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あれあれあれ。
おやおやおや。
まあまあまあ、どうしてまあ、こんなこと。仔狐でもありますまいに・・・
どこかで、花守様の嘆く声がする。
と思ったら、気が付いた。
そんなに長い間でもなかったみたいだ。
気を失ったあたしにびっくりしたレンさんが、大急ぎで花守様を呼んできてくれたらしかった。
胸のなかいっぱいに、花守様の花の香がしていた。
どうやら、治療してくれたみたいだ。
「くれぐれも無茶はしないように。気を付けてくださいねえ、楓さん。」
花守様は起きたあたしの背中を撫でながら、しみじみと言った。
「・・・ろうも、ふみまへぇん・・・」
う。・・・まだなんか、鼻がおかしい。
「へろ、なんは、ふひろ、ひほひはひへ・・・」
「虫の匂い?」
流石花守様だ。
あたしの言いたいことは、ちゃんと通じている。
「あはひはんの、いひ・・・いひ!いひ!!」
「これですかね?お嬢?」
あたしが何度も指さすと、アザミさんはあの石を取り出して渡してくれた。
「ほう。
これは、あの妖物の欠片ですね?」
石を光にかざして見た花守様は、一目でそれがあの虫の欠片だと分かったみたいだ。
けど、くんくんくん、と石の匂いを嗅いで、首を傾げた。
「はて。
匂いなんか、しますかね?」
「ひょうほふほ、ひほひ・・・」
「妖力の匂い?」
花守様は首を傾げる。
「楓さんは、その匂いが分かるんですか?」
あたしが頷くと、まあ、と花守様は目を丸くした。
「妖力に匂いがあったとは・・・
わたしもとんと知りませんでした。」
「へ?
はりはふひょ?ひんは・・・」
「お嬢、今は無理して喋らないでくだせえ。
アッシは、あまりに痛々しくて、見てらんねえ・・・」
レンさんは目頭を抑えて、唸るように言った。
花守様は、ぽん、と手をたたいた。
「ああ、そうそう。
ちょっと待ってくださいね。
こんなもんかなあ・・・ほい。」
今度は鼻の一番痛かったところに、ぶわっと花の匂いが送り込まれる。
途端につまったみたいだった鼻が、すっと通った。
「妖力って、みんな、そのヒトそれぞれの匂いが、するじゃないですか?」
ようやくまともに口をきけるようになって言うと、その場の全員が、同時に首を傾げた。
「いやあ、アッシには分かりませんねえ。」
「アッシも、そんな匂い、嗅いだことないねえ。」
「左右に同じく、です。」
「ええっ?しませんか?」
あたしはもう一度石を借りて匂いを嗅いでみる。
さっきので懲りたから、鼻の感度は、三倍くらいにしておいた。
「うん。匂いますよ?
なんだろう、これ・・・甘ったるいような・・・」
「甘い匂い、ですか?」
花守様から順番にまた石の匂いを嗅いだけれど、全員、もう一度首を傾げただけだった。
「しますよ。
それにね、これ、レンさんからも匂ってたんです。」
「え?アッシの匂い?」
レンさんは慌てて自分のからだをくんくんと嗅ぎまわる。
「いや、多分、虫の匂いだと思います。
正確には、虫の術を使う術師の妖力の匂いですけど。」
「楓さんには、それが分かるんですか?」
「みんな分かると思ってました。
妖力って、みんなそれぞれ、違う匂い、するでしょう?」
「わたしはこのなかの誰より長く生きていますけど、今の今まで、そんなこと知りませんでした。」
花守様は、にこっとして言い切った。
「でも、それが分かるなら・・・」
花守様と目が合って、あたしは、花守様の言いたいことが分かった。
そのまま急いで仮死状態の患者さんたちが眠っている場所へとむかった。
「う。匂います。
鼻の感度上げたから、なおさら・・・甘ったるくて・・・、胸やけしそう・・・」
けぷっ、とあがってくるのを抑え込んで、あたしは、患者さんたちの匂いを嗅いだ。
「うっわ、これ、たまらん・・・」
あまりの匂いに、思わずぱたぱたと鼻を仰ぐ。
そのあたしに、花守様は、一匹の狐を差し出した。
「ちょっとこの方を、嗅いでみてくれませんか?」
こういうとき、花守様って、本当、容赦ないですよね?
あたしは涙目になりつつも、狐の匂いを丁寧に嗅いだ。
「うん。匂います。この、首の辺りから・・・」
「首?」
花守様は、ふーむ、と腕組みをしてしばらく何か考えていたかと思ったら、いきなり言った。
「施術をします。」
すぐさま、施術の準備が整えられた。




