120. 貧乏旅行計画
暗くなってきたので晩飯を食べに出る。
エッチが近くによさげな店を見つけたというので行ってみることにした。
マンションからほんの何軒か先のカフェバーのような店で、いろいろと変わった料理がメニューに並んでいた。
創作料理の他にデザート類も充実している。
落ち着いた雰囲気もいい。
人気の店のようでかなり賑わっていた。店の外のテラス席でもワインやビールを傾けて夏の夜を楽しんでいる。
ちょうどキッズスペースが空いていたので、アイナとトミーとレイナちゃんはそこに座った。俺とエッチは入りきれないので横のカップルシートとかいう二人席で食べることにした。
レイナちゃんは味付けを薄くしてもらったトマトスパゲティ。他は、鴨のスモークローストやインドネシアの米料理ナシゴレン、和風ピザやアサリの白ワイン蒸し、唐揚げやサラダなど、銘々好きなものを頼んでいた。
エッチは「こういう店もいいね。あんな感じのちょっとしたテラスも欲しいな」とワインを飲みながら店の造りを眺めていた。
そういえばカフェを任せたい人に会いにドイツに行ってみようかという話もあったんだった。
「えっとなんてったっけ、ドイツにいる人」
「カンナさん?」
「そうそう、その人」
「榎本栞奈っていって、今33歳かな? 料理教室で出会って意気投合しちゃったのね。それまでは日新食品の商品開発部でチーフだか主任だかしてたんだって。すごいエリートコースなのに、自分の店を出すために修業するって会社辞めちゃって料理教室に来てたの。私が25でカンナさんが28だったかな? しばらく私の部屋で一緒に暮らしてたこともあるの。なんかね、頭のネジが飛んじゃってるんじゃないかってくらい突拍子もない人でさ、豪快で開けっ広げで、それでいて信頼できるみたいな不思議で面白い人。ハナも会えば絶対気に入ると思うよ」
「へ〜、エッチがそう言うくらいなら、かなりの人なんだろうな」
「そりゃもう私なんて足元にも及ばないよ。私のひとつの憧れでもあるかな。あ、いいとこだけね」
「いいとこだけって?」
「それがさ、料理は抜群に美味いんだけど、生活能力がないっていうか、他のことはほんといい加減でズボラなのよ。大酒飲みの飲んだくれだし、男にだらしないし、エロいし」
「エロいのか!?」
「もうエロエロだよ。どっちがAV女優だって聞いたら100人中100人がカンナさんって言うよ」
「そりゃすごいな」
「会っても誘惑されないでよね」
「う〜ん、どうかな。会うのが楽しみのような怖いような」
「あははは。まあいいけどね」
「で、ドイツ行ってみる? いくらくらい掛かるかわかった?」
「それがね、今はオーストリアなんだって。なんてとこだったかな?」
エッチがリングノートを取り出して調べる。
「え〜と、オーストリアのチロル地方のジシュトランスって町。アルプス山脈のすぐそばで、最寄りの空港はインスブルックだって。知ってる?」
「まったく知らない」
「だよね〜。そのインスブルックって有名な観光地らしいんだけど、そこに空港があって、最安で往復18万5834円。そこからジシュトランスまでどうやって行くのかがわかんないけど、近くの宿が二人で一泊2万円くらい。むこうに三日いるとしたら6万だから、合わせて25万くらいで、食事とかもろもろ5万とすると30万だね」
「意外と安いんだな。よし、その予算で行ってこようか」
「でも行ったからってカンナさんがウンっていうかどうかわかんないよ? あの人にはあの人なりの計画があるだろうしさ」
「そこはエッチの口説き方次第じゃない? ま、ダメならダメでしょうがないさ。それに、本物のアルプスっていうのも見てみたいな、個人的に」
「ああ、ハナは北アルプスの近くの町で育ったんだもんね」
「うん、立山連峰。こっちに来た頃は、そばに山がないのが心細くてしょうがなかったよ」
「へ〜そういうもんなんだ」
「淡路には大きい山はないんだっけ?」
「そうだね〜、高くても5、600メートルだから、そびえてるってほどでもないよね。森とかはそこら中にあったけど」
「そのなんとかって町は標高どのくらいなんだろ。寒いのかな?」
「さあねえ、それも調べてみるね」
「夏のうちに行きたいな」
「八月か九月?」
「そうだな。なんか予定あったっけ?」
「九月の最初の土日に、絢ちゃんと行こうって言ってた国立高校の文化祭があるよ。それがね、事前申し込みの抽選なんだって、二人一組の。だから当たるかどうかわかんないし、みんなで行くのはムリっぽいんだよね〜」
「へ〜そうなのか。来場者が多過ぎるほど人気ってことなんだろうな。まあ当たった人だけ行くしかないな」
「それはそうとして、オーストリアに行くならその後がいいな」
「九月の十日前後? うん、そうしよう」
「わかった。飛行機とか予約しちゃうよ? 今度は思いっきり貧乏旅行にしようね」
「あはは、そうだな、それもまた面白そうだな」
「うんうん」
「飛行機でどのくらい掛かるんだろ?」
「二回乗り換えで22時間くらい」
「うお、ほとんど丸一日飛行機の中か」
「それもエコノミーの狭い席だからね」
「せめてひとつ上のクラスにしない?」
「ダメダメ! 料金が倍になっちゃうんだから」
「自分だってちゃっかり調べてるじゃないか」
「それは、まあ……いちおうね」
食事を終えて帰り道。
「お前ら、またなんか金使う話してただろ」
「あはは、聞こえてた?」
「オーストリアがどうとかって言ってたよね」
「うん、九月に行くことにした」
「え、どういうこと?」
「まあその話はあとでゆっくりね。そろそろスタジオ入りの時間だよ」
「う〜ん、気になって練習どころじゃないぞ」
「さっき、ちょっといいメロディー出来たんだ。それ聞いてよ」
「あのピアノで作ったのか?」
「そうそう。あれ、カワイ製だけあってしっかりしてるよ。音もかわいいし。バンドでも使えないかな?」
「ギター弾きながらどうやって弾くんだよ」
「イントロに使うとか」
「あ、それいいかも。どっかにそういう曲あったなあ」
「へ〜やっぱりあるんだ」
そんな話をしながら三人はスタジオに向かった。
俺とレイナちゃんは猫たちの待つマンションへ。
レイナちゃんと手をつなぎ、もう片手にはおもちゃのピアノとスケッチブック。レイナちゃんはお気に入りの帽子を被り、クレヨンの箱を持って、蒸し暑い夜をのんびりと歩いて帰った。