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花恋物語  作者: 村野夜市
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急いで駆け付けた花守様は、患者さんの容体を丁寧に診てから言った。


「どこも、悪いところはありませんねえ。

 いつでも、お家に帰っていただいて構いませんよ。」


はあ、と患者さんは複雑な顔をした。


「あのう、すいやせん、あっしはどこへ帰ればいいんでしょうか?」


「は、い?」


花守様はにっこりと首を傾げた。


「あのう、この患者さん、自分がどこの誰か、分からないみたいなんです。」


あたしは横から花守様に言った。


「おや、まあ、記憶喪失ですか?」


花守様は、うんうんと頷いた。


「なるほど。まあ、とてもよく寝ておられましたからね。

 そういうことも、あるかもしれません。」


「あのう・・・あっし、どこか悪いんですかね?」


不安そうに尋ねる患者さんには、いえいえ、と手を振った。


「どこも悪いところはありませんよ。

 ただねえ、そう、まだちょっと、からだが慣れていないんですね。

 なら、もうしばらく、ここで療養なさるといい。

 なになに、寝るところも、食べるものも、たくさんありますから。」


花守様はにこにことそう言った。


それで、その患者さんは、しばらく施療院で療養することになった。

しかし、いつまでも患者さん呼ばわりも、紛らわしい。

ここには患者さんは大勢いるんだし。

そこで、仕方なく、名無しの権兵衛、略して、ゴンベエさんと呼ばれることになった。


ゴンベエさんの年は、あたしよりは上で、柊さんたちよりは、若い感じ。

もっとも、花守様みたいなヒトもいるから、見た目で年は判断できないけど。


小柄で目がくりくりしているのが、若く見える原因かもしれない。

丸顔。丸い目。ぷっくりしたほっぺ。

妖狐らしからぬ、というのも変だけど、あんまり狐の変化したようには見えない顔立ちだ。


戦師というのは、日頃からどこか殺気のようなものを背負っている印象があるんだけど。

そういう感じは欠片もない。

やっぱりこのヒトは、戦師ではないのかもしれない。


力もありそうには見えないし、武術の達人にも見えない。

かと言って、策略家・・・にはもっと見えない。

なんとなく、ヒトの好さそうな、騙されやすそうな・・・

もっとも、このヒトも妖狐なのだから、見た目と中身が同じとは限らない。


目を覚ました翌日から、ゴンベエさんは、ひょこひょことあたしについて回るようになった。

どうやらあたしに恩義を感じてしまっているらしい。

あたしは何もしてないって何度言っても、納得しない。

そんでもって、見よう見真似で、あたしの仕事を手伝おうとしてくる。

ちょっと、有難迷惑だった。


「あの、患者さんなんですから、療養してください。」


「いやいや~。

 どっこも悪くないってお墨付き頂いたのに、寝てなんかいられやせんよ。」


それならさっさと退院して、とは言えないのが、厄介だ。


しかし、このゴンベエさん、見た目に反して、意外にできるヒトだった。

まずは、あっという間に薬棚の配置を覚えて、あたしが行く前に確認を済ませてしまうようになった。

花守様への報告も、治療師さんたちへの連絡も、びっくりするくらい素早い。

背は小さいけれど、高い棚の上のものも、身軽にひょいひょいとよじ登って取ってくる。

踏み台に乗ったあたしが転げ落ちたときには、見事に、あたしの下敷きになって庇ってくれた。


「ゴンベエさんって、何してたヒトなんですか?」


「さあねえ?

 それが分かったら、ここから出て行けるんでしょうけどねえ?」


とにかく身軽で素早い。

戦師にはなれなくても、軽業師ならなれそうだ。


「けどねえ、あっし、なんだか昔から、こんなふうに誰かにお仕えしていた気がするんっす。」


「お仕え?」


狐の郷には、人間の世界のような身分はない。

旧くからいるってヒトたちは、家柄とかちょっと気にするヒトもいるけど。

下僕とか家来とか、そういうものは、狐の郷には存在しない。


しかし、ゴンベエさんを見ていると、なんとなく、そういう感じもする。

なんて言うのかなあ、下っ端っぽい?

