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療養中の藤右衛門のところには、ひっきりなしに来客があった。
あれじゃあ、おちおち休んでもいられない。
つくづく、頭領ってのも大変だ。
柊さんはそのあたりよく心得ていて、本当に必要な来客だけ選んで通しているようだ。
あとは適当な言い訳をつけて、帰らせてしまう。
会えなくても、せめてお見舞いだけでも、と食べ物やら、飾り物やら置いて行くヒトも多い。
意外にジン望あるんだ、って言ったら、当然だろ、なんて、威張ってたけど。
藤右衛門に直接会うような来客のあるときには、周囲はヒト払いがされる。
軽い結界も張ってあるみたいだ。
一度だけ、来客と藤右衛門とが話しているのを、遠目に見かけたことがあるけど。
なんだかどっちもひどく深刻そうな顔をして、長い間、話し込んでいた。
あたしの知ってる藤右衛門なんて、だらけているか、ふざけているか、なまけているか、だったから。
あんなふうに真面目な顔をしているのは、初めて見た。
藤右衛門の瞳が、冷たい光を宿す。
あの冷たい目が、あたしは嫌いだったけど。
頭領としてのその目は、ひどく頼りがいのある、強いヒトのように見えた。
藤右衛門の腕は相変わらず、うまく動かせないようだった。
呪いというのは、完治させるには時間のかかるものなのですよ、と花守様も言ってた。
気長に治していくしかないらしい。
藤右衛門の治療は、花守様と柊さんが担当していた。
逆に言えば、それ以外のヒトには、何もさせない。
それが徹底されていた。
もっとも、施療院では、花守様と柊さん以上に実力のあるヒトはいなかったから。
それに、あえて、否やを唱えられるヒトもいなかった。
幸い、というかなんというか、食事は、おとなしく食べさせられるようになってくれた。
ただ、何故か食べさせるのは、いつもあたしを指名する。
藤右衛門のお世話をしたい、っていう、元戦師の治療師さんは、それこそ、大勢いたんだけど。
どのヒトにも平等に、藤右衛門は、断っていた。
長い間、絶縁状態だった娘と、水入らずで過ごしたい。
なんてさ。うまいこと、あたしを口実にしてさ。
けど、それ言うと、誰も、それ以上は言わないからね。
しかし、藤右衛門って、花守様以上の偏食だ。
まず、ほとんど、お粥しか食べない。
それも、こだわりの木の実のお粥だけ。
あとはせいぜい、切った瓜くらいだ。
そんなんじゃ栄養が偏るって言うんだけど、いいんだ、って言い張るし。
すぐ喧嘩になって、そうすると、ぷいって拗ねてしまって、もう木の実のお粥すら食べない。
だから、あたしも渋々、そこは譲るしかなかった。
木の実のお粥の作り方は、あの後、早々に習った。
またこれが、拘りが多くて、非常に面倒な代物だった。
藤右衛門って、料理する鍋から決まっていて、それ以外は頑として受け付けない。
それもさ、ようやっとひとり分くらいしかできないような、ちっさい鍋。
特殊な焼き物らしくて、それで煮炊きしたのは、なかなか冷めない、いい鍋らしいんだけど。
わざわざ藤右衛門ひとり分だけ分けて作るなんて、面倒以外の何物でもない。
まずは殻ごとの木の実を、汲みたての水を使って茹でる。
しっかり茹でてから、丁寧に鬼皮と渋皮を取る。
それを細かく刻んでから、滑らかになるまですり潰す。
そしたら、それを今度は、穀物と一緒に炊く。
途中で何度も差し水をして、穀物の粒がなくなるまで、ぐつぐつと。
その間、鍋から目を離してはいけない。
とにかく、鍋が小さいのが厄介なんだ。
水が足りなくなったら、すぐに焦げ付くし、水を入れすぎると、ふきこぼれる。
そして、均一に柔らかくなるように、ときどき、鍋のなかをかきまぜないといけない。
よくもまあ、あの面倒臭がりが、こんな手間のかかることをやるもんだ、と心底感心するよ。
言われた通りにやってたら、ゆうに、半日以上はかかる。
ちょっとくらい、と思って、手を抜いたら、何故かすぐに気付かれるし。
そうして、手抜きをしたのはもう、一口も食べてくれない。
まったくもって、面倒臭い。
早く、退院してくれないかな。
それに、木の実のお粥を作るときには、たいていいつも厨に来て、あたしの後ろでじぃっと見てる。
そんでもって、いちいち、あたしのやることにケチをつける。
作り置きも、もちろん、ダメ。
毎日毎日、作りたてのでないと食べない。
本当、面倒だよ。
それでも、藤右衛門は、木の実のお粥の他は、頑として口にしない。
食べないと回復も遅くなる。
というわけで、あたしは、文句を言われようが、面倒臭かろうが、お粥を炊くしかなかった。
他の仕事できなくて困ったんだけど。
みんな、藤右衛門にぶつぶつ言われながらお粥作ってるあたしを見て。
気の毒そうに笑って、あたしの仕事、肩代わりしてくれてた。
施療院のヒトたちが、みぃんないいヒトばっかりで、本当によかった!
