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花恋物語  作者: 村野夜市
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花守様の施術の原理は簡単だ。

悪いところをごっそり取って、後はそこを再生する。

虫の卵ってのが、どのくらいの大きさなのかは分からないけれど。

花守様の精査をもってしても、異物感を捉えられないのだから、かなり小さいと言っていい。

けど、念のためと言いながら、花守様は、かなりな部分を切除した。


五匹の狐の施術を終わらせると、その枕元で、レンさんが謡った。


弥栄~ いろは姫~ 弥栄~

姫の前途に幸多からん~ 弥栄~


流石に踊りはしなかったけど。

解呪には十分だった。


目を覚ました狐たちは、ここが施療院だと聞いてみんな驚いていた。


「軽い風邪だとばかり思っておりましたが・・・

 そんなに長い間、眠っていたとは・・・

 なにか重篤な病でしたか?」


そのヒトたちに、ひとりひとり丁寧にレンさんが事情を説明して回った。


みんな驚いていたけど、一様に、同じことを言った。


ちくっ、として、ぞくっ、とした、のだと。


状況はヒトそれぞれだった。

戦場だったり、野営中だったり、なかには、街中ってヒトもいた。

けど、そこだけは、全員、同じだった。

とにかく、ちくっ、として、ぞくっ、とするんだ。


虫にでも刺されたかな、と思ったヒトもいたらしい。

ただの虫にしては、なにか嫌な予感がする、と思ったヒトも。

だけど、その始まりは、みんな同じ。

ちくっ、として、ぞくっ、だった。


すぐさまこれは藤右衛門に伝えられた。

ちくっ、として、ぞくっ、とすることがあれば、必ず、直ちに、施療院に行くように、と。

見た目に傷はなくとも、転送の術を使うように、とこれまた厳命された。


ちくっ、として、ぞくっ、というのは分かりやすかったらしい。

虫を憑けられた戦師たちは、次々と施療院に送られてきた。

卵がまだ孵らないうちなら、祓うのは簡単だ。

施術をして、切ったところを治す。


卵がまだ孵っていない虫憑きが見つかれば、みんなこの方法で、虫を祓った。

そのたんびにあたしは、あの甘ったるい匂いを嗅がなければならなかったけど。

ヒトの命のためなら、そのくらい、どうということはなかった。


こうしてその夏以降、新たに虫に憑かれる狐はいなくなった。


切除した部位を、花守様はまたわざわざ治療用の薬液に浸けておいた。

なんのためにそんなことを、と思ったんだけど。

ある朝、その薬液のなかに、小さくて細い虫らしきものが、うごうごと動いていた。


「ほう。これが虫の正体でしたか。」


薬液の甕を覗き込んで、花守様は、にやりと笑う。

その甕のなかから、小さな小さな針も発見された。


「これで、虫の卵を仕込んだんですねえ?」


花守様は、針を箸でつまみあげて、ふっふっふ、と笑った。


「手の内さえ暴ければ、もう、怖いものなどありません。」


花守様は郷の織物師と縫物師に頼んで、妖力を編み込んだ薄くて軽い衣を拵えてもらった。

それは、狐の全身をぴったりと覆う衣だった。


「この衣を着ていれば、もう虫の針も通しません。」


早速、藤右衛門に言って、戦師の全員にその衣を着てもらうことになった。

といっても、織物師や縫物師のほうも、大勢いる戦師全員の分などすぐには拵えられない。

まずは、前線にいて、危ういヒトたちから、順番に、その衣を着けてもらった。


卵から孵った幼虫は、何匹か手に入った。

薬液のなかで、幼虫は成長を始めた。

そのうちの何匹かは、数日のうちに消滅してしまった。

花守様は幼虫の様子を確かめがら、少しずつ、薬液の成分を調整した。

すると、幼虫は薬液のなかで、無事にすくすく?成長するようになった。


虫の成長はとても早かった。

翌日には親指くらいの芋虫になり、その翌日にはもう、手のひらくらいの大きさになる。

数日で、薬液の入っている甕にみちみちになるくらいの大きさに育っていた。


そこで、花守様は、虫をもう一回り大きな甕に移した。

すると、虫はまた、甕いっぱいにまで大きくなった。