親分気質ならぬ、子分気質だ。


「誰にお仕えしてたんです?」


「はてねえ?」


腕組みをして首を傾げたゴンベエさんは、ふと、あたしを見て言った。


「ところで、お嬢さん、あんた、いろは様に似てるって、言われたこと、ありやせんか?」


「は?」


あたしは驚いた。

たしかにあたしはどっちかと言うと母親似だ。

というか、父親にはほとんどまったく似ていない。

けど、母親はもうずいぶん前に引退して、ヒト前に出ることはなくなってたから。

母親の容姿ももうみんなの記憶からは薄れているらしくて、似ていると言われることもなかった。


ゴンベエさんはこっちに近づいてくると、あっちこっちからあたしをじろじろと眺めた。


「いやあ、見れば見るほど、よく似てると思うんだけどねえ。」


「ゴンベエさんって、自分の名前も忘れてるのに。

 いろはのことは覚えてるんですか?」


逆に尋ねると、ぽんっと手のひらで額を叩いた。


「いやあ、面目ねえ。」


けどね、と指を一本立てて、あたしをじっと見据える。


「いろは様を呼び捨てしてはいけやせん。

 いくらあっしの命の恩人だってね。」


いや、べつに、命の恩人じゃないですけど。


「そりゃあ、似てるところもあるかもしれませんね。

 いろははあたしの母親だし。」


べつに隠すことでもないし、あたしはさらっと白状した。

するとゴンベエさんは、凍り付いたように、すべての動きが止まった。


「え?はい?ゴンベエさん?」


「あやややや~。」


一瞬後、なにやら叫びながら、ゴンベエさんはあたしの前に跪いた。

ありがたや~、って叫んだんだって、後になって分かった。


ゴンベエさんは大泣きに泣きながら呂律の回らない舌で、ありがたやありがたやと繰り返した。

両手を合わせ、すりすり、すりすり、とこすり合わせていた。


「あの。えっと・・・」


「こうしていろは様のお嬢様のご尊顔を直に拝謁できるとは。

 恐悦至極にござりまする~~~。

 ああ、もったいないもったいない。

 眩しさに目が焼ける~~~。」


いや、それ、だめでしょ。


「お嬢様にこの命を救っていただけるとは、嬉しくて息が止まりそうです。

 かくなる上は、この命、お嬢様に捧げ、生涯、お仕えする所存。」


「いや、いりません。」


こういうことは、きっぱり断らないとね。


「まあ、そうおっしゃらずに~。

 どこまでもお供しますとも~。」


「結構です。」


きっぱり言い切ったら、ゴンベエさんは、なにやら突然、息を呑んで固まった。


「う、ん?

 どうしました?」


と思ったら、いきなり頭を抱えて、わあああああ、と叫びだした。


「ええっ?

 大丈夫ですか?ゴンベエさん?」


悶絶するゴンベエさんを、あわてて抱きかかえる。

混乱したように叫んでいたゴンベエさんは、ふ、と黙って、あたしの顔をまじまじと見つめた。


「・・・何か、思い出せそうで、思い出せないんです。

 けど、その、冷たさ。なんか、ものすっごく、懐かしい感じがして。」


「冷たい?」


「ええ、そうですとも。

 そのねえ、ヒトをヒトとも思わないような、冷たい視線。

 ぞくぞくするんっすよねえ。

 そんな目で見るくせに、本当は、誰よりも気にして、心配しててねえ。

 もう、そんなところまで、たまんないくらいに、好きっす。」


「はあ?」


思い切り嫌そうに聞き返したら、あ、とこっちに向けて手を立てた。


「大丈夫。これは、男女の好きじゃありません。

 お嬢さんの前に、あっしは、いろは様に心酔しておりやすから。」


あ。それはどうも。


「けど、それ、いろは様じゃないよなあ・・・

 いろは様はあったかいヒトだったし。

 誰だったかなあ・・・」


そのひとりごとに、あたしは、とある妖狐を思い出したんだけど。

絶対に、言うもんか。

あいつに似てるかも、なんて。





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