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そのころのあたしの仕事は、もうほとんど、薬作りばかりになっていた。
毎日、花と水とを詰めた甕が、ずらっと逆さ井戸のところに並べられる。
あたしは、その甕を、それぞれ必要な薬に仕込んでいく。
いつの間にか、あたしも花守様と一緒に、新しい薬を考えることもできるようになった。
あれこれと相談しながら試作して、実際に使えるようになった薬もたくさんあった。
スギナは薬売りの頭領になった。
頭領なんて柄じゃねえ、とか言いながらも、満更でもなさそうだ。
ただ、最近は仕事が忙しいのか、嫁に来い云々の冗談はめっきり言わなくなった。
まあ、スギナもオトナになったってことかねえ。
虫憑きの患者さんたちは、仮死状態のまま、並んで眠らされている。
いまだに打つ手は見つかっていなかった。
そんなとき、ひとりの患者さんが、施療院にきた。
その患者さんは、戦場から直接転送されてきた。
戦で負傷したわけではなく、戦場の近くに倒れていたのを戦師が見つけたらしい。
肩にひどい噛み傷を負って、高熱を出し、瘧のように、全身をかたかたと震わせていた。
すぐに花守様は施術した。
久しぶりに長い施術だった。
ぐったりと疲れ切って天幕から出てきた花守様は、よっこいしょ、とそのまま草の上に座り込んだ。
「大丈夫ですか?」
あたしは駆け寄って水を手渡す。
逆さ井戸の水は、その水にも、治癒の効果がある。
「ああ・・・有難う・・・」
花守様は、水を飲み干して、ため息を吐いた。
「患者さんの具合は?」
「ああ・・・もう大丈夫ですよ。
少しばかり、手こずりましたけどね。
これは、藤殿のとき以来ですかねえ。」
患者さんを一目見たとき、あたしも思っていた。
これは、藤右衛門のときと、よく似ている。
「やっぱり、虫の呪いだったんですか?」
「ええ。そうでしょうね。
またあの虫が、動き出してしまいましたねえ。」
花守様は、ため息を吐いた。
「事情は、目をお覚ましになったら、また伺いますけどね。
それにしても、よく、生きていてくださったものだ。」
花守様は、ちょっと遠い目をして、辛そうに眉をひそめた。
その患者さんの療養は、藤右衛門のときよりも大変だった。
柊さんと花守様が交代で、ほぼつきっきりで治療を続けた。
何度か心の臓も止まりかけたらしい。
この患者さんは、もう、生きていたくないと思っているようだ、と柊さんは言った。
そういうヒトを治すのって、ものすごく大変なんだそうだ。
それでも、必死の治療で、なんとか持ちこたえた。
患者さんが目を覚まし、話しができるようになるまでには、まだひと月以上かかった。
その間に、また、虫を憑けられた戦師が、施療院にふたり、送られてきた。
患者さんが目を覚ますと、あたしがお世話を引き継いだ。
最近は薬作りばっかりやってたけど、このヒトとはどうしても直接話してみたかった。
目を覚ました患者さんは、一言で言えば、ひどく折り目正しいヒトだった。
見た目は、ものすごーくおっかないんだけどさ。
名はアザミ。
その名の通り、どこかとげとげしい空気を纏っている。
年は、柊さんや藤右衛門と同じくらいか、もしかしたら、もう少し上かもしれない。
あちこちについた刀傷が、戦の最前線にいたヒトなのだと思わせる。
目つきも身のこなしも、全く隙が無い。
戦師の家柄に生まれたのじゃない。
幼いころから戦場を駆け回った、いわゆる、たたき上げの戦師だった。
アザミさんも、藤右衛門と同じように、手を動かすことができなかった。
やっぱり呪いのせいだ。
けど、藤右衛門みたいに、術で器用に道具を使うこともできないらしい。
その辺は、やっぱり、向き不向きなのかな。
あたしが食事をお手伝いすると、アザミさんは、ひどく恐縮したように、申し訳ないと繰り返した。
「アッシはもはや、生きていても仕方のないモノでございやす。
お嬢の手を煩わせるのも、申し訳ねえ。」
そういって、何度も何度も頭を下げる。
「そんなこと言わないで。
せっかく、助かったのですから。
どうか、元気になってください。」
そういってお匙を差し出すと、涙を零しながら、それでも、おとなしく食べさせてくれた。
なんか、怖いけど、すごくいいヒトなんだ。
そういうヒトだったけど、事情はなかなか話してはくれなかった。
その固い口が開くきっかけを持ってきたのは、レンさんだった。
頭領からの見舞いの品と言って、レンさんは、アザミさんに大きな籠いっぱいの果物を持ってきた。
都の市で手に入れたらしい。
