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レンさんの施術はかなり時間がかかった。
ようやく終わって、立て続けに、藤右衛門の施術になった。
けど、こっちはレンさんより、もっと長くかかった。
藤右衛門が嫌だと言い張るから、柊さんは結局、なにもしなかったんだけど。
施術してもらう直前には、かなり酷い状態になっていた。
全身がくがくと震え、額からは脂汗がしたたり続ける。
唇は青紫色になって、目の下には隈もできていた。
ぞくそくする、なんて言ってたけど、高い熱もあった。
あたしにも、それがかなり酷い状況だ、ってのは、見ただけで分かったんだけど。
それでも、藤右衛門は、頑として、幻術を受け入れなかった。
そうして、今話さなくてもいいようなくだらないこと、ずぅぅっと、しゃべり続けていた。
そんな状態の藤右衛門をただ見ているのは、正直かなりきつかった。
だけどあたしは、せめて、天幕に入るまでは、傍についていようと思った。
天幕に運ばれる藤右衛門を見ながら、柊さんはぼそっと、よくもったな、と言った。
藤右衛門はどうしてまたそこまで無茶したのか謎だ。
痛いのも苦しいのも大嫌いだって、いつも言ってるのに。
藤右衛門はもう自力では歩けなかった。
板に乗せられて運ばれながら、藤右衛門は弱々しくあたしのほうへ手を伸ばした。
「ねえ、楓。
これでもう、今生の別れになるかもしれないんだから。
一度でいい。どうか言っておくれ。
あの言葉。痺れるような、あの言葉を。」
今の状況は、流石の藤右衛門でも、芝居なんかじゃないのは分かった。
いつになく弱気な藤右衛門に、あたしはにっこりと笑いかけた。
「言って満足されたら困るから、言いません。
聞きたかったら、施術を乗り越えて、ちゃんと戻ってきてください。」
藤右衛門は縋るような目をしてあたしを見た。
「戻ってきたら、言ってくれるのかい?」
「はあ・・・
まあ、もしかしたら、うっかり、言ってしまうかも?」
「うっかり?
あれって、うっかりしないと言ってもらえないのかい?」
「はあ。まあ?」
「ってことは、あのときは、うっかりしてた、ってことかい?」
「はあ。そうですね?」
「ええーーーっ!!うっかり~~~???」
それだけ言い残して、藤右衛門は天幕に連れて行かれた。
これで、施術中になんかあったら、今際の際の言葉が、うっかり、になってしまうなとか思ったけど。
幸い、花守様の施術に、それこそ、うっかりはなかったから。
翌朝の日の出を迎えるころ。
藤右衛門は無事、天幕から出てきた。
結局、夜通し大騒動だったわけだけど。
花守様とあたしは、ふらふらしながらも、日の出を見に行った。
けど、戻ってきたら、流石に疲れきっていて。
朝餉もそこそこに、倒れこむように眠った。
大変な一夜だったけど、あたしが目を覚ますころには、施療院は何事もなかったように動いていた。
薬棚もきれいに片付いていたし、患者さんたちもみんなそれぞれの寝床で休んでいる。
治療師さんたちだって、疲れていただろうに、誰一人辛そうな顔もせずに、淡々と働いていた。
花守様もけろっとして、いつもと同じ調子だった。
淡々としめやかにいつも同じことを繰り返している施療院って、実はすごいところだなと思った。
しなやかで強いここのヒトたちって、心底かっこいいと思った。
薬棚を片付けてくれたのは、スギナだったらしい。
足りなくなった薬は自分の売り歩く分とうまく調整して、当座困らないようにしておいてくれた。
それだけやると、スギナは、あたしが目を覚ます前に、もう出発してしまった。
なんとなく、ちょっとだけ淋しいような気もしたけど。
スギナの薬を待っているヒトだっているんだろうし、仕方ないよね。
あたしが寝ている間に、連絡を受けた奥方と双子が、レンさんのところに駆け付けていた。
けど、レンさんもまだ目を覚ましていなかったから、話したりはできなかったみたいだ。
このヒトが本当のお父さんだ、と聞かされて、双子は驚いたけど、すごく喜んだ。
藤右衛門よりよっぽどいいよなあ、とあたしも、そこは同意する。
奥方は、レンさんの寝顔を見つめて、ただ黙って、ほろほろ、ほろほろ、と涙を零していたそうだ。
誰も声をかけられなくて、ただそこから離れて、そっとしておいたらしい。
あたしも目を覚ましてから、こっそり様子を見に行ったんだけど。
レンさんの枕元に、奥方に両方から双子が寄り添って、三人ちんまり座っていた。
奥方はもう泣いてはいなかったけど。
誰も口をきかずに、ただ、じっとレンさんを見ていた。
なんだか胸がいっぱいになってしまって。
あたしも、声をかけずに、そっとそこから離れた。
あんなことを言っていたけど、藤右衛門の療養には柊さんがついてくれた。
起きてたら、それこそ、たらたらと延々文句を並べそうだったけど。
術で眠らされている藤右衛門は、別ジンのようにおとなしかった。
療養中は狐の姿のほうが楽なのに、何故か、藤右衛門は、変化を解かなかった。
術で何度も狐にされたんだけど、すぐに戻ってしまうらしい。
眠っているのに、すごい執念だ、って言われた。
けど、これを繰り返すのは、かえって患者に負担になるからと、それはもう放っておかれた。
眠っていると、憎まれ口を叩かないからか、そこそこの美人に見えた。
当代一、は言い過ぎだと思うけど、まあまあ整った顔立ちなんだろうとは思う。
この顔に母さんが一目惚れした、ってのも、まあ、分からないことも、ないかな。
もっとも、妖狐ってのは、みんな、変化姿は美人なもんだからさ。
いや、あたしみたいなのは例外なんだけども、それは、母さんに似てしまったからで。
たまたま母さんが出会ったのが別の狐だったら、母さんはそのヒトを好きになってたかもね。
あの陶器の狐は、目が覚めたら真っ先に見えるように、傍に置いてあげた。
手触りが好きなのか、藤右衛門は横を向いて、狐を抱きかかえるようにして眠っていた。
それが安心するなら、好きにさせるのがいいって、花守様も言うから、それも放置されていた。
実は、もしかしたら、って思って、一度だけ、陶器の狐に話しかけてみたんだけど。
狐は動かない目でじっとこっちを見るだけで、なんの反応もしなかった。
まあ、そうだよね、と思った。
柊さんは、藤右衛門にも、いい夢を見せてくれているらしい。
眠っている藤右衛門は、ときどき、ふふっ、と楽しそうに笑うことがあった。
それから、突然、はらはらと涙を流したりもした。
最初は驚いて、柊さんを大急ぎで呼びに行ったけど。
柊さんは、泣いている藤右衛門を見ても、取り立ててなにもしなかった。
「ああ見えて、いろいろ辛いことも堪えているんだ。
泣かせておいてやれ。」
ただ、ぽつりとそう言った。