そうやって、三回、一回りずつ大きな甕に移すと、そのたびに、虫は、甕いっぱいに育った。


三度目。

これは明日には、またもう一回り大きな甕を用意しないとなあ、と思って寝た。

しかし、あれより大きな甕となると、薬を仕込むための甕しかない。

甕は全部、薬作りに使ってあって、余分がなかった。

そうして翌朝、甕を見たら、虫は、甕いっぱいの大きさの蛹になっていた。


蛹になった虫は、もうそれ以上大きくなることもなかったし、そこから出てくることもなかった。

あの甘ったるい匂いは最高潮に達していて、鼻の感度を上げなくても分かるくらいだ。

蛹のなかに、確かに、何かいる気配もあった。


しかし、蛹のなかを透視した花守様は、中には何もいないと言った。


「この蛹の内側に、虫のからだのようなものは、何もありません。

 妖力と、もともと甕のなかにあった薬液だけ詰まっているような状態です。

 この虫は、生き物のように、食べ物を食べて自分のからだを作ることはできないのでしょう。

 ただ、その内側に含まれたものを自分自身に取り込んで、乗っ取るのです。

 おそらく、虫憑きのからだのなかにいる虫は、今のこのような状況のはず。

 この姿になって、宿主の狐の心を操っているのでしょう。」


蛹は、ちょうど甕の形そのままに、その内側にぴったりと合わさっていた。

おそらく、狐のからだの内側にできるときも、こんなふうに、ぴったりになっているのだろう。


こんな大きなものがからだのなかにあっても何も気づかないもんだろうかと思うけど。

この蛹は、狐のからだの成分を使って作られているらしい。

だから、完全にからだに同化してしまうようだ。


そうしてこの蛹から羽化するときに、宿主のからだをそっくりそのまま持って行ってしまう。

それはこういう仕組みだったのかと思った。


「この蛹って、いきなり割れて、虫が出てきたりしないんですか?

 蛹になったってことは、もういつ羽化してもおかしくはないんですよね?」


あたしは不気味な蛹を遠目に見つつ、花守様に尋ねた。

花守様は、ふーむ、と首を傾げた。


「今のところ、羽化の気配はありませんねえ。

 狐に憑りついた虫も、おかしいと気付かれるまで、何年もそのままだったりしますしね。」


「これ、気付かれるどころか、見えてますけど?」


「まったく!そうですよねえ?!」


花守様はうんうんうんと何度も頷いた。


「幼虫のときから見られているから、見られ慣れているとか?

 いやまさか、そんなことはないか。

 だいたい、この虫に、それほどの知性は感じられないんですよねえ。

 生まれた場所で、与えられただけのものを使って生きていく。

 この虫は、そういう類のモノだと思うんです。

 けど、狐に憑いた虫は、狐を操って、いろんな悪さするんですよねえ。

 なんでそんなこと、できるんでしょうか。

 ん?ん?ん?」


口元に指を当て、ん?の度に首が傾いでいく。

見ていてなんか、面白い。



「それにしても、この虫って、今、誰の心を操っているんでしょう?

 虫の卵って、孵ったら、真っ先に宿主の心を乗っ取るんですよね?」


素朴な疑問を口にしたら、突然、花守様の目の色が変わった。


「ああ、確かに。そうでした!」


花守様はそう叫ぶと、いきなりあたしの両肩を掴んで、ぶんぶんと揺さぶった。


「わたしの見習いさんは、どうしてこんなに賢いんでしょうね。

 もう全世界に言いふらして、自慢してきたい気分です。

 それですよ、それ。

 この甕に乗っ取る心はありません。

 つまり、この虫は何も考えていないんです。」


首を傾げるあたしに、花守様は嬉しそうに説明してくれた。


「この虫は、何かを考えるにも、宿主の頭脳を使うんです。

 けど、甕にものを考える頭脳はありませんから。

 虫も乗っ取りようがない。

 だから、何も考えられない。」


なるほど、と納得すると同時に、背筋がぞぞぉっとした。

妖物ってのは、どうにもやっぱり、気味の悪いものだ。


「だから、存在に気付かれるどころか、見られていても、逃げようとしない。

 これまで虫は、存在に気付かれた途端に、逃げ出していたのにも関わらず、です。」

 

