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花恋物語  作者: 村野夜市
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その翌日、レンさんは目を覚ました。

ちょうどそのときには、奥方と双子も来ていて、枕元に座っていた。

目を開けたレンさんと、最初に目が合ったのは、奥方だったそうだ。


十年ぶりの家族の再会は、本当に、涙、涙、だった。

もう施療院中がもらい泣きして、みんな、一斉に祝福した。


狐ってさ、素直じゃないところも多いんだけど、みんなけっこう、情には脆いんだ。


レンさんの記憶はほとんど全部、戻っていた。

何があったのか、みんな聞きたがったけど、レンさんはそれには首を振った。

藤右衛門が目を覚ましたら、何もかも話す。

それまでに、自分の記憶も整理したいから。

レンさんの言い分ももっともだと、みんな納得した。


それに、ようやく十年ぶりに会えた家族なんだもの。

少しくらい、そっとしておいてあげたい、って思うよね。

流石にレンさんは、まだ家に帰るとまではいかなくて。

もうしばらくは、施療院で療養しなければならないらしい。

もっとも、奥方も双子も、その間、毎日、施療院に来るって、約束してたけどね。


翌日からは早速、奥方の持ってきたお重を、四人で草に座って食べたりしている。

いろはの謡を謡いながら、家族四人で踊ったりもしている。

レンさんは、もうすっかり元気で、療養中の患者にも見えなかった。

本当によかったよね、って思った。


藤右衛門のほうは、まだ目を覚ましていなかった。

もうしばらくかかるだろうと、花守様も言っていた。

目を覚ましたレンさんは、自分も患者なのに、藤右衛門をよく見舞ってくれた。

誰もいないとき、藤右衛門の手を握って、声を殺して泣いていることもあった。


相棒だった、って言ってたからな。

きっと、他のヒトには分からない、絆、みたいなものも、あるんだろうな。


その日も仕事の終わりに藤右衛門の様子を見に行った。

ちょうど柊さんがいて、治癒術をかけてくれている最中だった。


「すいません、柊さん。

 藤右衛門がお世話になります。」


ぺこりと頭を下げたら、柊さんは苦笑いした。


「そんなふうに挨拶をされたら、本当に娘みたいだな。」


いや、本当に娘ですから。一応。


よっと、小さく呟きながら、柊さんは、陶器の狐を藤右衛門の傍に置いてやる。

治癒術をかける間、少し脇に避けてあったらしい。

すると、眠っているはずなのに、藤右衛門は、すりすりと狐に頬ずりした。


「本当に、紅葉殿が好きだなあ、フジは。」


柊さんはちょっと呆れたように笑った。


「あの狐、母さんの魂が入ってる、って言うんです。」


そう言うと、柊さんは、へえ、と返した。


「そういうこと言ってるから、病み狐、って言われてるんだと思います。」


「病み狐?」


柊さんはそう聞き返してから、くっくっくと笑った。


「いやあ、それなら、フジの病は、今に始まったことじゃないだろう。

 とっくの昔から、病み狐だよ、このおヒトは。」


あたしが首を傾げると、柊さんは、おかしそうに教えてくれた。


「そりゃあ、もう、紅葉殿にべた惚れ?っていうのかい?

 四六時中傍にいて、いつも髪やら肩やら、どこかかしらに手を触れてないと気が済まなくて。

 あれに付ける薬はない、って昔から言われてたからね。」


へえ・・・

まあ、なんか、分かるけど。


「お前様は、信じられないのか?

 このなかに、母御の魂が入っていることは?」


柊さんは逆に、あたしにそう尋ねた。


「そりゃあ。

 ・・・って、実はあたし、一度だけ、その狐に話しかけてみたんですけど・・・」


柊さんは、それで?というようにこっちを見る。


「何も。返事なんか、してくれませんでした。

 まあ、それはそうですよね。」


あれはバカなことをしたなって、自分でも思う。

ちょっと恥ずかしいなって思いつつも、柊さんだから正直に打ち明けてみたんだけど。


「どうかな?

 たまたま眠っていただけかもしれないぞ?」


柊さんは、くくっと笑って、あたしを見た。


「まあ、しかし、お前様はお前様の信じられることを信じればいい。」


「柊さんは?信じるんですか?