それは、あたしでもちょっと見たことないくらい、立派な果実だった。
「アザミ師。
おめえさま、郷を抜けなさった狐だそうっすね?」
どさりと果物を枕元に置いて、開口一番、レンさんはそう言った。
「貴殿は、蓮華殿か。生きて帰られたのか。」
アザミさんはレンさんを見て無表情なまま言った。
「なによりだ。
相棒を失わぬのは、流石、頭領様。
アッシとは格が違う。」
そう呟くアザミさんの目が、ちらりと暗く陰った。
「アニキが立派だってのには、同意しますけどね。
おめえさまも、なかなかどうして、立派な御仁よ。
相棒の敵討ちを、果たされたんだってね?」
レンさんがそう言うと、アザミさんは、深いため息を吐いた。
「・・・アッシは、長い間、相棒が別モノになってたことにも気付かなかった間抜けよ。
ただ、相棒の後始末だけは、この手で、片を付けてやりたかった。
それの済んだアッシは、もはや抜け殻のようなもの。
生きている値打ちなんぞ、ありはしないが、このお嬢が、許してくれねえのさ。」
あ。と思った。
前に、藤右衛門から聞いたことがある。
相棒が虫憑きになっていたことに長い間気づかなかった狐の話し。
確か、思い余って相棒を斬ったら、虫が逃げて行って。
その後、そのヒトも郷を出て行方が分からなくなったって言ってた。
けど、敵討ちって・・・
あたしは、アザミさんの肩の傷を見た。
そうか、そういうことか。
アザミさんはあたしを見て、ちらっと笑った。
「まだまだ生きて、生き恥をさらせとおっしゃる。
けど、頭領のお嬢様のおっしゃることだもの。
アッシに逆らう力なんざぁ、ありゃしません。」
「アザミさん?あたしが藤右衛門の娘だってこと・・・」
アザミさんは、目を丸くするあたしを見て、ちらっと笑った。
「そりゃあ、お嬢は、若いころの紅葉様に瓜二つだもの。
気付きまさあ。
アッシのように古い連中はね。
みぃんな、紅いろはに憧れてたからね。」
紅いろは、の名を聞いて、レンさんが黙っているはずはない。
アザミさんの上に身を乗り出すようにして、自分を指さしながら、勢い込んで言った。
「アッシアッシ!アッシも、いろはには憧れてました。
それこそ、仔狐のころからね?
だから、アニキの相棒にも、無理やり志願して。
追い返されても追い返されても諦めなかったんでさ。」
圧し掛かるレンさんに苦笑しながらも、アザミさんは、嫌そうな顔はしなかった。
「知っておりやすよ。
若いってのは、怖いモノ知らずだねえ、と思ったもんです。
あの藤右衛門に直談判とはね。
ありゃあ、当代一の食えない狐だからね。」
食えない狐って、戦師さんたちの間でも言われてた、ってのには、ちょっと笑ってしまった。
きっと藤右衛門、今頃くしゃみしてるだろう。
「いやあ、あれでなかなか、いいやつなんっすよ?アニキは。」
レンさんはすぐさま藤右衛門を擁護する。
もうこれって、ほとんど反射だよね。
「そうでしょうや。
皆、陰じゃいろいろ言うが、腹ん中じゃ、認めてんっすよ。
頭領もあの方が継ぐと言わなかったら、もっともめてただろうね。」
「アッシも、それだけは、アニキにやってもらってよかった、って思ってます。」
ふたり、妙なところで、意気投合したようだった。
「あんたは、頭領の相棒だってのに、少しも偉ぶったところがないんだね?」
アザミさんはレンさんに感心したように言った。
レンさんはけろっと笑って返した。
「そりゃあね。
アニキがどれだけ立派だったとしても、アッシが立派なわけじゃありやせんからね。
いやあ、アッシは、アニキに迷惑、かけ通しで・・・」
頭をかくレンさんに、アザミさんは、いやいや、と笑った。
「あのお方の相棒を続けられるってだけで、そりゃもう、立派な才能だよ。
なかなかに、気難しい方らしいじゃないか。」
「多少、気分屋で、口うるさいとこはありますかね。
あと、歯に衣着せないっていうか、何着せても噛み破っちゃうくらい、丈夫な歯、してるっす。」
「そいつぁ、大変だ。」
ふたり、声を合わせてげらげら笑った。
いやさぞかし藤右衛門、今頃、くしゃみを連発してることだろう。
それにしても、ヒトの陰口ってのは、どうしてこんなに盛り上がるんだろうね。
まあ、レンさんのきく陰口なんて、根っこに悪意がないからいいんだけど。
何言ってても、レンさんって、本当に藤右衛門のこと信頼してるんだなあ、って思える。
これが本当の相棒ってもんなのかなあ。
「アタシの相棒は、そりゃあもう、おとなしいやつでね。
だけど、芯は強い、そして、優しいやつでしたよ。」
アザミさんは遠い目をして語りだした。




