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下に降りると、奥の部屋に大きなお膳が用意されていて、ご馳走が所狭しと並んでいた。
煮物、焼き物、蒸し物。
見たことのない食べ物がずらりと並んでいる。
ゆうに十人前はありそうな量だ。
大きな船の形の器もあって、生の魚を薄く切ったのを、またわざわざ魚の形に並べてあった。
「うまそうだなあ。」
スギナは涎を垂らしそうな顔をして、目をきらきらさせている。
藤右衛門は、あたしにならともかく、スギナに毒をもったりはしないだろう。
スギナが食べたいなら、付き合ってやるかと思った。
箸と盃もちゃんと二組、並べてあった。
水差しに入っていたのは、野葡萄の汁だった。
スギナは、うまいうまいと言って、がつがつ食べた。
それを見ているだけで、あたしのほうが、お腹いっぱいになりそうだった。
だけど、ただじっと見ているだけってのも、退屈だ。
あたしもつられて、少しだけ、料理に箸をつけることにした。
スギナは美味しそうに食べていたけど、見たこともないようなものは、やっぱり口にするのは怖い。
生の魚は好きなヒトは好きなんだろうけど、あたしはあんまり得意じゃない。
迷った挙句、お椀に入っていたお粥を少しだけ口に運んだ。
びっくりした。
ほろほろほろと勝手に涙が零れてきた。
取り立ててご馳走とも思わない、ただの木の実のお粥だったのに。
心の奥底をがつんと揺すぶられた気がした。
ほんのり黄色くて、ほろりと甘い。
なんだろう・・・
なんだろう、これ。
悔しい。腹立つ。
だけど、悲しい・・・
失くしたなにかを、思い出せそうで思い出せない。
ぽろぽろ、ぽろぽろ泣きながら、あたしはお椀を抱え込むようにして、お粥をすすった。
あ・・・
もう、いいや。
もう、いい、なにもかも。
いつの間にか、お椀はすっかりからになっていた。
藤右衛門がにやりとほくそ笑んだ気がした。
「なあ。」
スギナに呼ばれて、我に返った。
あんなにあったお膳の上のご馳走は、八割がた、消え失せていた。
「ごめんな。」
開口一番、スギナはあたしにそう言った。
「・・・まったくだよ。」
あたしはそう返したけど、思ったより、その声に力は入らなかった。
「あんた、戦師にはならなかったんじゃなかったの?」
「あ。そっち?」
スギナはちょっと意外そうに聞き返した。
「俺は戦師じゃねえ。ちゃんと施療院付きの薬売りだ。」
ただ、とスギナは付け足した。
「藤右衛門様は、見習いだったとき、導師に引き合わされていたんだ。」
そら、そうか、と思った。
スギナは戦師を目指して戦師の導師についていたんだから。
「つってもさ、戦師たちの年に一度の集まりってのに連れて行かれただけだけどさ。
そのときは、遠くの方に、こぉんな小っちゃい姿で見ただけだったけど。
ずいぶん後になって、直接お目通り、叶って・・・」
お目通り叶う、とかいう言葉、あの藤右衛門に対して使わなくてもいいと思うけど。
「あれはさ、怪我が治って復帰してすぐだった。
藤右衛門様から、俺に直々に呼び出しがあってさ。
いや、そりゃ、驚いたぜ。
うちの導師でも、藤右衛門様と直接口をきいたことなんかなかったんだから。
藤右衛門様ってのは、戦師にとっては、雲の上のヒト、みたいな存在なんだ。」
へえ。そりゃあまた、御大層なこった。
けど、藤右衛門のことを話すスギナは、目をきらきらさせていた。
まるで、憧れのヒトのことを話すように。
「俺、仔狐のころから、紅いろはに憧れてたんだけどさ。
このヒトがあの名高い紅いろはの相棒だった狐か、って。
最初に遠目で見たときに思ったのはそのくらいのことだった。
けど、直接会って話してみると、すんげえ優しいし、気遣ってくれるし。
それでいて、策はいつも大胆で巧妙。
今でも、いろはといたころの方針は守ってて、余計な血は流させねえ。
滅多に姿は現さねえから、その素顔を知ってるヤツもそんなにはいないって大物なのに。
気さくであったかいヒトじゃねえか。
俺ぁ、一発で、信徒になったんだ。」
「あんたそれ、騙されてるんだよ。」
「お前さあ、藤右衛門様に対してずいぶんつれない態度とるけど。
藤右衛門様は、お前のこと、それはそれは、気にしておられるんだぜ?
俺のこと呼び出したのも、俺が施療院にいたからで。
藤右衛門様は、施療院にいた狐、かたっぱしから呼び出してて。
お前のこと、どんなに小さくてつまらないことでもいいから、話してほしい、って。
こう、頭下げて、お頼みになってさあ?」
・・・・・・
「あたしの弱みでも握ろうとしてたの?」
「だーかーらー!
