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アザミさんは、戦場の最前線で人間に混じって戦う部隊の、隊長のようなことをしていたそうだ。
戦師にもいろいろいて、そんなふうに、直接刃を交えるところにいる狐は、実は意外と少ない。
よほどのことがない限り、直接には手は出さないものらしい。
だいたいは、裏側にいて、あれこれ工作をしたり、敵の策を防いだりしている。
ことに、藤右衛門の代になってからは、そんなふうに戦場に出ることはほとんどなくなったそうだ。
けど、アザミさんが隊長をしていた頃は、そんな部隊はいくつもあった。
妖狐にとって、人間の兵士など、それほど脅威ではない。
腕力も速さも生命力も、妖狐と人間では、くらべものにもならないからだ。
だから、妖狐の加勢した軍は強い。
数は少なくとも、ぐいぐいと勝ち進む。
敵にとっては、これほど厄介なものもない存在だったそうだ。
アザミさんの部隊が戦っていたのは、大王の軍勢だった。
大王は、しばらく前にどこかからやってきて、あの大きな都を作った人間たちの長だ。
この地に昔からいる、いわゆる旧きモノたちは、最初、敵対も協調もしなかった。
どうぞご勝手に。
あ、でも、都は楽しそうだから、たまには、見物に行ってみるかな?
そのくらいの感覚だった。
大王の都はますます繁栄して、そこに集まる人間も増えた。
すると大王は、多くの旧きモノたちに、恭順を誓え、と言ってきた。
たしか、妖狐の郷も、当時の郷長は、おとなしく恭順を誓うと返事したはずだ。
けど、なかには、余所者に仕えるなど、真っ平だと言った人間たちもいた。
すると、そこは戦になった。
大王は、従わぬモノは、徹底的に潰しにかかった。
マツロワヌモノは征伐せよ、の檄は国中に響き渡り、民は、敵味方に分かれて争い始めた。
に、したところで、狐にとってそれは、所詮、対岸の火事だった。
人間同士どれだけ争おうと、狐には関係ない。
そっちで勝手にやってくれ、って感じだ。
だけど、旧きモノたちのなかには、狐の郷との古い付き合いのある人間たちもいた。
交易や協力、そういうことで、妖狐も長い間、人間たちとうまくやってきたんだ。
人間に憎まれないための、それは方便でもあったのだけれど。
この期に及んで、それが、狐自身の首を絞めることにもなった。
狐は情が深い。
こういうとき、それは、最大の弱点になる。
縁のあったモノが困っているのなら、助けに行かにゃなるまい。
なんの疑問も持たずに、そう考えるのが、狐なんだ。
狐の加勢した軍勢は、大王の大軍をも押し返す。
あやつらは、何故、あれほど、強い?
そりゃ、大王だって考えるだろう。
そうして、狐は、うっかり大王の敵に回ってしまった。
相手が狐だと分かれば、大王は徹底的にその対策を取ってきた。
大王のお抱えには、怪しい異国の術を使う術師も大勢いるらしい。
虫憑き、もその術のひとつだったようだ。
最前線にいたアザミさんたちの部隊は、薬が不足しがちだった。
花守様からは多めにもらってくるのだけれど。
怪我したときの痛み止め、化膿止めというのは、まあ、一番正しい使い方だ。
その他、頭痛歯痛腹下し、風邪に寝不足ちょっと疲れたときにも。
とにかく、どんな不調にも、狐の秘薬を飲んでいたもんだから。
そりゃあ、いくらあっても足りはしない。
かと言って、そうしょっちゅう、郷に補給には戻れない。
ときどき、郷からの連絡係は、行李いっぱい薬を持ってきてくれるけど。
それでも、到底、足りなかった。
そんなとき、部隊に現れたのが、謎の薬売りの小僧だった。
小僧はいろんな薬を持っていた。
最初のうちは、その薬に害なんてなかった。
それどころか、薬はどれもよく効いた。
