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119. おもちゃのピアノ

 アストロで高速を快調に走る。エンジンにも不調はなさそうだ。

 ただ燃料ゲージがみるみる減って行くのが心臓に悪い。

 後ろの席では、回転シートを斜めに向かい合わせてアイナとレイナちゃんが座っている。

 レイナちゃんはすっぽりとチャイルドシートに収まってご機嫌だ。

 アイナがあれこれ話しかけてレイナちゃんが「あい」とか「ううん」とか返事をしている。

 こう見るとアイナもちゃんとママなんだなと感心する。

「うんち、でたよ」

「お、そうか。ちゃんと教えてくれて、レイナはえらいな」

「あい」

「ここでおむつを取り換えてもいいかな? ちょっと匂っちゃうけど」

「構わないよ。それなら後ろの席のほうがやりやすくないか? 次の信号で止まった時でも」

「お、そうだな。こりゃ便利だわ」

 三列目シートにレイナちゃんを横にして、アイナがパパッとおむつを取り換える。

 うんちの匂いもなんだか愛しく思えるのはなぜなんだろう。

 そしてまたチャイルドシートに収まると、すぐに寝息を立て始めた。

「そろそろトイレの練習も始めようかな」

「普通は何歳からなんだ?」

「聞いた話によると、けっこうまちまちらしいぞ。三歳で出来るようになる子もいれば、四、五歳の子もいるってさ」

「へ〜そういうもんなのか。じゃあレイナちゃんはまだ早いんじゃないか?」

「さっきみたいに出たのが自分でわかるようになったら練習を始めるタイミングなんだってさ」

「そうか。やっぱりレイナちゃんは賢いんだな」

「あたしもなんとなくそう思うよ。でも、賢いまんま育つとも限んないしさ。そこをうまく育てるにはどうしたらいいんだろうな」

「まあ、そのへんもかおりさんに聞いてみよう。俺は特に賢くなくたって元気に育てばそれでいいと思うけどね」

「そうなんだけどさ。あたしのせいでおかしな子になっちゃったらどうしようって、めちゃくちゃ心配だよ。まあ、エッチやトミーがいてくれるから助かってるけど」

「俺だって当てにしてくれよな」

「もちろんだよ。なんたって男はハナひとりだしな。レイナもすっかりパパみたいに思ってるよ」

「あははは、それは嬉しいな」

「お前らは早く結婚して子供作んないのか?」

「エッチはそのつもりはないみたいだよ」

「ふ〜ん。エッチはそうでもハナは?」

「俺も似たようなもんかな? 出来たら出来たでいいし、出来ないならそれでもいいし。今んとこレイナちゃんがいればもう充分だよ」

「まあ、わからなくもないけどな。あたしも産みたくて産んだわけじゃないし」

「そうなのか?」

「まあな〜。でも出来たのがわかった時は、なんでか絶対産むって決めたよ。実際、産んでよかったしな。思ってたより何倍も大変だけどさ」

「でもその何倍も可愛いだろ?」

「だな」とアイナが豪快に笑った。


「ところでさ、レイナちゃんのほんとのパパはどうしてるんだ? 言いたくないならいいんだけど」

「あ、それハナには話してなかったっけ。エッチからも聞いてない?」

「うん。結婚はしてないってことしか」

「ま、よくあるバカな話なんだけどさ。簡単に言っちゃうと、あたしがホスト狂いになっちゃって、子供が出来たって言ったらその場でポイさ。今どこでなにしてるのやら。知りたくもないし、興味もないし、関わりたくもないよ」

「そうだったのか。アイナもいろいろあったんだな」

「まったく今思えばなんであんなやつを好きだったのか。あの時に戻って自分をぶん殴ってやりたいよ」

「まあまあ。でもレイナちゃんを授かったんだから悪いことばかりでもないだろ?」

「まあな〜。顔だけはいいやつだったからさ、あたしに似ないでよかったよ」

「そうか? けっこう似てると思うぞ?」

「え、どのへんが?」

「まだ小っちゃいから顔立ちがどうのって言えないけど、なんとなく雰囲気っていうか、動きっていいうか、キリッとした感じっていうのかなあ」

「そうなのか?」

「エッチもそうだけど、アイナも自然に真っ直ぐすっと立ってるだろ? いわゆる体幹がいいってことかな。水泳やってたからか、そういうのけっこう気になるんだよ。俺が人を見る時のひとつの基準みたいなもんだな。あんまり当てにはなんないけど」