 まさか、そんな与太話。」


ちょっと意外に思った。

柊さんは淡々と答えた。


「与太かどうか判じる術は、わたしにはないからな。

 だったら、まあ、そうなのかな、程度には思っておくさ。

 昔馴染みの言うことはね。」


そういうもんか。

昔馴染みなんて、あたしにはまだいないから、よく分からないけど。


「なんにせよ、本当の本音は口にはしないヒトだからな。」


柊さんは藤右衛門をちらっと見て笑った。


「けど、根っからの淋しがりやで、家族思いの仲間思い。

 自分の事は後回しにして、誰かのことを護る。

 そういうヒトだ、ってことくらいは、長い付き合いで分かってる。」


へえ。

なんかそれ、いいヒト、みたいじゃないか。


「よお、おふたりさん、いたのかい?」


そこへ顔を出したのはレンさんだった。

柊さんは気安く声をかけた。


「おう、レン。

 かみさんと仔狐たちは?」


「今日はもう帰った。

 仔狐たちは可愛いけど、連日、相手してたんじゃ、ますます退院できないからね。」


レンさんはそう言って肩を竦める。

確かに、あの元気な双子の相手は、あたしでも消耗する。


「今日はさ、ここで飲もうと思ってね。」


レンさんはそう言って嬉しそうに手を差し上げてみせた。

その手には大きな徳利がひとつ、ぶら下げられていた。


柊さんはわずかに眉をひそめた。


「あんた、病み上がりなのに、そんなもん飲んで、大丈夫なのかい?」


「そりゃ、もちろん、大丈夫だろ。

 百薬の長って、言うじゃねえか。」


レンさんは嬉しそうに言って、藤右衛門の枕元で胡坐をかいた。


「お嬢さんも召し上がりやすか?」


そう言って、懐から取り出した盃をこっちに差し出す。

あたしは丁重に断った。


するとレンさんは、その盃を柊さんのほうへぽいと放り投げた。


「あんたは飲むよな?」


「仕方ない、付き合ってやるか。」


盃を受け取った柊さんは、そんなふうに言ったけど、まんざらでもなさそうだった。


「おふたりって、昔馴染みなんですよね?」


お互いにお酌をしあって、お酒を飲み始めたふたりを見て、あたしは言った。

そうだよ、とふたりは同時に頷いた。


「なのに、柊さんは、記憶のないレンさんのこと、分からなかったんですか?

 レンさんだ、って。」


「あ。いや、それは・・・」


柊さんは、少しバツが悪そうにしたけれど、話してくれた。


「もちろん、すぐに分かった。

 なんなら、狐の姿でもね。

 フジにはすぐさま報せておいたんだが・・・

 フジは、そのままもうしばらく様子を見てくれ、と言ってきた。」


そっか。藤右衛門は知ってたんだ。レンさんのこと。スギナが言う前から。


「何か思うところがあるようだったから、わたしもそれに従った。

 フジは何か変わったことがあれば、すぐに報せてくれと言っていたんだが。

 それは、スギナの小僧に先を越されたようだな。」


あのとき、藤右衛門は、スギナの念話を聞くなり、こっちへやってきた。

ちょっとなにか、思いつめたような顔してた。

あれって、十年ぶりに見つかった相棒に、感極まってたのかなって、思ったんだけど。

先に知っていたのなら、もっと違う理由だったのかもしれない。


「フジのことだから、血相変えて、駆け付けると思ったんだけどね。」


「アニキぃ、アッシのことなんて、もうそんなに大事じゃなくなっちまったんでやすかい?」


レンさんがわざとらしく泣く真似をしてから、ふたりして、げらげら笑った。


「レンさんと、藤右衛門って、なんかちょっと、不思議な仲ですよね?

 恋敵だったんでしょう?」


あたしがそう尋ねると、ふたりとも首を傾げた。


「はて?それは誰をめぐって争ったんでやすかい?」


「紅葉殿はあきらかにフジしか見ていなかったしな。

 レンにはアズがいたろう?」


「でも、レンさんが、いろはに岡惚れして、藤右衛門に決闘申し込んだ、って・・・

 それも、何回も何回も。

 それで、とうとう藤右衛門は根負けして、こんな危ない奴は傍で監視しないと、って思った、って。

 だから、相棒にしたんだ、って。」


あたしがそう言うと、ふたりはまたげらげら笑いだした。


「フジも、いい加減にしないと。」

「まあまあ。あのヒトは、嫁がモテるのが自慢だったから。」

「だからって、娘にそんな嘘ついちゃあ・・・」

「しょうがねえ、嘘つきだよなあ。」


やっぱり、藤右衛門は嘘つきだ。


レンさんは、ぱたぱたと手を振った。


「岡惚れってのは、ありやせん。

 アッシは、仔狐のころからアズ一筋っすから。」


「え?でも、奥方も、いろは好きがレンさんとの縁になった、って・・・」


「ああ、それね?」


レンさんはちょっと照れたようににやにやした。


「アッシは先代の家の養い仔で。

 ああ、先代の家には、養い仔が大勢いたんですけどね?

