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49. 黒沢翆との出会い


 彼女が居なくなって、しばらくは心苦しかったけど、だんだんとひとりに慣れてくると自由を実感した。自分のペースで暮らせるのが喜ばしかった。

 どれほど息の詰まる生活だったのか、思い返すだけでため息が漏れた。今考えても、元々相容れない二人だったように思う。

 願わくば、彼女が自分に合った人と新しい幸せを見つけてくれますようにと祈るばかりだ。


 学校もバイトも順調で、生活も安定してきた。


 進級課題でミュージックビデオの制作を行った。映像学科のチームと音楽学科のチームの合同制作で、臨時に組まれたバンドと楽曲の制作から始まった。曲のコンセプト、歌詞のフレーズ、アレンジ、楽器編成、バンドメンバーのキャラクターなどを考えながら絵コンテを作る。途中で、ダンスやメイクなど他の学科の人も巻き込んで、けっこう大掛かりなものになって行った。

 俺は他のメンバーよりも少し年上なので、それだけの理由で統合ディレクターにされた。

 横浜にあるレンガ倉庫の一画を借りて、二日がかりで撮影を行った。その五時間分のテープから三分弱のMVに編集して行く。どのカットをどう使ってどう繋げていくか、喧々諤々言い合いながら、二週間かけて完成させた。自分たちではプロにも負けていないと思える作品になった。

 学校のホールでの上映会は採点の場でもある。同じように課題で作られた作品が大型モニターに上映され、講師がそれぞれ厳しい意見を言ってはその場で採点していく。俺たちの作品は「どこかで見たような感じだね」「ちょっとバストショットが多すぎるな」「ロケーションがうまく活かしきれてない」などと言われたけど、他の四作品を上回る点数で優秀賞を貰った(最優秀賞は該当なしだった)。

 その夜は、制作に関わった人たち全員で打ち上げ兼祝勝パーティーで盛り上がった。みんな、やり遂げた感満載の笑顔だった。

 臨時のバンドだったけれど、曲も良かったし、どうせならもうちょっと続けてみないか。そしてこのMVを知り合いの音楽プロデューサーに見てもらおうと言うことになった。

 それなら講師の意見を受け止めてもう一度編集し直してみようと俺が提案すると、なら任せたと一任されてしまった。

 三日かけて編集し直したものは、なるほど前よりもメリハリが効いて、さらに良くなった。

 どこかの音楽プロデューサーに持ち込んだところ、バンドはそのままデビューすることになってしまった。嬉しい誤算だった。

 最後のテロップには『映像ディレクター 野木発』とクレジットされている。どこかで誰かの目に留まればラッキーだ。


 俺もバイト先の映像制作会社の人にそのMVを見てもらった。

「ほ〜、野木君はこういう方向に進みたいのかい。もしそういう仕事があったら声を掛けようか」と、なかなかいい反応だった。

 この会社は主に企業PRビデオの制作をやっているので、あまり期待しないで待つことにした。


 こうして俺の目標もだんだんとはっきりしてきたように思えた。


 二年目になると、授業や実習にあまり刺激が無くなってきた。ほとんど一年の時と内容が変わらない。淡々と課題をこなすだけだ。

 そんな中『東京の心象風景』という課題で東京の姿を五枚組の写真に収めることになった。授業で画面作りや構図などの基礎知識は習ったけれど、実際にカメラで写真を撮るというのは経験がない。たまにスマホで記録的な写真を撮るくらいだ。まずカメラを持っていないし、一眼レフのデジカメはズームレンズのセットで安くても十万円近くする。課題のためだけに買うには高すぎる。

 映像編集の仕事をするために十二畳のワンルームに引っ越したばかりだし、パソコンのハードディスクやらなんやら機材も買い足したところで、そんな余裕など欠片もなかった。

 そうだ、写真家の人に使ってないカメラをちょっと借りることはできないだろうか。そう思って伝手つてを辿って会ったのが黒沢くろさわみどりという女性だった。


 千葉の短大の情報工学科を出て二年間IT企業でホームページ制作のSE見習いをやっていたが、その中で写真の面白さに目覚め、仕事を辞めてこの専門学校の写真科に入り直したという。

 俺の二つ上の二十三歳だった。他の学生よりも三歳ほど年上なので、やや敬遠されがちで、孤高の存在的な感じらしかった。年上同士ということで紹介されたようだった。

 もし使ってないカメラがあったら貸してくれないかと言ってみると「いいよ」と簡単にOKしてくれた。話してみるとすごく気さくで、社会人を経験しているせいかなにか余裕というか落ち着きも感じられる。なのにどこか飄々とした雰囲気を持っていた。

