32. 変われど変わらず
思えば、高一の夏は迷走の夏だった。
俺の大きなターニングポイントだった。
劣等感に打ちひしがれて、不貞腐れてやさぐれて、莉子ねえを泣かせ、真にいに殴られ、駅のホームで彼女と言葉を交わし、転校を知り、海辺で送別会をして、彼女が去った。
感傷に浸る間もなく、マオ部長と出会い、先輩たちと出会い、水泳部に入り、体を鍛え始めた。
それが卒業まで続いた。
夏が終わっても、朝は海辺をランニングした。
放課後はスポーツクラブに行って、泳いだあとはマシントレーニング。
夜の十時近くに帰って飯を食って寝る。
そんな毎日だ。
休みの日もスポーツクラブに通った。
午前中は先輩たちに勉強を叩き込まれる。
午後はスイミングスクールやジムの裏方の手伝い。
バイト代は出ないけど、その分施設を格安で使わせてもらっている。
翌年の夏には、俺も逆三角形といえるくらいの体つきになっていた。
背もいつの間にか五センチほど伸びて、174になっていた。
マオ部長と東先輩は三月に卒業してしまった。
マオ部長は、イギリスで一年間の留学生活を送っている。帰国後に富山大学に入学する予定だそうだ。
東先輩は東大を受験して失敗し、現在浪人中。
しょっちゅう部活に顔を出して一緒に泳いだり筋トレをしている。
水泳部に新入部員が三人入った。
男子一人と女子二人。みんな中学の水泳部だったので即戦力になる。
土屋新部長と慎之介先輩の肉体美に惚れたらしい。
スポーツクラブが使えるのと、勉強も教えてもらえるのも魅力だったようだ。
俺は何の役にも立っていないな、うん。
六月の高体連富山大会に初めてエントリーした。
一年男子のタク(黒岩匠)は50m自由形、一年女子のハルカ(西村遙風)は100m平泳ぎ、一年女子のアオイ(長谷川碧)は50m背泳ぎ。
二年男子の俺は200m背泳ぎ、三年男子の慎之介先輩は100m平泳ぎ、部長の土屋先輩は100mバタフライ。
そして混合フリーメドレーに、タク、ハルカ、俺、土屋部長が出場した。
結果は、すべて予選落ち。
やはり全種目に出場する部員数の多いスポーツ強豪校には敵わない。
それでもハルカとアオイの女子二人は、入賞にあと一息の惜しいタイムで大健闘だった。
俺は、バサロ潜水時のドルフィンキックが弱いようで、スタートやターンで遅れてしまう。これからの課題だ。
それでも「Take your mark」からスタート音までの約1秒間の全神経をギュッと絞り込むような緊張感は、ちょっと病みつきになりそうな感覚だった。
メールでイギリスのマオ部長(もう部長ではないけど)に報告すると「私も出たかった」と言っていた。
マオ部長と東先輩は、一度も公式大会に出ないままで終わってしまった。
俺も、もう少しあの二人と毎日を過ごしたかったし、大会で活躍するところを見たかった。
まあ東先輩は今でも水泳部の一員みたいなものだし、大会の応援にも駆けつけてくれたけど。
十月には一・二年生だけの新人大会にも出場したけど、成績は同じようなものだった。
それでも水泳部の活動は楽しくて充実していた。
夏には昨年と同じように、早朝の砂浜ランニング、海辺で監視救護、カフェの手伝い、スポーツクラブでトレーニング。
もう水泳部の恒例になる感じだ。
ちなみに、街のカフェはマオ部長が留学から帰って来て、大学入試が済んでから、本格的な開店準備を始めるようだ。
二年になって文系・理系に分かれたので、オタフォー+2もバラバラになってしまった。
ケイゴ、コーシロー、アーヤは理系、チア、ミュー、俺が文系。
文系は2クラスで、俺とミューが同じクラスになったけど、もう一緒に昼飯を食うこともない。
放課後はどちらもすぐに教室を飛び出し部活に向かう。
チアはアニ研の部長(正式な部ではないけれど)になっていた。
この学校では三年になると受験勉強に本腰を入れるので部活は半分引退のようなもので、部長は二年生が多い。
バラバラになってもLINEグループがあるので、ちょくちょくメッセージのやり取りはしている。
廊下で会えば「よお」と手を振り合い、あだ名で呼びあう気心の知れた仲間だ。
残念ながら今のクラスでは、休み時間に話したりするやつは何人かいるけど、あだ名で呼びあうような友達はいない。
