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レンさんが退院してから、しばらくは、平穏な毎日だった。
もっとも、施療院の平穏というのは、普通に忙しい、んだけど。
滅茶苦茶忙しい、じゃないだけ、平穏、ということだ。
ずっと藤右衛門の世話に手を取られていた間、あたしの仕事は、他のヒトが代わってくれていた。
花集めも、水汲みも、あたしがやらなくても、誰かがやっておいてくれる。
あたしは妖力を注ぎながら、薬を仕込むところだけやればいいようになっていた。
ちょうど、あたしがここに来たころ、花守様に代わって花集めを手伝うようになったみたいな感じ。
あのとき、花守様は、とても助かりますって、喜んでくれたけど。
今じゃあたしが、その立場になって、助かるなあって思ってた。
その藤右衛門も、少しずつ、世話はいらなくなっていた。
呪いは相変わらず解呪できてなくて、手は使えないままだったんだけど。
藤右衛門は器用になんでも術でやってしまう。
もっとも、事情を知らないヒトがそれを見て、究極の無精者だと陰口を言いふらして。
藤右衛門が思い切り渋い顔をしたとか、そういうこともあったんだけどね。
厨房にしょっちゅう出入りして、独活さんにも、なにやら文句をつけているらしい。
もっとも、藤右衛門が口出ししたおかげで、料理の味は格段によくなったんだと。
独活さんも、最初は迷惑がっていたけど、最近は感謝していっそ教えを乞うているとかなんとか。
そういうこと言われると、藤右衛門が、ますます調子に乗るんだけども。
食べるものが美味しいのはいいことだから、まあ、いいっか。
そろそろ都の家に帰りたいって、ごねてたけど。
一応、まだ、施療院にいて、療養は必要らしい。
頭領なら、ここでもできる、と柊さんに言われて、ちょっと拗ねていた。
それでも、ときどきふらっと外を出歩くことも多くなった。
あたしとしては、ひとりで外に行かれるのは心配なんだけど。
お役目だから、と言われれば、そう反対もできなかった。
とりあえず藤右衛門に手もかからなくなったし、とはいえ、薬作りの手間も減ったし、で。
あいた時間、あたしは、花守様に、病用の薬作りを習うことにした。
前に、花守様も、時間があいたとき、新しい薬やら施術の道具の改良やらやり始めてたけど。
そういうとこまで、あたしは導師からしっかり受け継いでしまったらしい。
しかし、やり始めると、これがなかなか楽しかった。
狐火は、相変わらず上手につけられないんだけどさ。
薬を作るとき、微妙な妖力の加減は、案外、すらっとできてしまったんだ。
つくづく、向き不向きってのは、あるもんだねえ。
そういうわけで、薬も大量に作ることができるようになった。
すると、藤右衛門は、戦師のなかから何人か、薬売りにしたいと言ってきた。
施療院のなかからも、スギナのような薬売りになりたいと言うヒトたちも現れた。
花守様は、基本的に、ヒトに否やは言わないヒトだ。
それが、安全とか命とかに関わらない限りは。
それで、施療院付きの薬売りも、あっという間に数が増えた。
スギナはその先達として、皆から頼りにされているらしい。
といっても、周囲は年上ばっかだし、なかには百戦錬磨の元戦師もいたりして。
なかなかにやりにくい、って愚痴ってたけどね。
いつの間にか夏は過ぎ、秋の涼しい風が吹き始めた。
といっても、施療院のなかは、年中常春。
ほどよい暖かさで、ずっと外に出ないと、今の季節が何なのか分からなくなってしまう。
最近じゃ、花集めも水汲みも、ヒト任せで、森にも行かなくなったし。
薬の仕込みも、花守様みたいに、逆さ井戸のところでやるようになった。
日の出だけは、見に行っていたから、それが唯一、季節を感じるときなんだけど。
それすらやらなくなったら、本当に、季節なんて忘れてしまうんだろうなって、ちょっと怖い。
