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藤右衛門の様子を、あたしは、ちょくちょく見に行った。
大嫌いだし、ずっと会いたくないって思ってたんだけど。
こうして弱っているのを見ると、やっぱり放っておけないって思ってしまう。
藤右衛門は、なかなか目を覚まさなかった。
あのときは、呪いが全身に回って、かなり危ない状況だったらしい。
だから、そんなことになる前に、幻術で眠っておけばよかったのに。
無理して起きてたから、余計、悪くなったんだ。
花守様も、時間があけば、藤右衛門を診にきてくれた。
療養は柊さんに任せておけば問題ないみたいだけど。
とにかく、全身をひどく傷めつけられていて、しょちゅう治癒術が必要になる。
それを全部、柊さんひとりに任せるのは、あまりにも負担が大きいんだそうだ。
もっと早く、施術できればよかったんですが、と花守様は悔しそうに言った。
でも、レンさんのほうが大怪我だったんだし、それは仕方ないのでは?
そう言うと、花守様は、いいえ、と首を振った。
「あれは、完全に、わたしの見立て違いです。
あのときは、藤殿を優先すべきでした。
蓮華殿は、傷は大きかったのですが、藤殿の術で、なにもかも封じられていた。
つまり、傷も、悪化することを封じられていたんです。
藤殿の封じの術は、そのくらい強力だった。
だから、あの虫は、大慌てで蓮華殿のからだから逃げ出そうとしたのでしょう。
おそらく、羽化するにはまだ、十分には育っていなかったのだと思われます。」
あたしは、あのとき、レンさんの背中から抜け出そうとした光る虫を思い出した。
たしか、花守様が、羽化させてはいけない、って叫んで、スギナが矢で射抜いたんだ。
「あの、虫、みたいなのって、なんだったんです?」
矢に射抜かれた瞬間、虫は粉々に砕け散った。
後にはなにも残っていなかった。
「・・・分かりません。
ただ、この十年、ときどき、見かける症例です。
もっとも、わたしが見たのは、ぱっくりと背が開いて、こと切れたからだだけ。
虫そのものを見たのは、わたしも初めてでした。」
ただ、羽化の瞬間を見ていたヒトたちに聞いたんですけど、と花守様は続けた。
「その直前まで、宿主はごくごく普通の様子だったそうなんです。
それが、突然、仲間に対して狂ったように攻撃を始めたのだ、と。
それを皆で寄ってたかって制すると、今度は背中が割れて、そこから虫が出てきた、と。
その虫は、あれよあれよという間に、背中から抜け出して、どこかへ飛び去ったそうです。
その後、残された宿主は、セミの抜け殻のように、中身はなにも残ってませんでした。」
あたしは、ごくっと唾をのんだ。
セミの抜け殻、って・・・
「中身は全部、その虫に食べられてしまったんですか?」
「いえ・・・・・・・。
おそらくあの虫は、宿主の中身を、そっくりそのまま、丸ごと、抜き出していくのです。
宿主の内側に己の殻を作り、乗っ取ってから、宿主の皮を脱ぎ捨てる、という感じでしょうか。」
うげっ。
想像しただけで、恐ろしい。
「レンさんは?
大丈夫なんですか?」
「蓮華殿は、背中の傷の他は、まったく無傷でした。
だから、あの虫は、宿主の中身をそっくりそのまま抜き出すんだと分かったんです。
おそらく、羽化するぎりぎり直前まで、気付かれることのないように、こっそり成長するのでしょう。」
うげぇ。
こういうこと、花守様はわりと平気な顔して淡々と話すんだけど。
あたしは、どうにも苦手だ。
「蓮華殿の場合、体内で虫の殻がまだ完成していませんでした。
早いうちに虫を抜くことができてよかった、と言いましょうか。
蓮華殿が仮死状態だった間、虫も体内で仮死状態だったのかもしれません。
蓮華殿が目を覚ますと同時に、虫もまた成長を始めたのでしょうが。
育ちきる前に封じられ、慌てて逃げようとしたところを、退治された、という感じです。」
「早めに退治できてよかったって感じですか?」
「絶妙な時期だったのでしょうね。
まだもし卵の状態だったなら、自力で抜けてくることもないでしょうし。
蓮華殿が仮死したときに抜け出さなかったのは、もしかしたらまだ、卵が孵っていなかったから。
そう考えると辻褄も合いますね。
封じられれば逃げ出す、しかし、ぎりぎり蓮華殿のからだに損傷は与えない。
ちょうど、その程度に成長していた・・・
しかし、ここまで絶妙となると、これはもう、ただの偶然とは思えませんね・・・」
花守様は眠っている藤右衛門を、ちらり、と見た。
「藤殿は、戦師の頭領ですから。
もしかしたら、何か、ご存知だったのかもしれません。」
「何か、って・・・?」
「上手な虫の抜き方、とか?」
うっげぇ。
あたしは思い切り顔をしかめた。
やっぱり気持ち悪すぎる。
「あれってやっぱり、寄生虫の一種、とかなんですか?」
世の中恐ろしいものがいるもんだ。
「どうでしょう?
