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ひどいひどいひどい。
つらいつらいつらい。
話しを聞きながら、頭の中はそれでいっぱいだった。
大王付きの術師は、どうしてこんなひどいことをするんだろう。
こんなことをして、楽しいんだろうか。
確かに、殺した人間の数を自慢する戦師だっている。
そういう戦師のことが、あたしは大嫌いだった。
大王の術師も、そんな類の人間なのかもしれない。
殺されたヒトには、家族や仲間がいる。
殺したヒトにだって、家族も仲間もいる。
もうこんな悲しいことは繰り返したくない。
アザミさんの話しを聞いて、心の底から思う。
人間の間の争いなんて、正直、どうでもいい。
狐は関係ないんだから、いっそ、関わらなければいいと思う。
だけど、虫憑きは、今、どうしようもなく、この目の前にある脅威だ。
これだけは、なんとかして祓うしかない。
花守様は、虫を憑けられたヒトも、助けるつもりみたいだけど。
どうしたら、狐のなかから、虫だけを祓うことができるんだろう。
療養中、アザミさんは、おとなしく、あたしの世話を受けてくれた。
藤右衛門より、よっぽど扱いやすいくらいだ。
それでも、あのとき、藤右衛門は、アザミさんより速く、確実に、回復していった。
それって、藤右衛門自身が、治りたい、治そうと、強く思っていたからかもしれない。
ともすると、生きることを諦めてしまいそうになるアザミさんは、とても危うかった。
どうにかして、生きていたいと思ってほしかった。
アザミさんは、親もきょうだいもなく、身内と呼べるヒトは誰もいないらしい。
長く、過酷な戦場で生きてきて、友や仲間と呼べるヒトたちも、ほとんど残っていない。
恋人や妻を持ったこともなく、もちろん、仔狐もいないそうだ。
そんなアザミさんにとって、相棒はどれだけ大事なヒトだったろう。
相棒は、心底信頼できて、命をも預けられる存在。
家族とはまた違うけど、大事な相手だ。
あたしは、暇があると、アザミさんのところに行くようにしていた。
これといって、できることもないんだけど。
それでも、傍にいて、どうでもいい話しをする。
乾燥させた薬を粉にして丸薬にする。
そういう仕事なら、場所を選ばなかったから。
あたしは、アザミさんの寝床の傍に、道具一式持ち込んで、いつもそこでやるようにしていた。
レンさんも、アザミさんのところには、足繁く、お見舞いに来てくれた。
レンさんのあの下っ端気質は、妙に、相手の警戒心を解いてしまうらしい。
そうして、ふたり楽しそうにいろはの話しをしている。
いろはのことは、あたしの生まれる前のことだし、よく知らないんだけど。
どれだけ時間が経っても、こうやって話してもらえるなんて、やっぱりすごい戦師だったんだなあ。
アザミさんもレンさんには次第に気を許しているようだった。
あるとき、懐から取り出した石を大事そうに見せて言った。
「これはね、アッシの相棒の欠片なんですよ。」
それはぼこぼこした透明な石で、なかに、わずかにきらきら光る粉が閉じ込められていた。
「やつに化けた虫が砕け散る最後の最後にね。
アッシはとっさに、その欠片を、妖力に閉じ込めたんだ。
焦っちまったから、こんな、ぼこぼこの、不細工な代物になっちまったけどね。
どうしても、アッシはこれを捨てられなくてね。」
「へえ~。
あ、アッシに見せてくださるんっすか?」
レンさんはそれを受け取って、光に透かして見た。
あたしも横から覗き込む。
小さな欠片は、きらきらと光を反射する。
前に、レンさんの虫を祓ったときに、消えて行った光る虫を思い出した。
「愚か者だと笑ってくだせえ。
これは、あいつじゃねえ。
あいつに化けた、憎っき虫の欠片だ。
なのに、こんなものを、後生大事に持ってるなんてね?」
「笑いませんよ。
だって、虫だったとしても、何年も、相棒だったんでしょう?」
それは、アザミさんの相棒の記憶を読んで、そのヒトになりすました虫だ。
けど、それが、どれだけ本人そのままか、それはよく知っていたから。
憎くても、それでもやっぱり、捨てられない。
それも、仕方ないような気がした。
「う、ん?
ちょっと、待って・・・これ・・・」
欠片を見ていたあたしは、ふ、と気付いた。
妖力に閉じ込められてはいるんだけど、この欠片、独特の匂いがある。
甘ったるいようなこの匂い。
前に、レンさんが虫憑きだったときにも、感じた。
「・・・これって、もしかして、その術師の匂いかも・・・」
狐が妖力を使うとき、独特の匂いがする。
花守様は、ふわりと香る花の香だ。
それと同じような、独特の、術の匂い、を感じたんだ。
石はアザミさんの妖力を固めたものだったから、アザミさんの匂いが強い。
温かな日差しの降り注ぐ春の野に、ときどき吹くひやりと冷たい風。
凛として、優しいのに、どこかよそよそしくて、たまらなく淋しい。
妖力の匂いには、そのヒトらしさを感じる。
けど、この石には、それとは違う匂いもある。
甘ったるくて、何かを誘い込む・・・
まるで、虫を惑わせる毒の蜜のような・・・
くそ。
やっぱり、よく分からない。
アザミさんの匂いが強すぎるんだ。
もっとよく嗅ぎ分けたくて、あたしは自分の鼻の感度を百倍、敏感にした。
その途端、鼻に、つーんと突き刺すような痛みを感じた。
あたしは、ぎゃん、と一声鳴くと、そのまま気を失った。




