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花恋物語  作者: 村野夜市
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さんざん仔狐の相手をさせられて、へとへとになったゴンベエさんは疲れて早々に寝てしまった。

その夜、スギナが帰ってきた。


弟たちが届けてくれた瓜をがしがしと齧りながら、スギナはあたしの話しを聞いた。


「へえ。

 いろは隊だった、って言ったのか?ゴンベエさん?」


「うん。

 それでさ、そっちから調べれば、ゴンベエさんの身元も分かるんじゃないかと思って。」


奥方様には、弟たちに聞いてもらえるように頼んでおいた。


「でさ、スギナにも、ちょっと、頼みたいんだけど・・・」


言いにくい。いや、言いたくなくて、言い淀んだら、スギナはにやっと笑った。


「藤右衛門様か?

 ちょっと、待ってろ。」


「え?あ、いや・・・」


スギナは瓜の汁でべたべたになった指を舐めると、即座にこめかみに指をあてて目をつぶる。

念話の仕草だ。

あたしは慌てて引き留めた。


「もう夜も遅いし。

 明日でいいよ。」


「いやいや。

 藤右衛門様は、念話ならいつしてきてもいい、って・・・

 あ。藤右衛門様っすか?スギナっす。」


念話が繋がったのか、スギナはそちらと話し始めてしまった。

あーあ。

明日でいいって言ったのに。


「ええ、そうなんっすよ。

 十年、仮死状態で、記憶がなくて。

 けど、そのヒトが、いろは隊に、なんか、関わりがあったみたいで・・・

 へ?

 は?今から?え?こっち、来る?!

 あ!ちょ!ま!」


スギナがそう叫んだ瞬間だった。

ぶぃん、と目の前の空間が歪んだかと思ったら、そこに、憎っくき宿敵、もとい、藤右衛門がいた。

驚いたスギナの手から、ぼとりと食べかけの瓜が落ちた。


「っと、藤右衛門様?

 座標もまだ固定してなかったのに、危ないっすよ?」


スギナが心配するように言うけど、藤右衛門は完全に聞いていなかった。


「邪魔するよ。」


本当に邪魔だよ、と言い返す暇もなく、藤右衛門はつかつかと歩き出した。

その目は真っ直ぐ正面を見据えて、他には何も見ていなかった。


誰の案内も乞わなくても、藤右衛門にはゴンベエさんの寝床が分かっているようだった。

微塵の迷いもなくそこへ行きつくと、凍り付きそうな目をして、寝ているゴンベエさんを見下ろした。


「ふん。さんざ寝過ごしておきながら、まだ寝足りないのかい。」


冷ややかな声でそう言うと、藤右衛門は、いきなり、げしっ、とゴンベエさんのお尻を蹴とばした。


「えっ?

 ちょっ!

 患者さんになんてことするんです!!」


あたしは慌てて止めに入ったけど、藤右衛門はあたしのことなんて見てなかった。


「起きな、レン!」


え?レンって・・・あの、双子の父親だってヒト?


ゴンベエ、改め、レンさんは、藤右衛門の怒った声に飛び起きた。


「あ・・・アニキ?」


レンさんは呆然と、藤右衛門の顔を見つめている。

アニキ?

そっか。レンさんは確か、藤右衛門の相棒だったって言ってた。


藤右衛門は容赦なくレンさんの胸座を掴んで引き寄せた。


「なにすっとぼけた顔してんだい?

 お前さん、大事な妻子ほっぽらかして、十年もどこほっつき歩いてたんだ。」


「あ・・・ア、アッシ・・・アッシは・・・」


レンさんは虚ろな目をして、オロオロと視線をさ迷わせた。

あたしは慌てて藤右衛門を引き留めた。


「ちょっと!

 ゴンベエさんは、ずっと仮死状態で、目が覚めたばっかりなんです!

 記憶も失ってて、自分のことも、誰か分からなくて・・・」


「なんとまあ。

 疾風のレンともあろう者が、なんてザマだ。

 少しは情けないと思わないのかい?」


藤右衛門はあたしの静止も聞かずに、ますますレンさんを引き寄せた。

至近距離に寄せられて、藤右衛門の冷たい瞳を、レンさんは魅入られたように見つめた。

見開いたその目から、何かが溶けるように、はらはらと涙の雫が零れ落ちた。


「あ・・・アニキ・・・アッシを・・・殺して・・・く、だ・・・せえ・・・」


声を絞り出すように、レンさんは藤右衛門に言った。


「はあ?」


藤右衛門は驚いているのか怒っているのか、そう聞き返した。


レンさんはまた突然何を言い出すんだ?

