64. 共犯者
交代でシャワーを浴びて戻ると、エッチが冷蔵庫の中を覗いて「何にもないねえ。ついでだから買い物に行こう」と言った。
近所のスーパーは夜九時閉店なので、急がないと間に合わない。ギリギリで飛び込んで、レジを済ませる時には最後の客だった。
肉や野菜や卵や調味料を詰め込んだ袋を下げて、冬空の下を肩をすぼめて並んで帰る。
道すがら、エッチの話を訊いた。
「最近はどんな仕事してるの?」
「この間までは、マヨネーズ工場で夜通し卵の殻割りを見つめてたよ」
「ええっ! そんな仕事してたんだ」
「他にもいろんなことやったなあ。スーパーの魚コーナーの裏で延々魚を捌いたり、ガールズバーでカクテル作ったり、AV時代の友達のブティックで販売員したり、そうそう軽ワゴンで宅配もやったし」
「なに、そんなにお金に困ってたんならうちに来ればよかったのに」
「違う違う。お金のためじゃなくって、なんか面白い仕事ないかなっていろいろやってみただけ。私って高卒で、しかも定職についたこともなくて、元AV女優なわけで、働くとしても結局パートの仕事しかないんだよね。あ、でも風俗関係はやってないから」
「うん」
「でも、どっからか元AVっていう噂が立って、白い目で見られたりセクハラされたりで、どこもあんまり長続きしなかったけどね」
「今は?」
「今は無職。次は何しようかなって思ってたとこ。でもバンドの時みたいな情熱持てる仕事って、やっぱないよなあって……」
「じゃ、俺の話タイミング良かったんじゃない?」
「そうなのよ。タイミング良過ぎて、また夢を見ちゃいそうで、それが怖いの」
「まあ、俺も怖いからな。道連れっていうか共犯者みたいなヤツがいないと、ひとりじゃ怖くて、そこでエッチに白羽の矢を立てたってわけだ」
「他には誰かいないの?」
「それがいないんだよな。俺の気持ちとか考えを分かってくれそうで、ちゃんと信頼出来る人間って」
「親とか親戚とか、なんたっけ、赤い先輩」
「ああ、マオ先輩ね。富山の知り合いには、なんとなく頼りたくない、っていうか頼れない気がする。それぞれ自分の生活や生き方がしっかり固まってるから掻き乱したくないしね」
「ああ、そういう気持ちは私も分かるな」
「それに大金が絡むと絶対にトラブル起きるの目に見えてるしね」
「私ならいいわけ?」
「うん」
「なんで?」
「なんでかな〜。エッチはそういうことしそうにない気がする」
「そういうことって?」
「人を騙したり、持ち逃げしたり、とか」
「なんで? どっからその信頼が生まれてくるわけ? 私って金に目がくらんでAVやってた人間だよ?」
「要するに、好きだからってことなのかな。エッチになら騙されても持ち逃げされてもしょうがないって思えるし、頼んだ俺がバカだったってことだしね」
「う〜ん……。まあ私もハナのことは信頼出来るし、好きは好きなんだけど……」
「けど?」
「なんで私なんだろうって、この間からそこがずっと気になってたの」
「好きだからじゃダメ?」
「それだけじゃダメでしょ、やっぱ。新しい仕事始めるんだったら、そういうノウハウって言うかいろいろ詳しい人が必要でしょ?」
「エッチならグラビアアイドルやAVの経験を活かしてもらえるかと思うんだけど」
「でも経営とか分かんないよ?」
「俺だってそうだし、そもそもそんなに大きなプロダクションにするつもりはないし。金儲けするためじゃなくて道楽のようなもんだしね」
「そんなのすぐ潰れそう」
「潰れないようにどこまでできるかって感じかな」
「いい加減やなあ」
マンションのガラス扉をくぐりながら、そこに怒ったような困ったような顔が映っていた。
俺のリクエストに応えて作ってくれたオムライスは、ふわとろですごく美味かった。
ローテーブルで床に足を伸ばして食後のコーヒーを飲みながら話の続きをする。
猫が俺の匂いを嗅ぎながら、そっと膝の上に乗ってきた。もう一匹はエッチの膝で寛いで体を舐めている。
「このマンションってペット可じゃないよね?」
「うん。まあこっそり飼ってる人はいるみたいだけど」
「バレて出て行けって言われない?」
「そんならその時のことさ。まあ金ならあるし」
「あはは、そっか」