花守様は、あたしがいろいろと食べさせてるうちに、いろんなもの、食べるようになったんだけどね。
藤右衛門の偏食のほうは、花守様以上に手強かった。
それに、藤右衛門は極端に食が細い。
普段から、一食二食、どころか、一日二日、何も食べないこともあるそうだ。
若いころ、食うや食わずだった、って聞いたけど、そのときの名残かな。
趣味は料理だ、って聞いてたけど、あれって、作っても、ほとんど自分では食べないらしい。
ただ、作りたい、だけなんだって。
そりゃあ、スギナとか、いてくれると助かるかもねえ。
どんなものでもうまいうまいって、全部平らげてくれるからさ。
実はもともと、料理は母さんのためにやってたそうだ。
母さんは火が怖くて、料理はまったくだめだった。
けど、藤右衛門は、料理したものしか食べられない。
母さんは、藤右衛門のために、無理して料理を覚えようとしたんだけど。
そのくらいなら、自分でやる、って藤右衛門は思ったんだって。
けど、いざそうやって作ると、母さんは藤右衛門の料理をすっかり気に入ってしまって。
美味しい美味しいって、ぱくぱく食べるもんだから、藤右衛門も楽しくなってきて。
気が付くと、すっかり、自分の楽しみでやっていたんだそうだ。
藤右衛門って、やりだすと止まらない凝り性らしい。
書に嵌ったのも、それでだ、って言ってたけど。
この世で一番嵌ってるのは、もちろん紅葉、だと言い切る。
他の全部捨てても、それだけは捨てられないのは、母さん、なんだと。
け。
なんでしょうね。
娘相手に、堂々と惚気る父親ってね?
迷惑以外の何物でもありませんね。
藤右衛門って、母さんの話ししだすと、本当、止まらない。
そういうとこ、これまで知らなかったから、びっくりした。
ずっと、母さんの、やや片想い、なんだと思ってたけど。
いやこれ、がっつり、両想い。
いや、いっそ、永遠の藤右衛門の片想い、かも。
どっちにしろ、こんな面倒な狐に惚れてくれるのなんて、母さんくらいしかいないでしょうよ。
破れ鍋に綴じ蓋?とか言うんだっけ。
けど、夫婦ってのは、それが一番なのかもねえ。
ただ、病み狐、ってのは、前ほど、嫌な印象じゃなくなった。
実は、それって、全部、何か用心しなければならないことがあったから。
ずいぶん後になってから、それに気付いた。
毒殺、謀殺、呪殺・・・
戦師の頭領ってのは、いつも、その危険に晒されている。
特に、弱っているときには、いつも以上に警戒しないといけない。
そういうこと、あのとき藤右衛門は一言も言わなかったけど。
言ってくれてたら、あんなつまんないことで、喧嘩なんかしなかったのにな・・・




