78
その日も朝から厨でお粥を炊いていた。
藤右衛門はあたしの横に床几を持ってきて、ずっと座っている。
「あ、ほら、そこまだ、皮、残ってるじゃないか。」
「粒がなくなるまで、もっと、丁寧にすり潰すんだよ?」
「ほらほら、よそ見してると、ふきこぼれるだろ?」
「混ぜないと、あっというまに焦げ付くよ?」
・・・・・・。
まったく、いちいちいちいち、うるさい。
いらいらと振り向いた瞬間だった。
「あ!」
藤右衛門は小さく叫ぶと、いきなり立ち上がった。
ぐいと引っ張られる感覚と、かんと何かぶつかる音と、がしゃんと物が割れる音がした。
しまったと思って振り返ると、お粥を炊いていた鍋が、地面に落ちて割れていた。
かき混ぜていたおたまをひっかけて、落としてしまったらしい。
慌てて拾おうとすると、藤右衛門が、ダメっ、と鋭く言った。
「直接手で拾ったら、破片で手を切るから。
いいから、お前はこっちおいで。」
自分の後ろに顎をくいとむける。
あたしはおとなしく言われた通りに藤右衛門の後ろに行った。
あたしをどかせると、藤右衛門は、すぃっと視線を動かした。
すると洗い場にあった桶が、すぃーっと飛んできて、割れたお鍋の横に降りた。
藤右衛門の視線の動きに合わせるように、お鍋の欠片が、その桶のなかに入っていく。
あらかた拾い終わったところで、また別の桶を呼ぶ。
今度は、零れたお粥をそっちに入れた。
「手、使わなくても、できるんだ。」
器用に術で片付けていくのを見て、あたしは思わずつぶやいた。
それを聞いた藤右衛門は、あ、と言ってこっちを見た。
「・・・・・・できるよ、そりゃ。」
ぼそっと言って、目を逸らせる。
「それだけ器用なら、自分でご飯だって食べられるんじゃないの?」
「食べられるよ?もちろん。
だから、放っておいておくれ、って言っただろ。」
怒ったみたいに言うから、こっちもむっとなって言い返した。
「術でできるなんて、言わなかったじゃない。」
「・・・だって、お前が、あーん、なんてするから・・・」
「ヒトのせいにして!」
「・・・・・・ごめんなさい。」
あっさり謝ってしょんぼりと下をむくのを見たら、なんだか笑ってしまった。
あたしが笑うと、藤右衛門はそっぽをむいたまま言った。
「嬉しかったんだ。なんだか、お前に優しくされるのは。
お前が忙しいのも分かってたけど。
・・・・・・悪かった。」
「もしかして、お粥も自分で作れる?」
「作れるよ、もちろん。」
「なら、明日からは自分でやりなよ。」
「・・・・・・・・・・・・分かった。」
返事までちょっと長かった。
「あたしも、忙しいんだよ。」
「・・・・・・知ってる。」
「あれ、手間かかりすぎ。」
「・・・知ってる。」
「藤右衛門、口うるさいし。」
「知ってる。」
なんだ、知ってるのか。
「知ってるなら、ちょっとは改善したら?」
「・・・・・・ごめんなさい。」
謝るんだ。
破片が入った桶を持ち上げようとしたら、藤右衛門が、あ、と言った。
「それ、いい。
アタシが片付けておく。」
「いいよ。
割れ物は焼き物師のおじさんに渡したら、処理してくれるから。」
「いや、いいんだ。
それ、アタシが直すから。」
「???