「こんなに金持ってると、出来ないことはないみたいな万能感が生まれてくるよね。その反動で、めちゃ怖くてブルブル震えることもあるけど」
「あー、私もそんな時期あったな。まあ桁が違うけど」
「かなり溜まったって言ってたじゃん? その金でなんか商売とかしようと思わなかった?」
「まあ考えなくもなかったけど、なんか面倒そうで。やりたい商売もなかったし、あと金が絡むと人間関係が拗れそうでさ」
「ほら、俺とおんなじじゃん」
「うん、やっぱりそこまで信頼できる人ってなかなかいないよね」
「そうだよなあ」
「で、ほんとに私でいいわけ?」
「うん。もしエッチが一緒にやってくれないんなら、俺もこの話やめるかも知んない」
「もう、そんなこと言われたら責任重大じゃない」
「そうだよ。俺の人生を賭けた大勝負だからね」
「う〜ん……私も腹を括んなきゃなんないってことね。で、勝算はあるの?」
「ない」
「あのね……」
「ないけど、きっと面白いと思う。いや、絶対に面白いよ。エッチも、もしライブハウスをやるとしたらワクワクしない?」
「する」
「十二億、使い果たすまで、やりたいことやってみないか?」
「……共犯者になれって?」
「そう」
「はあ〜、分かったよ。ハナって人畜無害なふりして案外ひとたらしだよね。でも、共犯者に誘ってくれてありがとう」
「ほんとに!? やってくれる!? いいんだね!?」
思わず腰を浮かすと、胡坐にすっぽり収まって丸まってた猫が、迷惑そうに片目を開けてニャと鳴いた。
「もしこの子たちがハナに懐かなかったら、すぐに帰ろうと思ってたのよ」
そう言って母親の顔で二匹を交互に撫でる。
思わぬところで猫様様だった。途端に愛しく思えてくる。
「その条件と言っちゃなんだけど、さっきも言ったみたいに、ハナとは対等でいたいのね。もちろん誘ってくれて感謝してるし、お金を出してくれるのはありがたいんだけど、気持ちとしては対等でいたい」
「うん、俺もそうでいたい」
「口を出してくれてもいいけど、縛られるのはイヤ。私のやりたいようにやらせて欲しいの。もちろん失敗したら責任は取るから。どんな形でも」
「うん、そうしよう。俺の金ったって、元々なかったもんだし、出し惜しみもしないし、それで縛りつける気なんてさらさらないから。第一そうなったらすぐにどっかに行っちゃうだろエッチは」
「そんな無責任じゃないよ」
「そう?」
「まあ、たぶん」
「あはは。じゃあそういうことで俺の共犯者になって下さい」
「はい」
「で、この際結婚しない?」
「う〜ん、それとこれとは話が別だなあ。あ、ハナと結婚したくないってわけじゃないよ。ただ、なんていうかさ、結婚っていうイメージが自分の中になかったから、すごく戸惑いっていうか、不安っていうか、年貢の納め時みたいな気がしちゃって」
「年貢の納め時って……、これからなのに」
「そう、だからなんかチグハグで……。そうだ、三十五までっていうのはどう? 私が三十五になってもまだお互いに好きなままだったら結婚しようよ。どうかな?」
「あと六年ちょっとか。それまでにこの夢がどうなってるか分からないからなあ。ああ、逆に六年後を目指して頑張るっていうのはいいかも知れない」
「うん、それまでに軌道に乗せるように頑張ろうよ」
「いいね、そうしよう! で、それまでは禁欲生活しなきゃダメ?」
「え、このまま、恋人のままでいいんじゃない? 私だっていちおうまだ女盛りなんで、いっぱいしたいし。エッチの名はダテじゃないよ?」
「ふう、よかった。なら文句はないよ。じゃさっそく……」
「仕事は大丈夫なの?」
「明日頑張る。ああ、今の仕事も辞めなきゃな。明日連絡するか」
「もうちょっと話を具体化してからの方がいいんじゃない?」
「いや、どうせなら早い方が踏ん切りがつくし、後顧の憂いを断っておかないと」
「どういうこと?」
「逃げ道をなくすってこと」
「そっか〜。私も覚悟を決めないとだね」
「共犯者だからね」
「なんか悪いことしそう」
「さて、どんな悪いこと企もうか」
そう言って、猫を膝の上からそっと下ろしてソファに寝かせる。彼女も同じようにする。
そして寝室にこもって夢と野望を語り合いながら、幸せな時に体を溶け合わせた。




