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いや、なにもない、というのは、違った。
そこには、下に下りていく大きな階段があった。
階段だけで、家の空間を全部使うくらいの、大きな階段だ。
階段はうっすらと白く光っていて、下のほうへ先が見えないくらい長く続いている。
ただ、危険な感じはしなかった。
あたしは恐る恐る、その階段を下りてみることにした。
階段は下りても下りても、なかなか一番下に辿り着かなかった。
こんなに下りたら、根の国にまで行ってしまうんじゃないかと、不安になるくらいだった。
ようやく下りきったところに突然開けた空間に、あたしは目を丸くした。
そこにあったのは、光り輝く花園だった。
こんな地下深いところなのに、辺りはまるで昼間のように明るい。
そこは、郷ひとつすっぽり入るんじゃないかと思うくらい、大きな地下の洞窟だった。
洞窟の壁全体は、ほんのり青白く光っていて、そのおかげでここは明るいらしかった。
花園には、およそあたしの知っている、ありとあらゆる花があった。
どこからともなく、優しい風も吹いてくる。
暑くもないし寒くもないし、永遠の春を閉じ込めたような世界。
掘っ立て小屋にぎゅうぎゅう二人暮らしかと思ったら、花守様の住処はとんでもなく広かった。
「ようこそ、花園へ。
お迎えに出られなくてすみませんでした。
階段で転んだりは、しませんでしたか?」
そう言いながらにこにこと姿を表わしたのは、花守様だった。
花守様は、真っ白の筒袖の衣を身に着けていた。
「急な患者があったものですから。
薺殿は、それならば、あなたをここへやるのは、また後日に、とおっしゃったんですが。
また後日にしていただいても、そのときにも、急な患者はあるかもしれませんし。
無理を言って、今日にしていただいたのです。」
花守様はそんなことを言いながら、あたしを案内するように先に立って歩き出した。
よく見ると、花園のあっちこっちに、柔らかそうな草で作った寝床がある。
寝床には、からだのどこかに包帯を巻いた妖狐たちが、狐の姿で眠っていた。
「ここは施療院なのです。
自分の力では癒せないほどの傷を負った妖狐たちの、傷を治すお手伝いをするところです。」
花園には、花守様と同じ白い筒袖の衣を着た妖狐たちも大勢いた。
そのヒトたちは、みんな、傷ついた狐の世話をしているようだった。
なかには妖力で癒しの術を施している妖狐もいた。
あたしは、げげげっ、と思った。
もしかして、あたしも、あんなふうに癒しの術とか、やれってことだろうか。
いや、でも、あの、それは・・・
「・・・あの、花守様・・・大変、言い難いことなんですけど・・・
あたしは、その、妖術系は、あんまり・・・」
あんまり、ってのは、かなり控え目な表現だ。
実際には、全然、まったく、いやいっそ、バツ技能。
癒しの術を使おうとして、かえって怪我をするという、オッソロシイ実績もあったりする。
花守様は、袂を口元にあてて、うふふ、と笑った。
「ああ、あなたの武勇伝なら、薺殿から、よく聞かされておりますとも。」
武勇伝?え?武勇伝?
あれって、そういう言い方をするもの?
「ご心配なく。
あなたのお役目は、傷ついた方々の治療ではありません。
ああ、いえ、治療と言えなくもない、でしょうか。」
花守様の言っていることが分からなくて、あたしは首を傾げた。
花守様はそんなあたしに微笑んでおっしゃった。
「傷を受けた狐は、からだだけでなく、その心にも傷を負うものです。
からだの傷は、癒しの術で治せますが、心の傷を治すことはとても難しい。
けれどそんな心も、優しくて明るい心に触れていれば、少しずつ癒されていくものです。」
ふむふむなるほど。
「それって、花守様みたいなヒトの心、ってことですよね?」
よっく分かります。
花守様は、あたしのほうを見て、ちらっと笑った。
「元気で明るくて、そして、お優しい。
あなたのことですよ、楓さん。」
「はあ???」
思い切り聞き返してしまった。
いや、元気で明るい、ってのはよく言われるけどさ。
だいたいその後ろには、けど、そそっかしい、とか、けど、がさつだ、とか。
そういうのがくっついてくるんだよね。
「優しい、ってのは、言われたこと、ありませんけど?」
すると、花守様は、まあ、と口元に手を当てて笑い出した。
「あなたは眩しいほどに、あまりにも明るい方だから。
それで、優しいところには、なかなか気づかれないのかもしれません。
後になって気づいてみて、はっとするような、あなたの優しさはそんなふうなのです。」
へえ~、と納得しそうになったけど。
「いやでも、花守様、どうしてそんなこと、知ってるんですか?
花守様とあたしって、まだ、二回しか会ってませんよね?」
思わずそう尋ねたら、花守様は、ふふふ、と笑っただけで、誤魔化した。
なんだろう。
あんまり褒められるからって調子に乗るな、って先生に忠告されたけど。
それって、こういうこと?ってちょっと思う。
「まあ、おいおい。
今日はまだ、一日目ですから。
そういうことは、おいおい、分かっていきますよ。」
花守様はにこにことそう言った。