 アッシは、年も近いってんで、小さいころから、アズの護り役を任されてまして。

 まあ、護り役とは言っても、どっちも仔狐っすから、遊び相手というか、なんというか。

 とにかく、兄妹みたいにして育ったんでさ。」


「ああ!

 昔、誰かに仕えてた気がするって!」


記憶のなかったゴンベエさんだったころ、レンさんは確かそう言ってた。


「はい。アズに、っす。」


なるほど。そうだったんだ。


「まあ、そんな姫君が、年頃になって、紅いろはに夢中になりまして。

 よく言う、おっかけ、ってやつっすね。

 いや、そりゃもう、大変な熱の入れようで。」


あ。なんかそれも、分かる。


「小さいころから鳥籠育ちのお姫様が、いきなりそんなことになったもんですから。

 そりゃあもう、危なっかしくて。

 アッシは、どこにでもついて回ったんです。

 そのうちに、アッシも紅いろはにすっかり嵌りやして。

 まあ、ふたりして、いろは隊なんてものも始めたりね?

 いろは四十八番の誉め謡なんてのも拵えたりして。

 すっかり仲良くなったってわけっす。」


たしかに、いろはは縁だ。


「そもそも、紅いろはは、フジと紅葉殿、ふたり組の名だからな。」


ぼそっと、柊さんが言った。


「え?ふたり組?」


「ぽっと出のいろは贔屓なら、いろはは紅葉殿のことだと思うかもしれんが。」

「アッシたちのような濃い~ぃ贔屓は、みんな知ってやす。

 紅いろはは、アニキの仕掛けた戦師っす。」


仕掛けた?


「紅葉殿は、身体的な能力は、そりゃあ、すごかったんだがな。」

「野生の勘っていうんですかい?あれは、誰も敵いませんでしたね?」

「けど、いかんせん、素直というか、単純というか・・・」

「そこらへんを、アニキはうまいこと、こう、後ろから操ってましてね?」


後ろから、操る?


「紅葉殿は、フジの言うことなら、どんなことでも素直に聞くから。」

「いじらしいくらいでしたよねえ?」


なんとまあ。

しかし、藤右衛門らしい、と言えば、らしいかもしれないけど。


「そもそもの始まりといえば、妖狐になりたての紅葉殿が、危なっかしいことばかりしていてね?」

「アニキは、それをなにかと気にかけて、あれこれ助言してたんっすけど。」

「紅葉殿は、そりゃあもう、フジに心酔してたもんだから。」

「そのうち、アニキも調子に乗って・・・

 いやしかし、紅いろは、って。

 あれ、アニキが自分でつけたんでしょ?」


そうだったんだ。


「いろは紅葉が、元らしいね?」

「なら、紅葉殿、そのままでいいでしょうに。」

「そこをそのままにしないのが、フジというか、なんというか。」

「ああ、なんか、分かるっす。」


・・・あたしも、なんか、分かります。


「だからそもそも、いろはに、岡惚れなんて、しようがないというか。

 まあ、アッシは、アニキに惚れてやしたけど・・・

 って、あ、そっか。」


レンさんは急に何か思いついたように、ぽん、と手を打った。


「紅葉殿は身籠ったときに、戦師を引退しやしてね?

 そのまま、紅いろは、は、解散ってことになったんです。

 けど、アッシは、諦めきれねえで。

 紅葉殿の後釜に入りたくて、何度も何度も、アニキに言い寄ったんでさ。

 アッシと組んで、このまま戦師を続けやしょう、って。」


「ああ、そうだ。

 レンがしつこくて困る、って言ってた。

 いい機会だから、このまま戦師は廃業するつもりなのに、って。」


「そんときにね、アッシが勝ったら言うことを聞いてもらいます、ってね。

 いや、そりゃあ、毎度毎度、瞬殺されましたけど。

 諦めの悪いのが、アッシの取り得っすから。」


「流石のフジも、そのしつこさには勝てなかったか。」


柊さんは楽しそうにくくくっと笑った。

それにしても、こんな楽しそうな柊さんは珍しい。

昔馴染みってのは、そんなにいいものなのかなあ?


