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ゴンベエさんが目を覚ましたというのは、スギナにも報せてあった。
スギナはいくつか急ぎの用を済ませたら急いで戻ると返事をしてきた。
夏の暑い日。
弟たちが、施療院に瓜を持ってきてくれた。
「母上の畑でたくさん獲れたのです~。」
「みなさんにも食べていただきたいのです~。」
弟たちの持ってきた瓜は荷車にいっぱい積み込まれていた。
甘くてみずみずしい瓜に、施療院のヒトたちも大喜びだった。
「あ~ね~う~え~!」
「あ~ね~う~え~!」
駆け寄ってきながら、ふたりは、あたしの後ろに影のようにいるゴンベエさんをじろりと睨んだ。
「なんですか?この猿のようなのは?」
「姉上に御用なら、まずは我らに話しを通してもらおう。」
ふたりはゴンベエさんとあたしとの間に割り込むようにして、ゴンベエさんを睨みつけた。
ゴンベエさんは、えへらへら、とふたりに腰を屈めて言った。
「これはこれは。
おふたりは、お嬢さんの弟君か。
ということは、おふたりも、いろは様の?」
「我らはいろは様の仔ではない。」
「ちなみに、姉上とは、父御も違っておる。」
「だから、姉上は安心して、嫁いできてくださいね。」
「僕ら、姉上をお嫁さんにするために、生まれてきたんだよ?」
さりげなく、こっちを見て、付け足すのはともかく。
「このヒトは患者さんだよ。
あんまり失礼なことを言ってはだめだよ?」
あたしは少し姉さんぶって、ふたりを軽くたしなめる。
「ええー、でも、そうは見えないですぅ・・・」
「なんだか、姉上を見る目が、いやらしいですぅ・・・」
ふたりは口を尖らせてこっちを見上げた。
うーん、なんか、こういうの、姉弟っぽくっていいなあ。
つくづく、可愛い弟たちだ。
「いやいや、その辺りはご心配なく。
あっしは、命の恩人のお嬢様に忠誠を誓いはいたしましたが。
手出しなど、毛頭するつもりはございやせん。」
ゴンベエさんはそう言って、ふたりにむかってぴたりと手のひらを差し出してみせた。
「それに、あっしの心は、とうの昔にいろは様に捧げております。
その証拠、お見せいたしやしょう。
はっ。
弥栄~、いろは姫~、弥栄~。」
ゴンベエさんは突然、謡いながら、面白おかしい振りで踊り始めた。
それはよく弟たちが舞ってくれるあの踊りだった。
「姫の前途に幸多からん~、弥栄~。」
すととん、とん。
踏み鳴らす足も華麗で鮮やか。
ぽかんと口を開けてゴンベエさんを見ていた弟たちも、ゴンベエさんの両隣に並んで踊り始めた。
「弥栄~、ろうたけて~、弥栄~。
姫の前途に幸多からん~、弥栄~。
弥栄~、花のよう~、弥栄~。
姫の前途に幸多からん~、弥栄~。
弥栄~、にっこりと~、弥栄~。
姫の前途に幸多からん~、弥栄~。」
「・・・あの。
その謡、何番まであるんですか?」
思わず尋ねてしまった。
「もちろん、いろは四十八番でございやす。」
応えながらも、ゴンベエさんは、弥栄~、ほっこりと~、弥栄~、と続けている。
「あ。
もういいです。よく分かりました。」
思わず、あたしはそれを引き留めていた。
弟たちは息を切らせながらも、ほう、と感心したように両脇からゴンベエさんを見上げていた。
「素晴らしい!お師匠様と呼ばせていただいてもよろしゅうございましょうか。」
「これほど華麗に舞われる方は初めてでございます。」
ふたりとも、すっかりゴンベエさんに心酔してしまったようだった。
「しかも、いろは四十八番まで、すべてご存知とか。」
「我らもまだ、十番までしか踊ったことはございませぬ。」
「いろは隊を名乗るからには、この程度、朝飯前でございやしょう!」
ゴンベエさんは、なんだか嬉しそうに胸を張った。
その台詞を聞いて、あたしは、はっと思い出した。
いろは隊?
確か、どこかで聞いたような・・・。
「ほう、いろは隊?」
「それは帰れば早速、母上にご報告いたします。」
ああ、そうだ。
確か、いろは贔屓のヒトたちのなかでも、特にすごいヒトたちの集まりで・・・
奥方様も、藤右衛門も、その一員だったんじゃなかったっけ。
「ゴンベエさんって、いろは隊、だったんですか?」
それは、もしかしたら、身元を調べる手がかりになるかも。
勢い込んで聞いたけど、途端にゴンベエさんは、はて、と自信なさそうに首を傾げた。
「あっし、そんなこと、言いやしたかね?」
「言いましたよ?
ねえ?」
あたしは弟たちに同意を求めるように見回す。
弟たちは、はい、と頷いてから、心配そうにゴンベエさんを見上げた。
「お師匠様はおつむりがお悪いのですか?」
「おつむりがお悪いなんて、お気の毒に。」
うーん・・・それ、聞きようによってはかなり失礼だから、やめようね?
「ゴンベエさんは、ずっと長い間、意識がなかったんだ。
だから、少し、いろんなこと、忘れちゃってるだけなの。
でも、こうやって普通に暮らしていれば、少しずつ、元に戻るから。」
あたしは、花守様に言われたことを弟たちにも説明した。
弟たちは、気の毒そうに互いの顔を見てから、にっこりと頷いてゴンベエさんを見上げた。
「それでも、お師匠様が素晴らしい方なのは間違いありません。」
「我らがそれは保証いたします。」
それから両方からゴンベエさんの手を取った。
「お師匠様、あちらで我らに舞をご伝授くださいませ。」
「お師匠様の技を、我ら、盗み取って御覧に入れましょう。」
嬉しそうに言いながら、ゴンベエさんを連れて行ってしまった。




