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あまりに呆気なくて、あたしは呆然としてしまった。
けど、すぐに気を取り直して仔狐を見た。
「あのムイムイは君の知り合い?」
「うん。おともだち。
まえにも、むしからたすけてくれた。」
「あの虫は、暗くなると襲ってくるの?」
「うん。
でも、ムイムイは、むしをおっぱらってくれるの。
それに、ムイムイといると、ぼくのからだがひかるんだ。」
それは、ムイムイにも妖力があって、それに仔狐が反応するんだろうな。
「ムイムイは、君を護ってくれているんだね?」
「うん。」
「だけど、ムイムイはどこへ行ったの?
ずっと一緒にはいてくれないの?」
「・・・わかんない。
ずっとは、いない。
ムイムイは、ムイムイの、ごようがあるんだ、きっと。」
ご用、かぁ・・・
「ムイムイは、君とも、お話し、しないの?」
「うん。」
そっか。
う、ん?あれ?
「じゃあどうして、ムイムイ、って名前だ、って知ってたの?」
「ムイムイは、ぼくが、つけたの。
いいおなまえ、でしょ?」
ぁぁ・・・名前、つけちゃったんだ。
「名前とか、勝手につけたら、ダメなんだよ?」
あたしたちにとって、名前ってのは、とっても大事なものだからね。
そういうこと、普通は、ちゃんと親から習うもんだけど。
まだ教える前だったのかな。
「・・・そうなんだ・・・でも、もう、つけちゃった・・・」
んだよねえ・・・
仔狐は困った顔をして、ごめんなさい、と下をむいた。
「ムイムイってさ、呼んだら、こっちむくの?」
うん。と仔狐は頷く。
そっか。
それはもう、名前として、機能しちゃってるなあ。
「まあ、しょうがないか。」
仔狐に悪気があったわけじゃないし。
それに、この仔狐なら、ムイムイに悪意を持ってなにかしたりはしないだろう。
「でも、これからは気を付けようね。」
あたしがそう言うと、仔狐は素直に頷いた。
ここは、どこかの森のようだった。
夜みたいに暗くて、月も星も見えない。
光の届かない場所からは、今も、ぞわぞわと、なにかの気配がしている。
こんな小さい仔が、いつまでもひとりでいていい場所には思えなかった。
「ここで、お父さんお母さんを待ってるんだって、言ったっけ?」
あたしが尋ねると仔狐は、うん、と頷いた。
「でも、あの虫、また襲ってくるかもしれないからさ。
どこか、もう少し、安全そうな場所はないかな?」
「・・・わかんない・・・」
仔狐はふるふると首を振る。
まあ、そうだよな。
だからこそ、あんなふうに、しくしく泣くしかなかったんだろうし。
「お父さんお母さんに、ここで待ってなさい、って言われたの?」
その問いにも、またふるふると首を振った。
「おうちでまってなさい、っていわれたの。
でも、ぼく、おうちからでちゃったの。」
親を探そうとしたのか。
けど、なら、家に帰ればいいんじゃないの?
「それじゃあ、お家に帰ろう?
あの虫、また襲ってきたら嫌だからさ。
お家にいるほうが、ここにいるより安全じゃないかな?」
「・・・おうち、どっちか、わかんない・・・」
・・・なるほど。
こんな小さい仔だし、仕方ないかなあ。
あたしたちの周りから、闇は少し遠退いたけど、そのなかには、かさかさと蠢くモノがいる。
ああやって、光が消えるのを待っている。
ここにはやっぱり、長くはいたくなかった。
「じゃあ、一緒にお家を探そうか?」
そう言うと、仔狐は、うん、とひとつ頷いた。
あたしは、仔狐と手を繋いで、歩き出した。
仔狐の手はぷっくりと柔らかくて、少し、湿っていた。
歩くと、狐火も、あたしたちについてくる。
仔狐はそれを、物珍しそうに指さした。
「これ、ついてくるの?」
そうだよ、と言ったら、いいねえ、と力を込めて言った。
「いいねえ、これ。いいねえ?」
何度も何度も、いいねえ、を繰り返す。
「ヤサシイオネエサンって、すごいねえ。
こんなことできるなんて、えらいねえ。」
・・・いやいや。誉めたって、教えませんよ?
「あたしは・・・そんなに上手じゃないんだよ?
君のお父さんやお母さんは、きっともっと上手だよ?」
だから、そっちに習ってね?
「おとうさんも、おかあさんも、ひ、はつかわないよ?」
いやいや、まさか、そんなことはないでしょうよ。
「きっと、君の前ではあんまりやらないのかな?」
まあ、もしかしたら、あたしみたいに、ど下手くそ、なのかもしれないし。
だったら仔狐の前では、やんないかもね。
「ヤサシイオネエサン、おねがいします。」
仔狐はいきなり立ち止まると、改まったようにあたしを見上げた。
「ぼくに、これを、おしえてください。」
「え?
あ・・・いや・・・」
「これがあったら、もう、むし、こわくない。
ぼく、むし、こわいの、いやなの。」
うんうん。それは分かるんだけどねぇ・・・
「おねがいします、ヤサシイオネエサン。
ね?ね?ヤサシイオネエサン?」
そう優しい、優しい、繰り返されても・・・
「あたしはさあ、実はあんまり、上手じゃないんだよ。
だからさあ、もうちょっと上手なヒトに習ったほうが・・・」
「ううん。ヤサシイオネエサンは、じょうずだよ?
だってさ、この、ひ、は、ちゃんとむしをおっぱらってくれてるもの。
ぼくは、この、ひ、をならいたい。
だから、どうか、ヤサシイオネエサン、おねがいします。」
仔狐は、優しいお姉さん、を連呼する。
これって、もしかして、あたしの名前を、ヤサシイオネエサン、だと思ってる?
「ぼくね、じぶんじゃ、なにもできない。
ただ、ずっとまってるだけ。
でも、それじゃいけないんだ。
むしが、こわいなら、むしを、おっぱらわなきゃ。
ヤサシイオネエサンの、ひ、があれば、きっとそれができる。
だから、おねがい。
ヤサシイオネエサン、ぼくにそれをおしえてください。」
まだ、こんなに小さいのに、この仔狐は、もうそんなこと、考えてるんだ。
仔狐の言ってることはよく分かった。
それ、あたしだって、日頃思っているから。
なんだか、健気に頑張る仔狐に、力を貸さないなんて、あたしのほうが情けないじゃない。
「あああ。もう、分かった!
教えてあげる!!」
とうとうあたしはそう言わされていた。