朝の森は、いつの間にかセミが鳴かなくなって、秋の虫が鳴いていた。
といっても、自分で気づいたわけじゃなくて、花守様に言われて、ああ、って感じだったんだけど。
ようやく、一息、つけますかねえ、と花守様は、しみじみしていた。
陽の気の強すぎる季節は、幻術の効きが悪くなって大変なんだということを思い出した。
あたしは、術で治療ができないから、あんまり気にしてなかったけど。
治療師さんたちは、いつも以上に、患者さんのお世話が増えて、大変なんだよね。
急いで、おつかれさまでした、って言ったら、花守様は、いえいえ~、と笑った。
なんだろうなあ。
このヒトって、本当、忙しいはずなんだけど、全っ然、そうは見えないんだよね。
もっとも、花守様が忙しそうにしたら、きっと、みんなものすごく、不安になるだろうって、思う。
あの花守様が、忙しいなんて!ってね。
そんなちょっとほっとできるかなあ、なんて季節に。
それは始まったんだ。
退院したレンさんは、アズさんと仔狐たちと暮らしながら、戦師をしていた。
ああ、そうそう、藤右衛門は正式に、奥方とは離縁した。
まあ、ちっとも、だあれも、なにひとつ、文句なんか出なかったけどね。
そんで、レンさんは、晴れて、アズさんと夫婦になった。
ちゃんと、祝言も挙げたんだよ。
まだ、夏の、暑い暑い日だった。
戦師さんたちや施療院のヒトたち、大勢押しかけたっけ。
双子と、レンさんとが、三人で、いろはの誉め謡、踊ってさあ。
それも、四十八番、全部。
いやもう、汗、だっくだくなのに、これ以上ないって笑顔だった。
花嫁姿のアズさんが、ぼろぼろぼろぼろ泣いてて。
それ見てたみたいに、空も、いきなり、盛大なお天気雨になった。
いやあ、いいお式だったよ。
そのレンさんは、まだ、肩慣らしと言って、重いお役目は受けていないらしかった。
ちょこちょこと、他の戦師の補佐みたいなこと、してたんだ。
まあ、レンさんの相棒もまだ、療養中だしね。
そのレンさんが、ある日、ひとりの患者を施療院に連れてきた。
まだ若くて、つい最近一人前になったかな、ってくらいの狐だ。
ぱっと見た目、どこにも傷なんてないのに、狐姿になってしまっていて、意識がない。
どうやら、仮死状態になっているらしかった。
「こいつね、戦場に使いに出されてたんっすけど。
ある日突然、自分のことが、誰だか分からねえって言い出したらしくて。
その前の日に、まだ暑いのに、ぞくぞくする、夏風邪かねえ、なんて、言ってたって言うから。
慌てて、仮死の術かけて、連れてきたんでさ。」
レンさんの話しを聞いて、花守様も、ごくりと唾をのんだ。
それは、虫憑きの最初の兆候によく似ている。
慌てて、患者の全身をよく調べたけれど、これと言った異変は見つけられなかった。
「・・・そうなんですよ。
蓮華殿のときもね。
これといって、変わったところはなくてねえ・・・」
花守様は首を傾げた。
花守様の診察を、あたしも横で見ていた。
これじゃあ、虫憑きなのか、ただの夏風邪なのかの判断もつかない。
なにか、判別する方法はないものかなあ、と考えていた。
「目を覚まさせて、いざとなったら、虫を祓う。
それしか、方法はないでしょうか。」
それは、レンさんのときに、藤右衛門のとった方法だった。
「その方法は、今まで二度、成功してはいますが・・・
まだ、確実性には乏しいのですよね。
それに、失敗してしまったら、この狐は命を落としてしまう。
なにかもっと、確実な方法があればよいのですが。」
そうなんだよねえ・・・
せめて、虫の卵がどこにあるか分かればいいのに。
それなら、花守様なら、施術で取り出せるはずだ。
「あの卵は、巧妙に隠してあって、まったく異物感がないんです。
この虫を作っているのは、よほどの術師かと。」
レンさんのときは、膏薬に小さな針と一緒に仕込んであったらしい。
そういえば、貼ったときにちくっとした、とレンさんは言った。