「いやしかし、アニキのあの戦師としての絶妙な感覚は、お蔵入りにするのももったいなくて。」

「フジの才能は、つくづく、宝の持ち腐れだよなあ。」


言いたいように言われている。


「仕方ないっす。なにせ、働いたら負けのフジっすからね?」

「ああ、働いたら負けのフジだからな。」


顔を見合わせて、ふたりは納得するように頷きあった。


「なんですか、その、働いたら負け、って。」


前にもそんなようなことを聞いた気がする。

すると、ふたりとも楽しそうに教えてくれた。


「フジはね、旧家の三男坊の生まれなんだが。」

「母御は、次はきっと娘だと、藤、なんて名を用意してたんっすよね?」

「生まれてきたのは男だったけど、母御は、フジを着飾らせて、お座敷に閉じ込めて。」

「双六や雛遊び、書ばかりやらされてた、って言ってましたっけ。」

「けど、その、書、ってのは、なかなかの腕になってね。」

「アニキは、書師に見習いにつきたい、って父御に言ったんっすよ。」

「ところが、その家は、代々戦師の旧家だったもんだから。」

「父御も、ふたりの兄者も、立派な戦師でねえ。」

「大激怒した父御に、勘当されて。」

「家、おん出て、導師にもつかず、森のなかでひとり暮らししてて。」

「世捨てびと、のような心境だった、と言っていたかな。」


世捨てびと?

あ、でもなんか、想像つくかも。


「そのころ、えらく達筆な字で、衣の背中にね。」

「働いたら負け、って、お題目のように掲げてたわけだね?」


あれは郷でもちょっとした噂になってたねえ、とふたりは楽しそうに笑いあった。


へえ。

あたしは、父方の祖父母ってのに会ったことはない。

藤右衛門は若いころに家を捨てて、今は音信不通なんだ、って言ってたけど。

そういう事情だったんだ。


「けど、その森のなかで、紅葉殿と出会ったんだよな。」

「本当、ヒトってのは、どこでどういう運命と繋がってるのか分かりやせんよねえ。」


いや、そのころの母さんは、ヒトじゃなくて、狐ですけどね。


「最初は、野良狐に懐かれて、ついて回られて困ったって、言ってましたっけ。」

「けど、そのうち、情がわいてさあ。」

「おいで、って手を伸ばしたら、膝に乗ってきたんだ、って。」

「そのうち、獲った鼠とか、兎とか、持ってくるようになった、って。」

「フジのやつ、食うや食わずだったらしいから。」

「狐に養われてたんっすね。」


・・・藤右衛門・・・


「けどさ、アニキってば、腹、弱いから。」

「狐姿でも、生の肉、食えなくて。」

「あれでも、一応、坊ちゃん育ちっすから。」

「それで仕方なしに、料理覚えたんだ、って。」


それが、今じゃ、あそこまで立派な趣味なんだ。


「アニキは、そのまま狐になって、その野良狐と添い遂げようかと思ったそうなんっすけど。」

「狐姿になった途端、紅葉殿は逃げ出したんだよな?」


ふたりはそう言って、またげらげら笑った。


「仕方ないっすよ。紅葉殿は、変化姿のアニキ、に惚れてたそうっすから。」

「もしかしたら、狐姿のフジを、フジだとは思わなかったのかもしれないな?」

「それ以来、アニキ、変化を解いたことはないそうっすよ?」

「それを聞いたときには、まさかと思ったんだが。

 この間、施術の後でも、変化を解かなかったからな。

 まんざら作り話でもなかったようだな。」


確かに。そんなこともあったっけ。

なるほど。そういう理由だったんだ。


「それに、結局、フジには、狐の暮らしは無理だったんだ。」

「まあ、生の肉、食えませんし。」

「狩もダメなんだろ?」

「そりゃあ、鼠一匹、自分で獲ったこと、ありませんからね?」

「坊ちゃん育ちってのが、仇になったな。」


・・・なんか、哀れだ。


「そんなこんなで、仕方なく、フジは、紅葉殿を妖狐にしたんだ。」


「え?