うんうん、と花守様は自分の言ったことに納得するように頷いた。


「これは、よいものを手に入れました。

 この蛹さえ、どうにかして、取り除けばいいのです。

 その方法も、この蛹をいろいろと調べれば、きっと、見つかります。

 そうすれば、虫に憑かれてしまったヒトたちを全員、元の通りにすることができます。」


「虫に憑かれてしまったヒトたち全員?」


それができれば、もう、アザミさんと相棒のような悲劇は繰り返さなくて済む。


「それができたら、どんなにいいでしょう。」


「きっと、叶えますよ。

 もちろん、わたしは最初からそのつもりです。」


そうだった。

花守様は最初からずっと、そう言ってたんだ。

だけど、あたしには到底そんなのは無理だろうって思えて。

だから、最初から諦めていたのは、あたしのほうだった。


花守様は力強く頷いてみせた。


小柄で華奢で、おっとりにこやかな、童顔の花守様が、べらぼうに頼り甲斐のある狐に見えた。


「全員、きっと、救ってみせますとも。

 そうと決まったら、楓さんにやっていただきたいことがあります。」


にこにこにこ。

悪意の欠片もない無垢な笑顔でこっちを見る花守様がちょっと怖い。

花守様がこういう顔するときって、大抵、ろくなことがない。

長い付き合いになってきて、あたしもそろそろ、それを学習した。


「藤右衛門さんに頼んで、戦師全員の健康診断をしましょう。

 楓さん、あなたは、そのヒトたちの匂いを嗅いでください。」


ほら、きた。

けど、それで、みんな助かるんだったら、そのくらい、いっちょ、やってやりましょう。

あたしは、ちょっと苦笑は混じったけど、笑って頷いた。


なるべく早く、施療院へ行って、健康診断を受けるように。

藤右衛門からの通達が戦師たちに届いたのは、それからすぐだった。


はあ?健康診断?

と、最初、戦師たちは、いっこうに施療院にはやってこなかった。

お役目に忙しいのに、そんなことやってられるか、だったらしい。


すると、藤右衛門は、にやり、と嗤って、いきなり命令の段階を最上級に引き上げた。

これは、特別な理由のない限り、即座に聞かなければならない命令だ。

これにわざと背くようなことをすれば、問答無用で、郷を追放になる。


戦師たちは慌てて、万難排して、健康診断に押し寄せた。

施療院は、途端に大忙しになって、大変だった。


まったくもう、藤右衛門ときたら、やること極端なんだよ・・・


あの頭領、かみさんを相棒に取られて、頭、おかしくなったんじゃないか?

なんて、戦師たちにも陰口をきかれてた。


健康診断に訪れた戦師たちは、診察の前に、あたしが応対した。


まずは、お忙しいのにご苦労様です、と施療院特製の薬茶を淹れて差し上げる。

まあ、それって、狐の秘薬を水で薄めただけなんだけど。

なんか元気になるって、戦師たちの間ではおおむね好評だ。


それから、治療師さんはじきにいらっしゃいますから、しばらくお待ちください、と待たせておく。

そうしておいて、鼻の感度を五倍に上げて、戦師たちの匂いを嗅ぐ。

なにせ戦師ってのは、妖力の強いヒトが多いから。

しっかり嗅がないと、虫の匂いが掴めない。

そうやって、ひとりひとり地道に確かめていって、ほぼ八十匹の虫憑きは、特定できた。





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