あたしは息を呑んで、目の前の光景をただ見ているしかできなかった。


「アニキ・・・お願いです・・・アッシを・・・早く・・・」


レンさんはますます苦しそうに言いながら、胸座をつかむ藤右衛門の手に縋りついた。

藤右衛門は視線を逸らせると、わざとらしいため息を吐いた。


「ようやく帰ってきたかと思ったら、なに、バカなこと・・・」


レンさんは嫌々をするように首を振った。


「・・・アニキ・・・どうか・・・

 う、あああああああっ!!!」


懇願するように見つめていたレンさんの瞳が、突然、闇色に染まった。

レンさんは叫びながら、藤右衛門から離れようとしたけれど、そのまま気を失うように倒れこんだ。


「ゴンベエさん?」


駆け寄ろうとしたあたしを、藤右衛門が腕を伸ばして遮った。

藤右衛門は、その目をレンさんからわずかにも逸らすことなく、低い声で言った。


「スギナ。楓をここから・・・」


藤右衛門の台詞は最後まで聞こえなかった。

レンさんが、とても妖狐とは思えない雄叫びを上げる。

藤右衛門は、それと同時に後ろに跳び退っていた。


ちっ、と藤右衛門は舌打ちをすると、自分の指先を噛み破った。

滴り落ちる血で、虚空に文字を書く。

縛、とそれは読めた。


命を受けた妖力が、レンさんを捕らえようと奔る。

けれど、レンさんの動きはそれよりも速かった。


からだを縮めるように組んだ腕を解いた瞬間、指先ほどの刃が四方八方へと飛び散っていく。

レンさんってば、あんなもの、どこに隠し持っていたんだろう。

刃の先は触っただけで切れるくらいに、恐ろしく研ぎ澄まされていた。


レンさんの刃は藤右衛門の術を切り裂いて散り散りにした。

それだけではなくて、あたしたちのほうへもむかってくる。

振り向いた藤右衛門が、慌てたように風を起こす。

けど、いくつかは間に合わなくて、あたしを庇うスギナの腕に突き立った。


「いちっ・・・」


スギナの小さな声が聞こえる。

鋭い刃は、固い皮の手甲も突き破っていて、みるみるうちに血が流れだした。


「やってくれるじゃない。」


藤右衛門が淡々と呟く。

その声の冷ややかさにぞくりとする。

藤右衛門の背中から、ゆぅらり、と青い炎が噴き出した。


「・・・冷たい炎・・・」


藤右衛門をじっと見つめていたスギナが、ぽつりと呟いた。

スギナは自分が傷ついたことにも気づいていないようだった。

その目は魅入られたように、藤右衛門とレンさんに釘付けになっている。

スギナはどこか嬉しそうに言った。


「藤右衛門様が怒れば怒るほど、あの火は冷たくなっていくんだ。

 あの火は、触れたものを焼くことはない。

 反対に、固く冷たく、すべての動きを止め、凍り付かせる。」


藤右衛門はこちらに背をむけたままで、レンさんをただじっと見据えていた。

その視線の先で、レンさんは、苦しげに身をよじっていた。


「・・・あ、に、き・・・あ、し・・・を・・・は・・・・・・・や・・・・・・・」


「アタシに何か頼むなら、跪いて、懇願おし。」


冷ややかな声がしたとき、もうそこに藤右衛門の姿はなかった。

刹那の後、その姿はレンさんの後ろに現れる。

からだを回転させる勢いに乗せて、藤右衛門は、情け容赦なく、レンさんを蹴り飛ばした。


藤右衛門が誰かに直接手出しをするのを見たのは、初めてだった。

いつもは術ばかり使っている印象だったから。

姿勢は悪いし、動きは緩慢だし、見た目もどことなくひ弱そうだし。

もしかしたら、武術はからきしダメなんじゃないかと思っていた。

策を弄して敵を惑わせ、術を使って手玉にとる。

それを、冷たい嗤いを浮かべて、高みの見物をしている。

藤右衛門というのはそういう妖狐だと思っていた。


けれど今目の前にいるのは、あたしの知っている藤右衛門とは違う狐のようだった。

冷たい炎をまとった藤右衛門は、なのに、それほど冷たくは見えなかった。


蹴りと同時に炎の効果も受けたレンさんは、全身を凍り付かせて弾け飛んだ。

そのからだは薬棚をなぎ倒し、甕や瓶の割れる音が、盛大に鳴り響いた。


「あ。しまった。

 後で花守様に謝らないと。」


藤右衛門がぼそりと呟く。

いやいや、今は、それどころじゃないでしょう、とあたしは思う。


凍り付いたレンさんは、けれど、それでおしまいじゃなかった。


う、く、く、くっ・・・ぐ、ぐあああああっ!!!


とてつもない雄叫びと共に、その姿が変化する。

と同時に、レンさんの妖力は極限まで高まって、藤右衛門の氷を弾き飛ばす。

目の前に現れたのは尾の三本ある、巨大な妖狐の姿だった。


「それ出しちゃおしまいだろ?