花守様の薬よりいいんじゃないかと言うモノもいたくらいだ。
小僧はいつも大歓迎され、持ってくる薬は全部、飛ぶように売れた。
けど、それは狐を安心させ、信用させるための、小僧の策だった。
あるとき、突然、いっぺんに五人の戦師が狂った。
狂った戦師は、味方の部隊を攻撃し、慌てて止めた仲間が、何匹も犠牲になった。
正気を失い、真の本性まで現して暴れる仲間を無傷で止めるなんて、不可能だった。
結局、五人すべて、失うしかなかった。
そのころはまだ、施療院に直接転送する術はなかった。
酷い怪我を負った狐は、仲間が郷まで運ぶしかなかった。
戦の加勢もそっちのけに、狐たちは仲間を運んだけれど。
大勢の仲間が、結局、手遅れになった。
そうして、アザミさんの部隊は、一瞬で壊滅した。
真の本性を現して暴れた妖狐に、味方していた人間たちも恐れをなした。
そうして、結局、長く続いたはずの彼らとの縁は、ぷっつりとそこで切れてしまった。
そんなことが、あちこちの部隊で起こっていた。
けれど、皆、突然仲間がおかしくなった原因が、あの謎の薬売りだとは気付かなかった。
薬売りは、騒動の後に、傷薬を持って、駆け付けまでした。
苦しむ仲間を、遠い施療院にまで運ばなければならなかった狐たちは、小僧の薬に感謝すらした。
一度郷に戻った戦師たちは、無事な狐たちが再編されて、新しい部隊になった。
そうしてまた、戦場へと送られていった。
大王と敵対していない部隊には、そんな被害はなかった。
おそらくは、大王付きの術師の術に違いない。
その程度のことは、推測されていたけど、それ以上のことは、何も分かっていなかった。
戦師が狂うのは、虫に憑りつかれていたせいだ。
それが分かったのは、ずいぶん経ってからだった。
斬られようとした戦師から、突然、虫が逃げ出したのだ。
後に残された戦師のからだは、まるでセミの抜け殻のように、中には何も残っていなかった。
けれど、虫憑きとそうでないモノとを見分ける術はなかった。
虫憑きは、ある日突然、狂いだし、味方に大きな被害を与える。
そういうことが何度も繰り返された。
少しずつ、少しずつ、旧きモノたちの間でも、妖狐に助力を求められることは減っていった。
妖狐は突然狂って暴れだす。
強力な味方というより、当てにならない恐ろしいモノ、だと言われるようになった。
それでも、妖狐たちは、求められれば、力を貸し続けた。
戦師たちは、人間に力を貸して、共に戦った。
次第に、突然、虫憑きが狂って、暴れだすということはなくなっていった。
これでようやく、虫憑きの脅威も去ったかと思われた。
前線で戦うモノにとっては、戦とは、臨機応変に動かなければならないことのほうが多い。
綿密に策を組み立てても、その通りになど、なかなかいかないものだ。
大なり小なりの失敗も、そんな日常にはつきものだった。
それにしても、肝心なところで、大きな失敗をする。
アザミさんの相棒は、それを、三度、繰り返した。
三度目に、アザミさんは、悟った。
そうして、大切な相棒に、刃をむけた。
もうずっと、相棒は相棒じゃなかった。
それを知ったとき、アザミさんは、自分の生きてきた時間のすべてが、空白になった気がした。
自分の信じていたもの、大事なものが、全部幻みたいに消えていった。
もうこれ以上、生きていたくない。
そう思いながらも、生き続けたのは、せめて、相棒の敵だけは取りたいと考えたからだった。
世界を彷徨し、妖狐の噂を追い続け。
そうして、ようやく、アザミさんは、相棒の敵を討った。
そのとき、アザミさん自身も深手を負った。
薄れゆく意識をゆっくりと手放しながら、それでも、アザミさんは満足だったらしい。
最後に相棒が、にっこりと笑ってくれるのが見えた気がした、そうだ。




