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117. 左ハンドル

 今日から八月。昨日にも増して夏は盛っている。

 十時にアイナもトミーも事務所で待っていた。

 まずはアイナの社員契約だ。

 書類に判を押して、晴れて正社員第一号となった。

 通帳に記帳してから不動産屋に契約に行く。

 アイナは知らぬ間に入金されていた40万に驚いていたが、無事に部屋を借りることが出来た。

 その足で立川市役所に住所変更に行く。

 シボレーアストロをトミーとアイナに見せると、口をあんぐりと開けていた。

 クルマに乗り込んでふかふかのシートに座ると「ひゃぁ〜」と声にならない声を上げていた。

 もう一台ハイエースも買ったと言うと、もう驚くのも疲れたようだった。

 立飛の西にある市役所まではすぐなので、事情をちゃんと話す間もなかった。

 アイナと一緒にトミーも住所変更手続きを行った。

 市役所の待合所の椅子で、エッチが「アイナのハイエースともらってきたプロボックスは返して、こっちを使うことにしたの」と二人に説明すると「なるほど、そういうわけね」と納得してくれた。

 ただ「いっぺんに二台も買うことないだろ。どっちか一台で充分だ」と小言を言われた。

 返す言葉もない。

「トミーも免許取るんだし、ハイエースは二人が使って」とエッチが言うと「まあ、それならしょうがないな」と苦笑いしていた。

「この道なら走りやすいし、ちょっと運転してみるかい?」とエッチに提案する。

 立川市役所の前の道は『立川昭島線』で、自衛隊の立川駐屯地の横から工事現場の方へ続いている。昭和記念公園をぐるっと周回する感じだ。

 真ん中に中央分離帯がある片側二車線で、道幅も広いし交通量もそれほど多くない。

 横幅の大きなアストロでも余裕を持って走れる。

 エッチはもちろん「するする!」と運転席に乗り込んだ。

 コラムシフトの操作を教えて、慎重に市役所の駐車場を出る。

 街路樹と分離帯の木々が並んだ真っ直ぐな道路を徐々にアクセルを開けて走って行く。

 間もなく昭和記念公園のあけぼの口交差点。そこを右に曲がればいつもの緑の街道だ。

 同じような道路なのに、ここを曲がると急に雰囲気が変わる。

 景色の抜け感がまったく違うからだろうか。

 真っ青に広がる空に吸い込まれて行くような爽快さ。

 いつ走っても、何度走っても、それは変わらない。

 特に今日みたいな真夏の真っ昼間は最高だ。

 ついついスピードが上がってしまいそうになるのをエッチが上手く加減している。

 工事現場の横を通り過ぎ、そのまま走って行くと道は緩く右にカーブして公園の西側に出る。

 そしてすぐに左カーブがあり、緑の街道と呼べるのはここまでだ。

 ここからも走りやすい真っ直ぐな道が続いているけれど、両脇にはビルやマンションが並んでいる。

 交差点ごとに左に折れ、元の道に引き返す。

 エッチはバイクで何度も行ったり来たりしてるので、どう走れば気持ちいいかはよく知っている。

 アストロの運転も慣れてきたようだ。

 ただ左ハンドルも初めてなので、右側を意識し過ぎてついつい左寄りになっている。

 まあ、これもすぐに慣れるだろう。

「いつも助手席だけど、運転してるとちょっと景色が違って見えるね。運転席が高くて見晴らしがいいからかな?」

 コペンの地を這うような低いドライビングポジションとはまた違う楽しさがあるのだろう。

 後ろからアイナが「あたしも運転させてくれない?」と言うので、エッチが速度を落として道路脇に停める。

「アイナは左ハンドル運転したことある?」

「いや、ないな」

「かなり感覚違うから気をつけてね」

「そういうお前だってすごく左に寄ってたぞ。ちょっとヒヤヒヤしたよ」

「え、そんなに? 真ん中走ってるつもりだったんだけどな〜」

「あたしがお手本見せてやる」

「はいはい。じゃ交代ね」

 座席の真ん中の通路を通って運転を入れ替わる。

 後部のスライドドアは右側にあるので、出入りの時には通り過ぎるクルマに気をつけなければならない。

 外に出ないでも座席を移れるのは意外に便利だ。

「えっと、あれ? サイドブレーキってどこだ?」

 いきなりアイナが戸惑っている。

「足元のいちばん左のペダルだよ。踏み込むとパーキングブレーキが掛かって、もう一度踏み込むと戻るんだ」

「へ〜そうなってるのか、面白いな。あれ、エッチこれ踏んだか?」

「あ、踏んでない。それってそういうペダルだったんだ。知らなかった〜」

「まったく危ないなあ。で、シフトはどうやるんだっけ?」

「ハンドル横のレバーをグイッと上げてドライブに合わせるの。あとウインカーレバーは左だからね」

「な、なるほど」

 走り出すまでにひと苦労だ。

 後ろではトミーがシートベルトと一緒にレイナちゃんをしっかり抱えて不安そうだった。

「じゃ、行くぞ」

 周りを見ながらアイナが怖々と走り出す。

 やっぱり車線の真ん中にクルマを置くのが難しいようで、ちょっとフラフラしている。

「今は他のクルマも通ってないから、少しぐらいはみ出しても大丈夫だよ」

「そ、そんなこと言ったってな」

 食い入るように前を見つめて、ぜんぜん余裕がないみたいだ。

 二、三百メートルくらい走ったところでクルマを停めた。

「いやあ、左ハンドルって思ったより違うわ。また今度レイナを乗せてない時に練習させてくれ」

「あははは、お手本見せるんじゃなかったの?」

「アイナはハイエースに乗ってたから大きいクルマも大丈夫かと思ったよ」

「あたしもそう思ったんだけどな。あれよりさらにでかいし、左ハンドルだし、操作がぜんぜん違うし。こりゃ参ったな」

「じゃ替わろう」とまたエッチが運転席に座った。

 今度は発進も走行もスムーズで、あまり左に寄り過ぎることもなくなった。

「うん、慣れると楽しい。でも混んでたり細い道だとやっぱり自信ないなあ」

「まあ、運転しやすい時だけでいいんじゃないか?」

「そうだね。あ、助手席や後ろの席ってくるっと回転するんだよ」

「え、そうなのか? どうやるんだ?」

「ダメダメ。走ってる時は動かさない方がいい」

「あ、そうだな」

「もう、レイナちゃんのこと考えてよね」

「す、すまん」

「やっぱりチャイルドシートがないと心配だなあ」

「あ、そうだな。このまま買いに行くか」

「アカチャンホンポ? どう行けばいい?」

「さっきの市役所の手前を右に曲がってモノレール沿いに行けばいいんだけど、運転替わろうか?」

「ううん、大丈夫そう」

「だめだめ! ハナに替わって!」

 トミーが泣きそうな声で訴えた。

 エッチが渋々運転を替わり、助手席を回転させてから座る。

「もう、信用ないなあ。レイナちゃんはそんなに怖くなかったよね?」

「エッチ、ダメダメ」とレイナちゃんが笑って言う。

「あはは、レイナにまで言われてるし」

「アイナだって。ねえ、ママの運転も怖かったよね?」

「アイナ、ダメダメ」

「あちゃ〜」

 まったくレイナちゃんには誰も敵わないな。


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