 アタシの相棒ともあろうものが、みっともない真似はよしておくれ。」


そんなレンさんにも、藤右衛門は驚いた様子もなく、冷ややかに呟いた。

けれどレンさんはもう、言葉の通じる相手ではなかった。


目を爛々と輝かせた巨大な妖狐は、躊躇なく、藤右衛門に襲い掛かった。

からだも妖力も、段違いの大きさだ。

流石の藤右衛門でもまずいと思った。


そのときだった。


あたしの脇から、シュッと何かが妖狐にむかって飛んだ。

スギナの投矢だった。

尾羽に付けた鈴の音も高らかに、それは真っ直ぐに妖狐へと奔った。


妖狐の視線がこっちをむいた。

妖狐は飛んでくる矢のことは完全に無視していた。

そのからだが、跳躍の前のように、低く身構える。

このままだと、矢は妖狐の爛々と光る眼を貫く。

そう思った瞬間だった。

キン、という甲高い音と共に、矢は弾かれて軌道を逸らされ、明後日の方向へと飛んで行った。


そのすべてが、ほんの瞬きする間のできごとだったと思う。


妖狐が高く飛び上がるのが見えた、と思った次の瞬間、目の前が真っ暗になった。


はっと我に返ったとき。

それはそのすぐ後だったのか、それとも、少し時間が経っていたのか。

あたしには分からなかった。


ひどく熱い壁が目の前に立ち塞がっていて、窮屈で息ができない。

無理やり息を吸い込んだら、場違いな香の匂いが、ほんのり香った。

浅くて速い、苦しそうな息遣いが聞こえる。

ぽたり、ぽた、ぽた、と何かが降ってきた。


「じゃじゃ馬め。

 いいからあっち行って、おとなしくしてな?」


笑いを含んだ声が、そう言った。

見上げると、こっちを見下ろしていた切れ長の目が、ふふっと笑った。


藤右衛門って、体温、あったんだ。

真っ先に思ったのは、それだった。

あんまり傍に近づいたことなかったから知らなかったけど、実は結構、背もあったらしい。

あたしの顔は、ちょうど藤右衛門のお腹辺りに、ぎゅっと押し付けられていた。


藤右衛門はあたしを軽く押しやるようにしながら、手を離した。

ゆっくりとその膝が折れていく。

崩れるように倒れこんだ藤右衛門の背中は、赤い血に染まっていた。


「・・・藤右衛門?父さん!!」


あたしは倒れた藤右衛門に取りすがった。

藤右衛門はなにか言おうとしたけど、言葉にならなかった。

肩のあたりから、どくどくと血が溢れてくる。

あたしはその傷を、必死に抑えた。


「父さん!父さん!!

 お願いだから、目を開けて!

 死なないで!父さん!!!」


何度も何度も呼ぶと、藤右衛門はうっすらと目を開いた。


「・・・ふふ・・・今度は、護れて、よかった・・・」


けど、それだけ言うと、また目を閉じてしまった。

そして、今度はどれだけ呼んでも、応えてくれなかった。

ただ、熱くて浅い呼吸だけ繰り返していた。


妖狐は藤右衛門の血で口を真っ赤に染めて、こっちを見下ろしていた。

その口を大きく開いて、威嚇するように雄叫びを上げる。

それから、襲い掛かる隙を伺うように、油断なく身構えた。


あたしはその狐を睨みつけた。

不思議と、怖くはなかった。

ただ、腹が立って腹が立って、仕方なかった。


「ふうん・・・こういうこと、するんだ・・・

 そういうやつには、お仕置きが、必要だよね?」


思わずそう呟いていた。


たとえゴンベエさんでも。

たとえ藤右衛門の昔馴染みの相棒でも。

同族をこんなふうに傷つけるやつを、野放しにはしておけない。


決闘だってなんだって、気を失った相手を攻撃するのは掟破りだ。

もう抵抗しない相手の命を奪うまで戦うなんて、一番やっちゃいけないんだから。


武術の訓練なんて受けたことないんだけど。

多分、スギナや藤右衛門のほうが、あたしの何倍も強いんだろうし。

ゴンベエさんとあたしだって、比べものになんか、ならないんだろうけど。


それでも、怖いとは思わなかった。

たとえ目の前にいるのが百戦錬磨の戦師だったとしても。

正気を失って仲間を傷つけるようなやつに負ける気なんてしなかった。


「今度は、あたしの番だ。」


高く飛んだ刹那。

巨大な狐は、緩慢と、そのあたしを追ってきた。

父さんの血に濡れた牙で、あたしを喰い殺そうとする。

けれど、その動きはあまりに鈍い。

あれじゃあ、つかまるはずがない。


大きすぎて、速く動けないのかな、可哀そうに。


ただでっかいだけで、鈍い力の塊。

そんなもの、怖いわけない。


怒りが募れば募るほどに、頭の中は冷えていく。

目の前でのったり動く狐の急所が、明るく光って見えてくる。


あたしは渾身の力を込めて、拳を握る。

誰かを殴るなんて、小さいころ、道場で朋輩相手に大暴れして以来だけど。


あんなのんびり狐なら、一発くらいは当てられるだろう。

その一発に、あたしは思いのすべてを込める。


「父さんは、あたしが護ってみせる。」


狐の急所。鼻の先を狙う。

あたしの耳元で、カキン、キン、と高い金属質な音がする。

妖狐を護る結界が破れていってるんだろう。

こんな結界くらい、今のあたしには、なんの効果もない。


妖力全開の速度にのせて、拳を握りしめ、あたしは巨大妖狐にむかっていった。










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