 電話番号を交換して、翌日にはさっそくカメラを持ってきてくれた。

 カメラの使い方やレンズの選び方を教えてくれた。そして課題に対する俺のイメージなんかも訊かれた。訊かれても、どう答えていいのか、ぜんぜんイメージが浮かんでいない。

「まずは、そこをちゃんと考えないとだね。五枚組だとテーマが決まってないとただバラバラの写真を並べただけになっちゃうよ。まあ撮りながら見つけるのもありだけどね」

 メガネの奥の少し垂れた目を細くして笑った。

 一見ぼんやりとしていて掴み所がないようだけど、話せば話すほど、理路整然としていて頭が良く、そのうえ感覚の鋭い人なのが分かる。思わず尊敬の念が湧いてしまう。

 二、三日、東京の下町と言われる浅草や佃、月島あたりをぶらぶらして写真を撮った。旅行ガイドで「昔ながらの情緒溢れる東京の町並み」と紹介されていたので、なにか絵になりそうな感じがしたからだ。

 撮った五十枚ほどの写真を、ひとまず翆さんに見てもらうことにした。


 ノートパソコンに表示された写真をひと通り見て言う。

「まあ、こんなもんかな〜。テーマとしては、今も残る古き良き東京の下町情緒って感じ?」

「そんなとこです」

 とは言ってみたものの、どうもあんまりいい感触じゃないようだ。

「月並み、ですかね?」

「うん。これなら外国人向けにお土産屋さんで売ってる絵はがきの方がずっとまし」

 そう言われるとグウの音も出ない。

「どうしたらいいでしょう」

「私に聞かれてもねえ。君の感性は君にしかないものだから」

「はあ……感性ですか」

「君だって映像学科の生徒でしょ。なら自分の中になにか自分だけの映像を持ってるんじゃない?」

「まあ、ないことはないですけど……」

「それを写せばいいだけ。ビデオカメラも映画フィルムも写真もおんなじだと思うけどなあ」

「じゃ、翆さん、モデルになってくれませんか?」

「え、モデル? 私が?」

「俺の撮りたい映像って、女の子なんです」

「じゃあ、モデル科に可愛い子いっぱいいるじゃない。声掛けてみたら?」

「いや、翆さんだって可愛いですけど。でも撮りたいのは後ろ姿なんです」

「か、可愛いって……。え、後ろ姿?」

「なにげない風景の中で、ふと目を留めてしまうような女の子の後ろ姿が好きなんです。まあ東京とはぜんぜん関係ないんですけど」

「なるほどねえ。そういうのはありだね。テーマとしてはよくあるけど、写真の腕というか、一瞬を切り取る感性がいちばん出るかも知れないね」

「うん、俺も言っててすごくイメージが湧いてきました。翆さん、ぜひモデルになって下さい。お願いします」

「私がモデルにねえ。う〜ん、困ったな。ちょっと考えさせて」

「じゃ明日また」

「うん。それまでに、他の子にも当たってみてよ」

「分かりました」


 翌日、翆さんはまだ決めかねていた。

「私、撮るのは好きだけど、撮られるのはあんまり好きじゃないんだよね」

「後ろ姿だけですから。それも遠景で」

「他に誰かモデルになってくれる人は居なかったの?」

「二、三人に声掛けてみたんですけど、なんか警戒されちゃって……」

「課題って言っても?」

「はい。それに、後ろ姿だけって言うと、な〜んだ、なら誰でもいいんじゃない、って言われちゃって」

「そっか〜」

「ならしょうがないか……。私もひとつ条件出していい?」

「なんでもどうぞ」

「私のモデルもやってくれないかな」

「いいですよ、俺でよければ」

「私がどんな写真撮るか知らないでしょ」

「どんな写真なんですか?」

「人体パーツ」

「人体パーツ? たとえば?」

「手とか、肩とか、お腹の筋肉とか……」

「そういうのが好きなんですか?」

「……うん」

 俯いて顔を赤らめた。

「フェチっぽい感じ?」

「そう……君のその腕とか胸板とか、ちょっとドキドキする」

「俺でいいなら、どこでも自由に撮って下さいよ」

「ほんと?」

 メガネの上目遣いに、俺の方がドキドキしてしまう。

「じゃ、そういう交換条件でお互いモデルになりましょう」

「うん、よろしく」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 そう言って手を差し出すと、両手で確かめるようにそっと握った。


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