122. 初登園
レイナちゃんの保育園は「頭のよい子を育てるための育脳カリキュラム、生まれながらに持つ天分を限りなく広げる」という例の英才教育的なところにみんなで見学に行ってみて、そこに決定した。
近くの他の保育園には二歳児クラスの空きがなかったことも理由のひとつだけど、なによりレイナちゃん本人がすぐに園児たちに交じって嬉しそうに粘土遊びや体操をしていたことが大きい。
保育園の様子も、思っていたようなスパルタ詰め込み教育ではなく、遊びながら楽しくいろんなことに挑戦してみるという感じだった。少人数なので目配り気配りもしっかりしているみたいだ。
見学会から戻ってみんなの意見を聞いてみると、誰も反対する人はいなかった。
ただアイナだけは費用が高いからと少ししり込みしていた。
入園金3万円と毎月6万5600円だ。
入園金はお祝いとして俺が出し、月々の保育料はエッチとトミーとアイナで出し合うことにした。
しばらく通わせて様子を見て、もし合わなそうなら別のところを探すことにしよう。そう意見がまとまった。
月曜から金曜、九時から四時半までの保育の申込みをして、明日は入園児健診、明後日から入園ということになった。
あとはレイナちゃんがうまく馴染めるかどうかだ。
頑張れ、レイナちゃん。
これでアイナもレイナちゃんを連れ歩かずにある程度自由に動けるようになる。
だがまだ親の問題が残っている。
あれをなんとかしないとアイナも俺たちも気が休まらない。
しかし、あれから一週間以上立つのに親父さんからはなんの連絡もない。
こっちから電話してみることにした。
「おう、あんたかい。今度はなんの用だ?」
「なんの用って……。俺のクルマどうなりましたか?」
「ああ、あれな。そうそう、やっと買い手が見つかってちょうど連絡しようと思ってたとこだよ」
調子のいいことだ。
「いくらで売れたんでしょうか?」
「前にも言っただろ。350万だよ」
「そうですか。名義書き換えに印鑑証明なんかが必要だって言ってましたよね。それを持ってお伺いしますので、いつがいいですか?」
「そうだな。明日か明後日でも来てくれや」
「わかりました。じゃあ明後日お伺いしますので。350万の用意もよろしくお願いしますね」
「あ、ああ、わかってるって。なら明後日な」
最後はなんだか焦ったような口調だった。
こりゃあまた一悶着ありそうだな。
みんなで明後日の作戦を練ることにする。
レイナちゃんは保育園初日だから連れてはいけない。というか、それがなくても連れて行かない方がいいだろう。
クルマの話は置いといて、倉田所長に書いてもらった絶縁状をどうするかだ。
あれを一方的に突きつけても、驚きはするだろうけど納得はしないだろう。
出来れば、向こうから絶縁を言い出させたい。
それがムリな場合の最終手段として絶縁状を叩きつけて来ることにしたい。
「だけど、オヤジからそんなこと言い出すとは思えないけどな」とアイナが顔を顰める。
「まあ、そうだろうな」
「ハナ、なんか考えてるの?」
「うまく行くかどうかはわかんないけどさ、現ナマを前にしたら、もしかするとアイナやレイナちゃんのことよりそっちに目が行くんじゃないかな」
「ああ、それは充分ありえるな。売掛金でもなんでも、いったん手に持った金は全部自分のもんだと思ってるからな」
「もしそういう素振りが見えたら、金と引き換えに上手いこと念書でも書かせられないかな」
「待て待て。そんなことしたら、あのクルマ、タダでくれてやったようなもんじゃないか」
「まあ、それでもいいさ。もうアストロもハイエースもあるんだし。あ、明日ハイエースを引き取りに行かなくちゃ」
先週の土曜日に車検・整備が済んだと連絡が来たので、週明けの今日か明日にでも取りに行くと言ってある。
「アイナのハイエースとプロボックスは、明後日突っ返してこよう。こっちにあるだけで駐車場がもったいないしな」
「それはいいんだけどさ……」
「まあ、まずは俺がそういう方向で話をするから、アイナはひとまず口をつぐんでいてくれないか? またケンカになると話がこじれるから」
「うん、その方がいいね。とりあえずハナに任せようよ」
「どうしようもなくなったらあの絶縁状を叩きつけて帰ってこよう」
「ほんとにいいのか、それで?」
「ああ。どうなるかはわかんないけどな」
「……わかった。ハナに任せるよ」
「アイナもあんまりカッとしないで、なるべく穏便にね。レイナちゃんのために」
「わかってるって。……でもなあ、こんなことに巻き込んじまって、あんたらになんて詫びればいいのか……」
「そういうのはなしって言ったでしょ。別にイヤイヤやってるんじゃないんだから。私たちのこれからのために、私たちがそうしたいから首を突っ込んでるんだからね」
「うんうん」
「そうだよ。アイナはいつものように堂々と偉そうにしてればいいんだよ」
「え、あたしってそんなに偉そうか?」
「偉そうっていうのとは違うかな。えっと、なんていえばいいんだろ?」
「横柄、尊大、傲岸不遜?」
「おい、トミー、お前そんなふうに思ってたのか!?」
「じゃなくって……、そうだ毅然としてるって感じかな」
「そうそう、それそれ!」
「でもアイナって妙に気が小さいとこもあるよね」
「あはは、あるある」
「お前らなあ……。うん、わかった。この件はお前らに全部任すよ。どうなろうと、それはあたしが引き受ける。そしてこの借りはいつか絶対何倍にもして返すからな。楽しみにしとけよ」
「うん、それでこそアイナだよ」
「レイナちゃん、ママかっこいいね!」
「アイナ、かっこいー」
その日のバンド練習では、アイナはいつもより熱が入ってたらしい。
翌日にはアストラと交換にハイエースを引き取ってきた。
カーナビやドラレコやETCも新品で、車体もポリマーコーティングされてピカピカだ。
帰りはエッチが運転して来た。
もう大型車も大丈夫そうだ。
アイナとトミーはレイナちゃんの健康診断の付き添いに行っていた。
また違うクルマで戻って来て、レイナちゃんもはしゃいでいた。
さっそくチャイルドシートを取り付けてあげると「ここ、レイナのいす」と澄まし顔で収まっていた。
その翌日は、朝にアイナとトミーが保育所に送って行って、しばらく様子をみてから帰ってきた。
「夕方に迎えに来るからね」と言うと「レイナもかえる」と泣きそうになったらしい。
「みんなといっぱい遊んできな」
「ママは?」
「あたしはお仕事だよ」
「トミーは?」
「私もお仕事なの。迎えに来るまでここにいられる?」
「うん」
「先生の言うこともちゃんと聞くんだぞ」
「あい」
「そうだ。寂しくなったらこの子をなでなでしてあげて」
トミーがキーホルダーに付けていた小さなクマのぬいぐるみをレイナちゃんに渡す。
「なでなで?」
「そう。こうやって、なでなでって。あ、レイナちゃんがこの子に名前付けてあげて」
「なまえ?」
「レイナの子供だな。なんて名前にする?」
「んとね、ハナ」
「あははは、ハナに似てるか?」
「うん」
「じゃあこの子はクマのハナちゃんだ。なくさないように、こっちのポッケに入れておくんだぞ」
「あい。ハナちゃん、いいこいいこ」とそっとポケットに入れた。
そしてアイナとトミーにぎゅっとハグして、みんなのところに戻って行った。
知らないうちに俺にクマの弟ができたらしい。
こりゃクマのハナちゃんに負けないように、俺もひと踏んばりしないとな。