「へ〜、そんなとこ見てるんだ。でも誰だって真っ直ぐ立つだろ」

「それがそうでもないんだよな。ちょっとどっちかに傾いてたり、どっかバランスがおかしかったり。きれいな立ち姿の人なんて、なかなかいないもんだよ」

「ふ〜ん、そうなのか。でもエッチは確かにそうだよな。どんな動きしてもバランス崩れないし、立ち姿もなんかカッコいいもんな」

「そうそう。それが作ったようなんじゃなくて自然なんだよ」

「そこに惚れた?」

「まあ、それも大きいな」

「他には?」

「自由奔放っていうか、なんにも捕らわれない、なんにも縛られない、なんにも執着しないみたいなとこかな」

「あはは、言えてる。ハナもちゃんと捕まえておかないと、いつかスルッと逃げちゃうかも知んないぞ?」

「うん、いつもハラハラしてるよ。でもそれはそれでエッチらしいんじゃないか?」

「そうだな。変に縛るとかえって逃げちゃうかもな」

「エッチには、いつまでもあのままでいて欲しいよ」

「おうおう、ごちそうさん」


中野坂上であらかた荷物を積み込んで、新しい部屋に戻ると五時を過ぎていた。

カーテンのない夕陽の射す部屋で、エッチがひとりでおもちゃのピアノを弾いていた。

レイナちゃんがさっそく目を輝かせてそこに駆け寄る。

エッチが、ドレミと歌いながらレイナちゃんに弾き方を教え始めた。

「あ〜あ、先にピアノになっちゃったな。まいいけどさ」とアイナが苦笑い。

 ふとんや毛布を押入れにしまい、レイナちゃんの椅子やテーブルをリビングに並べ、細々としたものは段ボールに入れて和室の隅に置いておく。

 クルマは事務所の駐車場に置き、戻って来るとトミーが教習所から帰っていた。

 ずいぶんと疲れた顔だ。

 なんでも浦和の方の練習コースに連れて行かれて、いきなりハンドルを握らされたそうだ。

「みんな、あんな大変なことやってたの? は〜、私運転できるようになれる自信ないよ〜」

「慣れ慣れ。すぐに出来るようになるって」

「最初は学科からじゃないの?」

「それは自分で勉強するんだって。この教本の内容もちんぷんかんぷんだし」

「教官は厳しかった?」

「ううん、それほどでも。わりと親切だったよ」

「ならよかったじゃない」

「でね、火、木、日は十時から朝霞で練習なんだって。それだとうちからのほうが近いから、その日はそっちに行ってからこっちに来たいんだけど、いい? お昼くらいになっちゃうけど」

「うん、わかった。あ、そうそう、保育園の見学、金曜の午後で予約しといたんだけど、みんな行けるよね?」

「え、みんなで行ってもいいって?」

「うん。あとね、ガスの開栓に立ち会いが要るんだって。それも金曜日の午前中ね」

「電気や水道は?」

「水道は水はもう出しても大丈夫だって。ここの電気メーターがスマートメーターとかいうやつらしくて、二日くらいかかるみたい」

「しばらくは水しか使えないのか」

「今日も熱帯夜みたいだし、エアコンないと寝れないよね」

「それまでうちに泊まるしかないな」

「うっ、急ぎ過ぎたな、ごめん」

「いいっていいって。レイナちゃん、今日も猫ちゃんたちと一緒に寝ようね」

「アン、ナイ、いっちょ」

 真剣な顔でピアノに向かっていたレイナちゃんが振り向いて笑う。

「あら、もうピアノ弾けるようになったの? すごいわね〜」とトミーがそばに寄る。

 最初は両手でバンバンとあちこち叩いていたけど「そっと優しくね」とエッチが弾いて見せると、すぐに真似をして指先で鍵盤を押せるようになっていた。まだ隣の鍵盤も一緒に押してしまうけど、やっぱりなんでも飲み込みが早い。もう疑いようもなく天才児だ。

 レイナちゃんのでたらめなピアノに合わせてトミーが歌ってみせると、ますます張り切ってピアノを鳴らす。実に前衛的な曲だ。

 トミーも合わせるのに必死になっていて、みんなで大笑いした。


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