 母さんを妖狐にしたのは、父さんだったんですか?」


「父さん?」

「父さん!」


思わず咄嗟に出ちゃったんだけど。

ふたりに目を丸くされて、あっちゃーって、思った。

早速、うっかり、しちゃったよ。


ふたりはにやにやしたけど、それ以上は指摘しないでおいてくれた。

やれやれ、助かった。


「母さんは、よく言ってたんです。

 お星様に、妖狐にしてください、って、毎晩お願いした、って。

 そうしたら、念願が叶って、妖狐になれたんだ、って。」


「いやいや。妖狐にしたのはフジだよ。」

「こう、毎日毎日、自分の妖力を分け続けたそうっす。」

「妖狐になあれ、妖狐になあれ、ってね?」

「妖狐になれば、ただの狐より長く一緒にいられていいじゃないか、とまで言ってましたよね。」


母さんは、夢見る乙女、な顔をして、よく話してくれたんだけど。

なんか、真相を知っちゃうと、いろいろと、あれだなあ。


「紅葉殿が、少しずつ妖狐になって、毛色もだんだん白くなってね。」

「全身の毛色が耳の先に集まるように、耳の先だけ、赤くなったんだ、って言ってましたね。」

「その赤いのを見て、紅葉、と名付けたんだ、って。」

「ちょうど、秋の紅葉のころだったそうっす。」


なんとなんと。

紅葉って名前つけたのも、藤右衛門だったのか。

確かに、よくよく考えれば、母さんはもともと、ただの狐だったわけだし。

名前もなかったんだなあ。


「初めて変化したとき、その姿に、一目で恋に落ちた、って言ってたな。」

「いやあ、あれは、狐のときから、もう恋してたでしょうよ。」

「わざわざ力を分けて、妖狐にしたくらいだからねえ。」

「あれって、失敗したら、どっちも命を落とすこともあるんでしょう?」


そんな危険を冒しても、父さんも、妖狐になった母さんと一緒にいたかったんだ。


母さんは、よく父さんのことを褒めた。

素敵なヒトだ、って、ずっと言ってた。

母さんって、本当に父さんのこと、好きなんだな、って思ってた。

けど、父さんのほうは、よく分かんなかった。

でも、こういうこと聞くと、父さんもちゃんと、母さんのこと、好きだったんだなって思った。


「・・・ちょっと、お前さん方、いい加減にしな。

 そんな話し、枕元でされちゃ、おちおち寝てらんないだろ?」


突然、そんな声が聞こえて、みんなびっくりして、寝ているはずの藤右衛門を見た。

藤右衛門は冷たい目をして、こっちをじっと睨んでいた。


からだを起こそうとする藤右衛門を、慌てて柊さんが支えに行った。

藤右衛門は助けてもらいながら、分かりやすく舌打ちをした。


「まったく、あることないこと、ぺらぺらと。

 うちの娘に余計な事、吹き込まないでおくれ。」


「いや、ないことは、言ってない。」


ぼそりと返されてむっとした顔になったけど、すぐに、あたしのほうを見て、にこっとした。


「楓?

 ずっと、ついていてくれたのかい?」


「・・・いや。ずっとじゃないけど・・・」


あのにんまり笑顔はなにかを企んでいるに違いない。

あたしは急いで藤右衛門から視線を逸らせた。


「でも、目が覚めて、最初に見えたのが、楓だなんて。

 すごく嬉しいよ。

 さあ、これで、アタシは約束を果たした。

 今度はお前の番だよ?楓。」


「な、なに?約束、って・・・」


あたしは目を逸らせたままそらとぼける。

藤右衛門は、むぅ、と口を尖らせた。


「あれだよ、ほ、ら。あ、れ?

 父さんは、あたしが・・・」


「父さん!」


焦ったあたしは、あわてて遮ろうとして、思わずそう言ってしまった。

一瞬凍り付いた藤右衛門は、こっちをむいて、にんまり笑った。


「むっふっふ。

 いいもんだねえ。

 娘からそう呼ばれる、ってのは。

 まあ、いいや。

 今日はすっごく気分いいから、それで許してあげよう。」


こんな上機嫌な顔は見たことない。

ってくらい、藤右衛門は満面の笑顔だった。





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