60. あてもないまま
新しく入ったキーボードの人はリカコさんという名前で、無表情で、あんまりしゃべんない人で、いつも黒い服を着てた。小さい頃からピアノをやってて、音楽の知識はバンドの中でいちばんあったから、音楽的なことはリカコさんがリーダーみたいな感じになってたの。それでもムダ話なんかはしないから、あんまり仲良くはなれなかった。
ある日、練習終わりに「ちょっと来て」って海岸まで連れてかれたのね。
なんか怒られたりするのかなってちょっと緊張してたんだけど「自分、あの人たちとなんかしてるん?」って訊かれて、どういうことか分かんなくて、ようするにメンバーの先輩たちとセックスとかしてるのかってことだったのね。まあけっこう可愛がってもらってたし、そう思われてもしょうがない感じもあったけど、特に体の関係はなかったの。そう言ったら「ふ〜ん、ならええわ」って。あんまり男に媚び売らんようにせんと誤解されるよって言われて、私ってそう見えるのかって初めて気付いたの。
それから「エッチの歌、悪くないと思うわ。でも男の歌ばっかりやし、もっと等身大の女の子の歌の方がええと思うな」ってアドバイスもくれた。
それから少しして、リカコさんが「こんなん作ってみたんやけど、どやろ」って曲を弾いてみせてくれた。『気まぐれガール』っていう曲で、私をイメージして作ったんだって。
軽い女って言われるけど、あたしそんなんじゃない。でも優しくされたらすぐ好きになっちゃう。あたしは気まぐれ、恋多き女の子。そんな感じの歌だった。
なんか言い当てられたみたいで、みんなもエッチにぴったりだって、バンドのテーマソングみたいになったの。
リカコさんが「エッチもなんか作ってみたら」って言うんで、見様見真似で曲作りを始めた。曲よりも詞を作る方がたいへんだったな。それは今もだけど。
まあボツったのも多かったけど何曲かオリジナルができて、先輩の高校の学祭に出たりしたら、洲本あたりではちょっと有名になってきて自信も出てきた。夏には浜辺のステージで歌ったりもしたな。
誰でも入れるような商業高校に入ってからは、ますますバンド命になってきて、歌えるところならどこでも行って歌った。他のバンドとも仲良くなったりして、たいてい私がいちばん下だったからか、そういう人たちにも可愛がってもらった。あの頃は、ほんま毎日が楽しかったな。
淡路にはライブハウスなんてないから、誰かのクルマで神戸まで行ったりもした。「うちらもこういうとこでやりたいなあ」ってオーディション受けようとしたけど、高校生は出られないって言われて断念したこともあった。
そんなふうに仲良くなった年上の人の何人かと付き合った。
みんな音楽やってる人だから、いろんなこと教えてもらったし、私の話も分かってくれたし、エッチもプロ目指したらええんやないかって言ってくれたりして、私もだんだんその気になってきたり。
あと、恋多き女の子っていうのがカッコいいと思ってて、いっぱい恋しようって、いろんな人と付き合ったり別れたりしてたなあ。そのせいで、尻軽とかサセコとか言われるようになっちゃったんだけどね。まあ、しょうがないけど。どこの学校にもそういう子は何人かいるでしょ。
進路希望に「ロックスター」って書いたら、真面目に考えろって言われて、私としては本気も本気だったんだけど、親も呼び出されて、しょうがなく「巫女さん」っていうことにしといた。
バンドメンバーにも、東京に行ってプロになろうよって言ったら、みんな「そんなつもりないわ、俺らじゃムリやし」って言うんで私もだんだん自信なくなってきて。でも、このままずっと淡路にいるのはイヤだなって気持ちは消えなくて。
先輩たちも高校卒業して神戸や大阪の大学に行くことになって、バンドは解散してしまった。
それからは他のバンドのゲストでちょこっと歌わしてもらったりしたけど、ひとりで曲作りして過ごしてた。佐野元春のような詞を書きたくていろんな詩集を読んだりもした。やっぱりバンド仲間がいないと張り合いがなくて、その時付き合ってた人とクルマの中でセックスばっかしてた。
卒業するのを待って家を飛び出した。
お父さんにぶたれ、お母さんに泣き縋られるのを振りほどいて、ほとんど着の身着のまま、メーカーも分からないチューニングのすぐ狂う傷だらけの三万円の赤いレテキャスだけを抱えて、何のあてもないまま東京に向かった。