生き物というよりは、妖物、と言ったほうがしっくりくるような、気もします。」
「妖物?」
「術師がなんらかの目的のために作り出した兵器、と申しましょうか・・・」
「兵器?」
ものものしいその言葉に、背中がぞくっとした。
確かに、レンさんだって戦師なんだし、どこかで誰かと戦っていたのかもしれないけど。
「壊された途端、跡形もなく、消え失せましたからね。
生き物であれば、そんなことはあり得ません。
痕跡を残せば、あれこれと調べられてしまうでしょう?
だから妖物は、壊されれば跡形もなく消えるよう、作られているんです。」
う・・・
いったいどんなやつが、何を考えて、そんなもの、作るんだろう。
「郷ではこういった妖物は禁じられているはず。
おそらくは、敵対する者の仕業でしょう。」
いくら戦師だって、禁術には手は出さない。
そんなことをしたら、追放じゃ済まないから。
「とにかく、藤殿が目をお覚ましになったら、いろいろと伺いたいですね。
わたしとしても、同じ状態の患者さんを、可能な限り、治したいですから。」
「治せるんですか?」
「もちろん。」
その問いに、花守様はしっかりと頷いた。
「藤殿や蓮華殿から詳しくお話を伺えば、同じ状態になった患者さんを治せるはずです。
もしかしたら、どこでどんなふうに、虫に卵を産み付けられるのかも、分かるかもしれません。
それが分かれば、用心すべきことも分かります。
そうすれば、きっと、この虫も、恐ろしいものではなくなるはずです。」
にっこりと頷く花守様を見ると、あたしも、なんだか大丈夫そうに思えてきた。
「蓮華殿は、もう少しすれば目を覚ますでしょう。
念のため、からだは隅々まで調べましたが、本当に、傷を受けたのは、背中だけでした。
あ、そうそう、藤殿に蹴られたところも、ほんの少しだけ、赤くなってましたけどね。
おそらくあれは、蹴る直前に、凍らせたのでしょう。
きっと、藤殿の足のほうが、痛かったと思いますよ?」
花守様は肩を竦めるようにしてくすりと笑った。
「本当に、お優しい方ですよね、藤殿は。
昔からそれは、少しも変わりませんね。」
「優しい?」
思い切り顔をしかめて聞き返すあたしに、花守様は苦笑する。
「お優しいですよ。
あのときだって、自分も呪いを受けていたのに、蓮華殿を先に施術してほしい、って。
わたしもね、藤殿から呪いの匂いは感じていたのです。
けれど、それは本当にごく微かに思えて。
この程度なら、そう大事には至るまい、と、あのときのわたしは判じてしまいました。
藤殿は、かなり呪いの気配を抑え込んでいたのでしょうね。
しかし、それは、刻一刻と、藤殿を蝕み続けました。
本当に、あと少し遅かったら、命すら危うかったのですよ?」
花守様はしょんぼりと下をむいて、首を振った。
「こんな見立て違いを犯すなんて、決して、あってはならないことです。
わたしもまだまだ精進が足りません。」
「花守様のせいじゃないですよ。
だいたい、誤魔化そうとしたのは藤右衛門なんだし。
嘘ついて痛い目に合っただけ、自業自得です。」
そう言うと、花守様はこっちを見上げて、悲しそうに微笑んだ。
「希代の嘘つき。
藤殿がそうだということを、すっかり忘れていました。
けど、藤殿の嘘は、いつも、お優しい。」
そうかな?
嘘つき、ってのには、同意するけど。
「よい、お父様ですね。」
花守様は、そう言って、慰めるように、あたしの背中を撫でてくれた。
なんかさあ、みんなからそう言われ続けるとさあ・・・
実はいいやつなんじゃないか、って、思えてきちゃうから、困るよねえ・・・