みんな勉強漬けで、ライバル心を剥き出しにしている。
俺は先輩たちのおかげでなんとか中の下あたりの成績だけど、みんなとどうも毛色が違うみたいで、ライバルとも認定されていないようだ。
LINEグループと言えば、旧三年五組の『さんごの会』は、当然のように音沙汰がなくなっている。
共通の話題がないので、まあしょうがないのかも知れない。
たまに誰かが「どこそこの店でなにを食べた。美味かった、おすすめ」みたいなメッセージを送ってくるくらいだ。
これでは彼女も参加しずらいだろうし、彼女はもう別の世界で別の生活に忙しいのだろう。
東京の高校に入ってからの動向は何ひとつ分からない。
俺にとっての彼女は、いつまでもあの夏の浜辺の送別会の時のまま。
たぶん、これからもずっと。
そして三年になった。
その前に、マオさんがイギリスから帰ってきた。
土屋部長と慎之介先輩は、ふたりとも近県の大学に受かって地元を離れる。
マオさんは当たり前のように富山大学の経済学部に合格。
東先輩は、なんと東大に合格して東京だ。
赤場系列のおしゃれなレストランで、水泳部のみんなで合格祝い兼壮行会を開いた。
マオさんはゴージャスでセクシーなドレスを着てみんなをあっと言わせた。
イギリスでひときわセレブ感が磨かれてきたのか、実によく似合っていた。
完全に主役はマオさんだった。
壮行会と言うよりマオさんの帰国歓迎パーティーになっていた。
それでも、アオイとハルカの二人は慎之介先輩に手紙を渡して涙ぐんでいた。
土屋部長が「俺にはないのかよ〜」とぼやいていたけど、ちょっと堅苦しいところのある土屋部長より、人当たりのいい慎之介先輩が好かれるのは、しょうがないと言えばしょうがない。
俺は彼女たちからもハツくんと呼ばれ、先輩どころか男として見られていないようだけれど。
先輩たちが旅立って行き、一区切りついたところで、俺が水泳部の部長になった。
新しい三年生が俺ひとりなのだから、まあ仕方ない。
だが、新しい部員を確保しないと部の存続が危うくなっていた。
ところが、アオイとハルカのアオハルコンビの競泳水着姿に誘われて、三人の一年生が入部してきた。
三人ともスポーツに縁がないようなガリ勉タイプだ。
一人は「泳げるようになりたいから」と言う。
今年は即戦力にはならなさそうだ。
けどまあ、みんな高校に入って自分を変えたいと思っているのがなんとなく分かる。
ここはひとつ部長である俺がひと肌脱いでやろうじゃないか。
そう気負っていると、少し遅れてもう一人、入部希望者が来た。
ちょっとおどおどした女の子だった。
俺のオタクセンサーが久々に反応した。
聞けば、小さい頃から水泳教室に通っていたと言う。
そしてなんと、チアの妹だと言う。
名前は月島千由。
「お姉ちゃんからハツさんの話を聞いてて、すごくいい人だよって……」
なんと俺のファンなのか?
チア、GJ!
もう足を向けて寝られない!
よく見れば、メガネの奥の瞳はチアに似ている。
いや、チアよりも可愛いかも知れない。
ちょっとちんまいけど、それが可愛い。
まてまて、部長として贔屓はいかんな、贔屓は。
でもついつい目尻が垂れてしまう。
なんか、アオハルコンビがジト目をしてるんだが……。
そんなこんなで水泳部は、八人体制になった。
と思ったら、一ヶ月経たずして一年男子が二人辞めてしまった。
勉強と両立できそうもないからと言う。
まあ、俺じゃ勉強まで面倒見れないしな、どうせ。
そして再び六人体制に戻ったのだった。
まあ、このくらいがちょうどいいでしょう。
俺が部長になったけれど、実質仕切ってるのはアオハルの二人だった。
水泳の実力もあって、勉強も出来て、緩と急を絶妙に入れ替えながらの二人のコンビは、部活をいい具合に引き締めてくれる。
俺は部長と言う名の雑用係だった。
まあ、そういう役柄には慣れてるからいいんだけどね。
これが適材適所というやつか、ふむ。
チユちゃんさえ慕ってくれれば……と思ったら、いつの間にかタクミと仲良くなってるようだった。
いやいや、いいんだ。俺には心の中に彼女がいるし、頼れる女ボスだっているんだから。
そう自分に言い聞かせながら一年を過ごすハメになるのだった。
こうして、変わったようで変わらない水泳部の活動が続いて行く。




