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花恋物語  作者: 村野夜市
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優しい手が、ふわりふわりと髪を撫でてくれている。

もう、とっくに目を覚ましているのに、あまりにも心地よくて、寝たふりをしている。


ここは清浄な気に包まれていて、邪悪なものは寄り付かない。

ほんのり香る花の香に、ほっとして、安心する。

もうずっと前から、この香に包まれて暮らしていたんだなあと思う。


つん、と頬をつつかれた。

つん、つつん。

・・・ふふっ・・・

たまりかねて、笑ってしまう。

寝たふりしてたの、ばれてたか。


「おはようございます。」


真っ先に目に映ったのは、山吹の花の色をした瞳。

この目の見えるときって、おっかないときが多いんだけど。

今は、ほんのり光を反射して、きらきらと、笑みを湛えていた。


「おはようございます。」


急いで起きようとしたら、軽く肩のところを抑えられた。

力は込められてないんだけど、それだけであたしは起き上がれなかった。


「もう少し、休んでらっしゃい。

 抜けた魂は、からだに馴染むのに、少し時間がかかりますから。」


わざわざ起こしたくせに、そんなことを言う。

それから、あたしの枕元に両肘をつくと、至近距離から顔をじっと見つめた。


にこにこと嬉しそうな目に覗き込まれて、むずむずする。

たまらなくなってあっちをむいた。

すると、ふふっ、と笑った息が、耳にかかった。


「懐かしい夢をみました。

 仔狐のころの。

 とても懐かしい夢を。」


耳元で花守様が言った。


「寝物語をひとつ、してさしあげましょうか?」


いるともいらないとも、応えは聞かずに、花守様は話し始めた。


「むかーし、むかし、まだ、わたしが狐火も知らない仔狐だったころの話しです。

 わたしは、ムカデに噛まれて、何日間か動けなくなっていました。

 もしかしたら、生死の境をさ迷っていたのかもしれません。

 そのときに、不思議な夢を見ました。


 夢のなかで、わたしは襲ってくるムカデに怯えて、泣いていました。

 すると、どこからか、優しいお姉さんが現れて、わたしをムカデから護ってくれました。


 それから、わたしに狐火の灯し方を教えてくれました。

 光を灯すと、夢のなかのムカデは、どこかへ去っていきました。

 そのときから、わたしは、妖狐の術を、少しずつ使えるようになりました。」


それって、さっきの夢?

あたしたちは、魂になって、仔狐だった頃の花守様の夢のなかに入ってしまったんだろうか。


うーん・・・いいや。後で柊さんにでも聞こうっと。

とりあえず、今は花守様の寝物語に集中集中。


「初恋、だったのだと思います。

 淡い淡い思いでしたけど。

 でもそれは、間違いなくずっと、自分のなかで一番綺麗な気持ちなんです。

 優しいお姉さんは、火を灯すには、綺麗な気持ちを溜めるんだ、って教えてくれました。

 幼いわたしには、気持ちを溜めるということはよく分からなかったのですけれど。

 優しいお姉さんのことを思うと、とても簡単に、火は灯りました。」


花守様はまた手を伸ばして、あたしの髪を撫でた。

照れくさくて、あたしは必死になって、花守様と目を合わせないようにする。

そんなあたしに、花守様は、ふふっ、と小さな笑みを漏らす。


これがあの、仔狐かあ。

確かに、笑った顔とか、よく見たらそのまんまじゃない。

なんで気付かなかったんだ、あたし。


「紅葉殿がここに運ばれてきたとき、その顔を見て、わたしは驚きました。」


え?なんでここで、母さんの話し?