けど、それ以降、花守様の薬以外は一切使わないようにと、藤右衛門が厳命を出した。
破れば一族郎党、郷を追放になる、という、一番重たい命令だ。
そんなことで、身内全員追放になるなんて、たまったもんじゃない。
みんな、よくその命令は守っているらしい。
「こいつも、膏薬なんてものは、貼ってなかった、って、導師も証言してるんですが。
いったい、どこで仕込まれたのやら・・・」
「ちくっとした、くらいのことなら、よくあることですからね。
戦場で戦っている最中なら、ちくっ、どころではないでしょうし。
野営の最中にも、いくらでもその機会はある気もします。」
とにかく、その経路が分からない。
結局、やむを得ず、その狐は、しばらく仮死状態のままにしておくことになった。
レンさんの仮死の術は、なにせ、十年の実績がある。
なにか策の見つかるまでは、そのほうが安心だろうというわけだ。
「あ。こやつの傍では、いろはの誉め謡は、歌わないでください。
アッシの術を解除する合言葉は、あの謡っす。」
それを聞いて、あたしは、あ!!!と叫んだ。
そういえばあのとき、あたしは、眠っているレンさんの傍で、薬棚整理しながら、鼻歌歌ってたんだ。
「レンさんの目を覚まさせてしまったのって、あたしだったんだ!」
やばいやばいやばい。
いまさらだけど、あれって、ものすごくやばかった。
レンさんが目を覚ませば、虫の卵も孵る。
そうして、レンさんを乗っ取りにくる。
レンさんからうまく虫を祓えたのって、本当に、奇跡みたいな巡り合わせだったんだ。
「そうなんっすか?お嬢。
それはその節は、御厄介になりやした。」
レンさんはにこにこと頭を下げたけど。
いやほんと、なんとかなって、よかった。
紙一重の差の幸運だったんだって思ったら、今更ながら、背筋がぞくぞくした。
けど、その後も同じような患者さんが、月に一度ほどの割合で運び込まれることになった。
結局、今は対策もなく、患者さんたちは、仮死状態のまま、並んで眠っている。
今はまだ、それ以外にできることもなかった。
ところが、秋が過ぎ、冬の声の聞こえるころになると、虫憑きが、一気になくなった。
「寒くなると、憑ける虫も、動けなくなるんでしょうか。」
だとすると、助かるんだけど。
「それに、この虫は、そうぽんぽん作り出せるものでもないようですねえ。」
月に一匹。
せいぜい、そのくらいの間隔でしか、この虫は作れないらしい。
フコジュツ、とか藤右衛門は言っていたけれど。
それって、なに?って聞いたら、お前は知らなくていいって言われた。
どうも、遠い国の禁術らしい。
「冬の間、仮に、三か月は虫を作れないとして。
一年で九匹。
十年で、九十匹。
うまく退治できたのは、二匹。
虫憑きだと判明して、逃げられたのが、十匹。
とすると、まだ、八十匹ちかい虫憑きが、郷のなかにいることになりますねえ。」
花守様は指を折りながらそんな計算をする。
八十匹もまだ虫憑きがいるなんて、考えただけでぞっとする。
「なんとしても、その八十匹、救いますよ?」
「・・・救えるんですか?」
「救いましょう。」
でも、そのヒトたちって、もうほとんど、からだのなかで、虫の殻は完成してるんだよね。
今まで救えたのって、殻がまだできてなかったヒトだけだけど。
それでも、なんとかなる、って、花守様、本気で考えてるんだろうか。
冬の初め頃、藤右衛門は強引に都の家に帰ってしまった。
解呪はまだできていない。
あたしは帰らせたくなかったんだけど。
何の不自由もないからと言って、強引に押し切られた。
藤右衛門は藤右衛門で、なにか思うところもあるのかもしれない。
あたしはもう、以前ほど、藤右衛門を嫌ってはいなかったけれど。
傍にいてほしいと、父親に甘える年でもなかった。
そうして、冬が過ぎ、また、虫の蠢く、春がやってきた。
春の訪れと共に、虫もまた動き出し、それと同時に、大きく事態も動くことになった。