鍋は術で直しても使えないよ?」
「知ってる。」
藤右衛門はむっつりと首を振った。
「もうお鍋としては使わないよ。
ただ・・・それは、捨てらんないから。」
「あ。まさか、母さんとの思い出の品、とか?」
それは悪い事をしたな、と思ったら、藤右衛門はこっちを見て、ちらっと笑った。
「お前だよ。
お前が赤ん坊のころ、これで毎日、お粥炊いたから。」
「・・・へえ~・・・」
藤右衛門の目が、少しだけ優しくなる。
「こないだの、祝い膳もね。
これで、お粥、炊いたんだ。」
あたしの胸が、なんか、ずきっとした。
「ごめんね。なんか。」
今度はあたしが謝ったら、藤右衛門は首を振った。
「怪我しなかったんならいいよ。
お粥食べてた赤ん坊も、こんなに大きく育ったんだねえ。」
そう言うと、すぃっと桶を浮かべて、そのまま桶と一緒にどこかへ行ってしまった。
さっき、鍋をひっくり返したとき、ぐいと引っ張られてから、なにか、打ち払うような音がした。
あれって、多分、藤右衛門が、熱いお粥がかからないように、守ってくれたんだ。
お礼、言いそびれちゃったな。
長い間、大事に使ってた鍋が割れても、あたしが怪我しなかったらいい、って言ってくれる。
なんかさ。
いいやつみたいじゃない。
くそ。ハラタツ。
そのことがあってから、藤右衛門はあたしに世話をさせなくなった。
お粥も自分で炊くようになった。
なんでも術で器用にやってしまうんだって、あたしにも分かってたけど。
なんでかな。
ちょっと、淋しい、なんて気がしたのは。
あるとき、藤右衛門の元に、ひとりの来客があった。
そのヒトは、藤右衛門より年も上のようだし、からだも三回りくらい大きい。
髪も整え、身形もきちんとして、衣や持ち物も上等そうなものばかり。
ぱっと見た目、藤右衛門よりもっと偉いヒトに見えた。
けど、藤右衛門には正式な挨拶をして、言葉遣いもきちんと丁寧だった。
そのヒトが、帰り際に、わざわざあたしのところへ寄った。
「やあ。貴女が楓殿か。
五葉松と申します。はじめまして。」
一人前のオトナにするような丁寧な挨拶をしてくれて、あたしはびっくりした。
「あ。楓です。はじめまして。」
慌てて挨拶を返すと、そのヒトは、ふふっ、と笑った。
その笑い方に、なんとなく、見覚えがある気がした。
「この度は、頭領が、貴女に、いろいろと世話になったようだ。」
ああ、いえいえ、と返すと、少し、にこっと、笑った。
「今度よかったら家にも一度、遊びに来てください。
両親も妻も喜びましょう。」
???
なんであたしが行くと喜ぶんだ?
首を傾げていると、何か忘れ物でもあったのか、藤右衛門が追いかけてきた。
「え?兄上?楓になにか?」
は?兄上?
藤右衛門はあたしと話しているそのヒトを、警戒するように見た。
そのヒトは悪びれた様子もなく、にこにこと言った。
「申し訳ありません、頭領。
何度、紹介してくださいとお願いしても、上手にはぐらかされてしまうので。
今日はこっそり抜け駆けさせていただきました。」
え?抜け駆け?
藤右衛門は、あー・・・ときまり悪げに視線を泳がせてから、言った。
「これが、うちの娘です。
楓といいます。
楓、この方は、お前の伯父上だ。」
へえ。
藤右衛門にお兄さんがふたりいる、ってのは、この間、レンさんたちに教えてもらったけど。
こんな立派そうなヒトだったんだ。
さっき、笑い方になんとなく見覚えがある気、したんだけど。
どことなく藤右衛門にも似ている気もする。
「聞きしに勝る、愛らしい姫だ。
うちの娘にしたいくらいだ。」
伯父さんは、あっはっは、と明るく笑った。
それに藤右衛門は思い切り顔をしかめた。
「戯言を。
それより兄上。お急ぎだったのでは?」
伯父さんは、ああ、そうだった、と慌てて言うと、急ぎ足に帰って行った。
藤右衛門はあたしの隣に並んで、伯父さんを見送った。
けど、その背中が見えなくなると、こっちのほうは見ずに言った。
「あのヒトに、なんか言われたかい?」
「え?
ああ・・・はじめまして、って挨拶されて、頭領がお世話になってます、って・・・」
自分の弟を頭領って呼ぶんだな。
あたしに対する言葉遣いも、なんだか、丁寧だったし。
「あと、今度、遊びにおいで、って。」
「行かなくていい。」
ぼそっと、けど、きっぱり、藤右衛門は言った。
「行かなくていいからね。」
もう一度、念を押すように言うと、藤右衛門はとっとと戻っていった。
なんでそんなに機嫌が悪いのか、あたしにはよく分からなかったけど。
藤右衛門がそう言うなら、行かないかな、とは思った。
来客には難しい顔をする藤右衛門も、レンさん相手だと、表情が和む。
レンさんは、いつも、藤右衛門のことを、とにかくすごいと、手放しで賞賛する。
ちょっと、母さんを思い出す。
あれからも、レンさんは、毎日のように、藤右衛門を見舞ってくれていた。
このふたりを見ていると、相棒って、いいもんだな、って思えてくる。
毒舌もさらりと受け流してくれるレンさんは、藤右衛門にとってはなくてはならないヒトだ。
レンさんはとにかく、藤右衛門のことを、無条件に信頼している。
藤右衛門のやることは、全部、好意からのことだと、信じて疑わない。
何を言われても、何をやられても、絶妙にいいようにしか取らないのは、レンさんの才能だと思う。
そんなレンさんには、藤右衛門も気を許しているのが分かる。
レンさんといるときの藤右衛門は、なんだか楽そうだ。
そのレンさんは、藤右衛門より先に退院することになった。
それを聞いたとき、藤右衛門は、へえ、それはよかったね、ってあっさり言った。
だけど、その目がちらっと淋しそうに曇ったのに、あたしは気付いていた。