「紅葉殿は、わたしに狐火を教えてくれた、あの優しいお姉さんにそっくりだったからです。

 わたしは、なんとかして、お姉さんの息を取り戻そうとしました。

 暗闇のなかで、わたしに光を与えてくれた。

 お姉さんはわたしに生きる道を開いてくれたヒトです。

 何が何でも、このヒトだけは、助けたかった。

 けれど、その願いは叶いませんでした・・・」


そのときのことは、知っている。

施療院に着いたときには、もう、母さんはこと切れていた。

いくら花守様でも、生きていないヒトは治せない。


「わたしは自分の無力さに呆然となりました。

 これほど長く生きてきたのは、きっと、このヒトを助けるためだったのに。

 それを果たせなかったわたしに、これ以上、存在する価値はあるのだろうかと思いました。

 もう施療院を閉めて、ここから立ち去ろうと考えました。

 けれどね、それを許してくれなかったのは、あなたなんですよ。」


花守様は困ったように小さく笑ってから、またあたしの髪を撫でた。


「何度も何度も妖力を暴走させては、酷い怪我を負って、ここに連れてこられていた。

 そんなあなたと、暗闇の中で泣くしかなかったわたしは、同じだと思いました。

 だから、あのときのお姉さんのように、わたしもあなたを護らなければと思いました。

 けれど、わたしにできたのは、偽りの記憶のなかに、あなたを閉じ込めることだけ。

 さらに暗い闇のなかに、あなたを沈めてしまいました・・・」


でも、あのときそうしてもらえなければ、あたしは多分、もう、生きていなかった。

あのころのあたしは、怒りだとか、悲しみだとか、暴走する負の感情に自分で自分を傷つけていた。

一人前の妖狐でも持て余すような負の妖力に、切り裂かれ打ちのめされ、命すら危うかった。


暗闇というのは、必ずしも悪いものというわけでもないかもしれない。

花守様の作ってくれた暗闇は、温かくて、安全で、あたしはそこでゆっくりと治っていった。


あたしだって、あの夢のなかで、仔狐を抱きしめて、じっとしているしかできなかった。

ただ、息を殺して隠れて、禍の行き過ぎるのを待っていた。


それを同じだと言ってしまうのはおこがましい気もするけど。

そうやって、ただ、待つしかないときってのも、あるかもしれないと思う。


「だけど、わたしは、あなたに、光をあげたかった。

 あのとき、優しいお姉さんが、わたしを暗闇から引っ張り上げてくれたように。

 あなたのことも、光のなかに連れ出したかった。

 だから、強引に導師を買って出て、無理やり、あなたをここに連れてきました。

 自分にはそんな資格なんてないって、分かっていたのに。

 どうしても、どうしても、優しいお姉さんと同じことがしたかった。」


施療院の見習いになる素質は、ここに来た時点のあたしには、まったくなかった。

見習いってのは、流石に、ある程度は、その素質のある仔狐がなるもんだ。

今でこそ、薬作りとか、ちょっとは役に立つようになったけど。

来た最初は、なんでここに来たのか、あたし自身も戸惑うくらいだった。


「・・・心配をかけてしまって、ごめんなさい。」


突然、花守様はからだを起こすと、話しを変えた。

あたしは、え?と花守様を見た。


「蛹になったあの虫は何を思っているんだろう、と。

 心を同調させれば、それが分かるのではないかと。

 そう考えたのです。」


「だから、魂の離脱をした、と。」


低い声がして、そっちを見ると、柊さんがいた。

ええ、と花守様は苦笑して頷いた。


「思い付いたら吉日、とばかりに、やってしまうのは、悪い癖ですよね?

