないのか、よくわかるし、いいんじゃない? そのための練習だしね」
「そうっすか? 間違えてもマサにい怒んない?」
「さあな」
「ひえっ」
「だけど俺だって間違えるだろうしな、ちゃんと直していけば怒んないよ。いつまでたってもそのまんんまだったらぶっ飛ばすけどな」
「ういっす、頑張るっす」
「あ、いいこと思い付いた! ちょっと待ってて。また練習始めてていいよ」
そう言ってエッチがスタジオを出る。
俺も一緒に出て、あとはレイナちゃんとロビーで待つことにする。
エッチは受付の子にコンビニの場所を聞いてなにかを買ってきた。
黒のパンストが五枚。
袋を開けて取り出し、受付の子にハサミを借りて、太もものあたりを輪切りにした。
そしてそれを頭から被り、目を隠した。
「これだと、まだけっこう見えちゃうか」
「折って重ねたら?」
「そっか〜」
三重くらいに重ねると、ほとんど見えなくなるようだ。
「うん、これならいいかな。どう?」
「なんか怪しい人だな」
「あははは、パンクっぽくてよくない? 二重くらいにすれば周りも見えるし、ステージでも使えそう」
受付の子がレイナちゃんを抱っこしてやって来た。
「それ、面白いですね〜。赤とか白とかにして、うちのバンドでもやっていいですか?」
「いいよいいよ、バンドって見た目のインパクトも大事だからね」
俺がレイナちゃんを受け取ると、受付の子はエッチと一緒にパンストを切るのを手伝っていた。
「どんなバンドやってるの?」とか「どっかにいいギターいないかな」とか話していた。
そのうち「今度一緒に練習しようか」と話がまとまる。
エッチが「じゃあこれ私の連絡先」と名刺を渡すと、代表取締役社長という肩書きにびっくりしていた。
「じゃ、また後で話そう」とエッチがスタジオに戻って行った。
「世話してくれてありがとう。このコぐずったりしなかった?」と受付の子に礼を言う。
「いいえ、まったく。レイナちゃん、可愛くってすっごくいいコですね! パパも優しそうだし」
「いやいや、俺はパパじゃないよ。背の高い金髪の人の子供」
「あ、そうだったんですか、ごめんなさい」
今の時間は受付も暇らしく、いろいろと話をした。
矢木純という名前で二十歳だそうだ。
お姉さんの子供が一歳ちょっとで、赤ん坊の世話は慣れてるとのことだ。
プロを目指してバンドをやっているフリーターだと言う。
「うちのバンドもそこそこイケるんじゃないかと思ってるんですけどね。ここからどうすればプロになれるのか、さっぱりわからなくて」
「う〜ん、難しいよね。やっぱり地道にやっててチャンスを待つしかないんじゃない?」
「ですよね〜。どっかにチャンス転がってないかな〜」
「うちのエッチも、あ、さっきの人ね、あいつもプロを目指して諦めたクチだからな。もしなんだったらいろいろ訊いてみると、なんかヒントのひとつもつかめるかも」
「エッチさんって言うんですか? おもしろ〜い! もしかしてアイドルの卵だったんですか?」
「いやいや、バリバリのロッカーだよ」
「え〜! あんな素敵な人でもプロになれなかったんだ。もう自信なくしちゃうな〜」
「今度は自分でインディーズレーベルを立ち上げるらしいよ」
「えええっ、すごい! あ、だから社長さんなのか、すごいなあ。それになんか面白そう!」
「うん、彼女といるとなにが起こるかわかんないから、面白いことだけは保証するよ」
「うわ〜、もしかしてすごい人と知り合っちゃった? あの、練習終わったあと、どっか行ったりするんですか?」
「たぶんね。みんな腹ぺこだろうし」
「私も今日十時までなんです。一緒についてちゃってもいいですか?」
「いいと思うよ。さっきもあとで話そうとか言ってたし」
「じゃ、いきなりですけどお邪魔しちゃいます。なんかチャンスの予感!」
「そのアグレッシブさがあれば、きっと大丈夫だよ」
「あははは、その言葉信じちゃお」
「時間があるなら、ちょっとスタジオ覗いてくれば? なんかあったら呼びに行くから」
「え、いいんですか? なら十分くらい見てこようかな。ほんとはここ離れたらダメなんですけどね」
「こっそりと」
「はい、こっそりと」
そう言ってジュンはスタジオに向かい、上気した顔でフラフラと戻ってきた。
呆然として、しばらくは口を開かなかった。




