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花守様があたしのために用意してくれていたのは、それはそれは立派な庵だった。
いや、庵に立派ってのもなんか妙なんだけど。
でも、そうとしか言えない。
厨のない一間だけの建物は、庵というのが相応しい。
草ぶきの屋根も質素な感じがするけど。
そもそも、ここは洞窟のなかなんだし、屋根、いりませんよね?
なのに、わざわざ家の体を成したものを用意してくれるなんて。
「うら若いお嬢さんをお預かりするのですから。
念には念を入れないと、と、思いましてね。」
庵に案内してくれた花守様はにこにこと言った。
「さあ、どうぞ。
今日からここがあなたのお家です。」
花守様は庵の戸を引き開けると、披露するように両手を広げてみせた。
あたしは思わず目を見開いた。
いや、その目映さに、目がちかちかした。
妖狐たるもの、質実剛健、剛毅朴訥、不撓不屈の精神を胸に宿すべし。
先生の声が頭のなかに鳴り響く。
毎朝毎晩、唱えさせられたから、流石にこれはよく覚えている。
けどこれ、完全に、違反ですよね?
流石のあたしにも、いくらなんでもこれはまずいだろうって、分かりますよ?
そこに用意されていたのは、これでもかってくらい贅沢な品々。
しかも、ただ金ぴかなのではなくて、きちんとした職人の手による逸品の数々。
まるで、どこかの姫君の秘密の小部屋かなんかのよう。
漆塗りの文机に、螺鈿の硯箱。
蒔絵の小箪笥に、宝物でも入ってんのかと思うくらい大きなつづら。
中は見てないけど、きっとその中身だって、凄いに違いない。
嬉し気に披露した花守様は、打って変わって恥じらう乙女のように、もじもじと言った。
「ごめんなさい。
あなたがいらっしゃると思うと、あんまり嬉しくて。
調度の類は、わたしの趣味で先に揃えてしまいました。
けど、もし、あなたのご趣味に合わなければ、いつでも取り換えますから。」
「じゃあ、この調度、全部、引き上げてもらっていいですか?」
すかさずそう言ったら、花守様ははっきり分かるくらい、がーん、って顔をした。
「・・・すみません・・・少し地味過ぎましたか?
しかし、見習いのかたに、あまり華美なものはいけないと言われていて・・・。」
しょんぼり、と下をむいたかと思ったら、いきなり、がばっと顔を上げる。
「ですよねえ?うん。
わたしもね、本当はもっとあなたに相応しいと思うもの、たくさんあったんです。
そうですよね。ちょっと遠慮しすぎました。
では、折角ですし、これから一緒に選びに行きましょう?
次は、失敗しないようにしないとね。」
「調度は必要ありません。
必要なものは、すべて、持ってきています。」
あたしは背負ってきた行李を下すと、紐をほどいて、蓋を開けてみせた。
「これだけあれば十分です。
すべて、過不足なく、揃っています。」
「なんとなんと。
それだけしかないのですか?」
目を丸くする花守様に、あたしは、ふむ、と頷いてみせた。
「先生のお家にお世話になっているときから、あたしの持ち物はこれで全部です。
それでも困ったことはありません。」
花守様は上目遣いにあたしの顔を伺うようにした。
「あの・・・遠慮しなくていいんですよ?
足りないものは、なんでも・・・」
「お気遣いはご無用に願います。」
ぴたりと掌を差し上げたら、花守様は、びっくりしたように目を見開いて口を噤んだ。
あたしはなんだかちょっと花守様に申し訳なくなった。
折角用意してくれたのに、こういう言い方は、ないよね・・・
「あの、本当のところ、あたしのほうが、ここの物には相応しくないんです。
こんな上等の物に、傷とかつけたら大変だし。
どこかにしまっといてもらえませんか?」
「傷なんて気にしなくても・・・」
「いやあの、こんな贅沢な物、やっぱり傷つけたらどうしようとか思ってると、使えないし・・・
使えないのに、置いておいても、うっかり傷つけたらどうしようって、ずっと気になるし・・・
あの、本当、困るんで。
あの、あたし、がさつですいません。」
ぺこりと頭を下げたら、あわわわわ、と花守様は慌てだした。
「そんな。謝らないでください。
あなたは何も悪くないのに。」
花守様は両手をばたばたと振り回したかと思ったら、ふいに動きを止めて、ちらっと微笑んだ。
「先走ってしまったのはわたしのほうです。
ごめんなさい。ちゃんと伺ってからにすればよかったですね。」
あんまり淋しそうに笑うもんだから、あたしはますます困ってしまった。
「あ。あの、じゃあ、あれだけ、使わせていただきます。」
あたしは部屋の隅に畳んであった寝具を指差した。
それは、真っ白で、なかにふかふかの綿をたっぷり詰めた、上等の布団だった。
「あれ、見たとき、なんか、いいなあ、って。」
正直に言う。
贅沢は厳禁の見習いだけど、あれだけは、初めて見たときから、すっごくほしくなった。
あんなふかふかの布団で寝たら、すっごく幸せだろうなって思った。
「まあ。使ってくださるのですか?」
そう言った花守様は、あたしよりもっと嬉しそうだった。
「はい。お師匠様。有難うございます。」
あたしは丁寧に頭を下げた。
花守様は、ちょっとくすぐったそうに笑って、はい、と頷いた。
どうしようかと思った調度は、花守様が、妖術で一瞬で片付けてくれた。
「一応、しまっておきますけど。
もし気が変わって、使ってみてもいいかなって思ったら、いつでも言ってくださいね?」
なんだかまだちょっと名残惜しそうだったけど。
そうこうしているうちに、いつの間にか、夕方になっていたみたいだった。
明るい昼間のようだった辺りは、夕焼けの金色の光に変わっていた。
「ここって、洞窟のなかなのに、日暮れがあるんですね?」
「ああ。
療養のためにここで長く暮らす患者さんたちのために。
ここも外と同じように、昼と夜があるようにしてあるのです。」
花守様はにこにこと教えてくれた。
「おおーい、花守様ーーー。」
遠くのほうから、花守様を呼びながら誰か駆けてくる。
花守様は、はぁい、と手を振り返した。
すぐ近くまで来たそのヒトは、花守様と同じ白い筒袖の衣を着ていた。
ぜいぜいと膝に手を当てて息を切らせていたけど、息が整うと、にこにこと言った。
「見習いさんの歓迎会の準備ができました。
皆、集まってますから、どうか、おふたりも来てください。」
「え?歓迎会?」
あたしが聞き返すと、そのヒトは嬉しそうに頷いた。
「ええ。ご馳走もたくさんありますよ。」
「やったー!ご馳走だ!!」
思わず飛び上がってしまったあたしに、花守様もそのヒトも優しく微笑んでくれた。