 ええ。自覚はあります。

 ごめんなさい。」


「せめて、やる前に、一言、声をかけてくだされば・・・」


「言ったら、止めますよね?」


「まあ、それはね?」


柊さんはいまいましそうにため息を吐いた。

花守様は、あはは~、と苦笑する。

あたしも、つられて、あはは~、と笑った。


「まったく、この弟子は、導師のいらないところばかり、見習っているようです。

 無茶なことばかりして、こっちがひやひやさせられる。

 結果的にはなんとかなったものの、こんな思いは、わたしはもう二度とごめんです。」


柊さんはあたしのほうにむかって、ふん、と鼻を鳴らした。

あたしはもう一度、あはは~、と笑った。


柊さんは諦めたようなため息を吐くと、花守様のほうを見た。


「この虫には、生まれてこの方、蠱毒にされたときの記憶しかなかったのでしょう。

 それが、花守様の幼い頃のムカデに噛まれた記憶と同調したんだと思われます。」


「そうでしょうねえ。

 わたしが噛まれたのは、一匹のムカデです。

 あんなふうに、取り囲まれて、襲われたわけではないのですが。

 それを、わたしは、幼いゆえの、悪夢だと思っていたのですけど。

 あれはおそらく、ムイムイの記憶だったのですね。」


あ。やっぱり、ムイムイの名前は使ってしまってるんだ。


「虫は、おそらくどの個体も、蠱毒になったときの記憶しかないのでしょう。

 だから、宿主の記憶を貪り、幸せなモノになり替わろうとするのかもしれません。

 蠱毒にされたことより不幸なことなど、まずもって滅多にないでしょうから。」


「・・・幸せそうな妖狐を狙って、虫を憑けるのかもしれませんねえ、あちらも。」


確かに。

何人か、虫を憑けられたヒトたちは見たけど、みんなどこかヒトの好さそうなヒトばかりだった。


「離脱した魂は、容易に時空など越えてしまいます。

 重なり合う記憶をきっかけに、同調もしやすい。

 あの仔狐は、過去の花守様なのか、今の花守様なのかは分かりかねますが。

 あるいは、完全に同調していたのかもしれません。

 もしかしたら、どちらかは、それを俯瞰的に眺める視点になっていたかもしれませんが。」


花守様は、ふ~ん、と考え込んだ。


「仔狐のころに見た夢のことは、とてもよく覚えているんですよ。

 なんというか、感覚のはっきりした夢で。

 優しいお姉さんのどきどきした胸の音が、自分のからだにまで響いていたこととか。

 ずっと、寒いところにひとりでいて、あったかい胸に抱きしめられて、すごく嬉しかったとか。

 お姉さんの呼吸が、浅くて速くて、お姉さんも今怖いんだ、って思ったとか・・・」


花守様は記憶を探るように視線をさ迷わせた。


「けど、それって、さっきまで見ていた夢のなかでも、同じだったんです。

 いえ、仔狐のとき以上に生々しくて。

 それはもう、現実の世界のように、感覚があって。

 わたし自身が、過去の自分と今の自分と、完全に同化していたのかもしれませんね。

 でも、あの夢なら、何度見てもいいと思ってしまいます。

 虫に襲われるところは、ちょっと・・・、ですけど。

 優しいお姉さんと出会ってからは、本当に幸せな夢ですから。

 お姉さんの胸は、こう、あったかくて、やわらかくて、ほっこりぬくぬく・・・」


おほん!と柊さんは咳払いをして、花守様の話しを遮った。


「夢の感触の細かい描写はもういいです。

 どのみち全部見てましたから。」


「全部、見てた?」


聞き返したあたしに、柊さんは、苦虫を噛み潰したような顔をした。


「お前様の魂にわたしの意識を紐づけたと言っていただろう?

 おかげで、お前様のしていることは、手に取るように分かった。

 だが、こちらからは、どれだけ呼びかけても、一切、声が届かない。

 虫に襲われたときも、あれこれと助言しようとしたが、何もできなかった。

 せめて、そちらから呼びかけてもらえないかと、祈り続けたが、なしのつぶてだ。

 その辛さ歯痒さが、お前様に分かるか?」


「・・・それは、どうも、すみません。」


「お前様といい花守様といい、わたしの寿命を削るのが、趣味なのか?」


「そんな趣味はございませんです。」


花守様とあたしは同時に項垂れた。

柊さんは、ふん、とひとつ、鼻を鳴らした。


「あの虫も羽化したことですし、これからもやることはますます多くなりますが。」


「あ。

 ムイムイも一緒に帰ってきたんですか?」


あのとき、ムイムイは花守様とあたしを抱えて、光にむかって飛んだ。

そのあとどうなったかは、分からなかったけど。


「ああ。

 ここにいたわたしに見えたのは、あの蛹が突然光って、あの虫が羽化したことだ。

 思わず斬り殺しかけたが、花守様の帰還までは待とうと踏みとどまった。」


「待っててくれてよかったですよ。

 ムイムイはなにも乗っ取っていませんしね。

 どうして羽化したのか、とか、知りたいことはたくさんあります。」


む、と言いかけて、柊さんは、おほん、と咳払いをしてから、ムイムイ、と言った。


「ムイムイを調べることは、虫憑きの治療にも繋がると思います。

 そのためなら、心を同調させるのもまた、効果の見込めることかもしれませんが。」


そこでいったん言葉を切って、じろっ、と花守様とあたしを睨む。

あたしたちはもちろん、固唾をのんで、次の言葉を待つ。


「今後は一切、思い付きの行動は謹んでいただきたい。

 なにかするときには、必ず、わたしに一言言ってください。

 わたしも、その、頭ごなしに反対するようなことは、しないと誓いますから。」


ふぅ、とため息を吐いた柊さんは、なんだか、疲れているようだった。

そりゃそうだよな。

ずっとここでひとりで、あたしたちのからだを護って。

結界維持して、意識も繋ぎ続けてくれてたんだから。

かなり、消耗したことだろう。


「柊殿。有難う。」

「柊さん、有難うございます。」


花守様とあたしは、完全に同時に言っていた。

柊さんは驚いたようにこっちを見て、それから、ふん、とそっぽをむいた。


「まったく、師弟揃って、息ピッタリで、結構なことです。

 それでは、わたしは、他の患者さんもあるので。」


そう言って背中をむける。

そのまま、後ろをむいたままで言った。


「食事は厨にありますが、届けさせませんから。

 後で、食べたくなったら、あちらへ行くなり、持って来るなり、ご自分でなさってください。」


それだけ言うと、あたしたちの返事も待たずに去って行った。


花守様は肩を竦めると、またあたしの枕元に肘をついた。

近過ぎる距離にあたしはいたたまれなくて、急いで起き上がった。

花守様は、あ、とちょっと残念そうにあたしを見たけど、文句は言わなかった。


「わたしね、ずっと、自分の初恋のヒトは、紅葉殿だと思っていたんです。」


花守様はそう言ってちょっと笑った。


「出会ったとき、紅葉殿は、藤殿の妻で、あなたの母御でした。

 それを、淋しい、と言ってしまっては、申し訳ないんですが、まあ、ちょっと、淋しかったんです。

 でも、あの優しいお姉さんは、楓さん、あなただったんですね?」


あたしと母さんはそっくりなんだ。

本当に、美丈夫と呼ばれる父親の血は、一滴も入ってないんじゃないかと思う。


花守様はあたしと目を合わせて、にこっと微笑んだ。

途端に、あたしの胸は、外に音が響くんじゃないかと思うくらい、どきどきと鳴りだした。






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