なんでそんなひねくれて取るんだ?
父親が娘のこと知りたいってのは、そんなに妙なことかよ?」
「あいつに関してはね。」
そんなあったかい父娘じゃないもん。藤右衛門とあたしは。
つんとそっぽをむいたあたしに、スギナはため息を吐いた。
「お前、いろは様のことは、藤右衛門様や奥方のせいじゃないってことは、もう知ってんだろ?」
「花守様が封印を解いてくれたからね。」
その辺りの経緯は、スギナも知っているはずだ。
「じゃあ、なんで、そんなに藤右衛門様のこと、嫌ってんだ?
もう嫌う理由なんかないじゃないか。」
「・・・そもそもさ、藤右衛門とあたしは、生まれたときから相性最悪なんだよ。」
なんで嫌いなのか聞かれると、そう答えるしかない。
あのときのあれが嫌だったとか、このときのこれが許せないとか。
具体的に挙げだすとキリがないくらいたくさんあるけど。
そもそも、なんでそんなに嫌なのかと言えば、相性が悪いに違いないとしか思えない。
「顔も声も話し方も、ヒトを小馬鹿にしたような嗤いかたも、なにもかも嫌。」
だいたいあいつのことなんか話すのも嫌だ。
思い切り顔をしかめたあたしを、スギナは、目を丸くして見つめた。
「しかし、そこまで極めてるってのも、それはそれで、すげえなあ。」
感心するとこ?そこ?
むっとして睨んだら、スギナは、くくくっ、と肩をゆすって笑った。
「前にな、藤右衛門様がおっしゃってたんだ。
年頃の娘に、あたしの衣、お父さんの下帯と一緒の桶で洗わないで、とか言われたかったって。
そういう日を夢見てたんだ、って。」
どんな夢だ?変態か、あいつは。
「なんだ、ちゃんと藤右衛門様、夢、叶ってんじゃねえか?」
「はあ?」
あたしは藤右衛門の下帯の話しなんか一っ言もしてないけど?
「今日だってさ、お前の見習い明けを祝いたいから、連れてきてくれないかな、って。」
あ。見習い明けの祝い、ってのは、本当だったわけね。
「藤右衛門様は、お前と直接話して、仲直りしたいんだ、っておっしゃってた。
さっきだって、精一杯、お前のこと、励まそうとしてくださってたじゃないか?」
励ましてた?どこが?
スギナってば、目に鱗でも入ってんじゃないの?
「この食事だって、全部、藤右衛門様のお手製なんだぜ?
愛娘のために心づくしの祝いをしたい、って。
何日も前から、ひとつひとつ作ったんだ、って。」
「げ。料理とかするの、あのヒト?」
うっかり食べちゃったよ。大丈夫かな?
「これを知ってるやつは、あんまりいないんだけどさ。
料理は藤右衛門様のひそかな趣味なんだ。
頭んなか、ぐちゃぐちゃになったときには、料理をするんだ、って。
そうしてるうちに考えは整理されて、いい考えも浮かぶんだってさ。」
藤右衛門のこといろいろ知っているのが、スギナは心底、自慢なようだった。
「ここの隠れ家だってさ、知ってるヤツ、ほとんどいないんだ。
本当に、藤右衛門様のごく身近な何人かだけで。
ここに呼んでもらった、ってだけでも、すごいことなんだぞ?」
「花街からずっと帰ってこないって、聞いてたけど。
こんなところで、こそこそ暮らしてたんだ。」
「ここは花街のちょうど裏通りにあたるんだ。
だからそんな噂になったのかもな。
藤右衛門様は、いろは様とひっそり暮らしたかっただけだ、っておっしゃってた。」
「いろは様、って・・・あの、陶器の人形?」
あたしは顔をしかめた。
「おう。そうだ。
あれには、いろは様の魂が入っていらっしゃるんだと。」
あっけらかんと言い切るスギナを、あたしは信じられないと思って見た。
「あんたまさか、それ信じてるの?」
「おう。」
「もしかして、あの人形と話したことあるとか?」
「それは、ないな。
そもそも、藤右衛門様は、いろは様を他のやつには触らせねえ。
そりゃあもう、絶対だ。」
「じゃあ、なんで、信じられるの?」
「そりゃあ、藤右衛門様がそうおっしゃるから・・・」
「あんたまさか、藤右衛門の言うことなら、何でも信じてるの?」
「もちろんだ。」
・・・・・・
だめだ。こいつ。
「そんなわけないじゃない。
だから病み狐、なんて言われてるんでしょ?」
「藤右衛門様は病んでなんかおられねえ。
病んでる狐に、戦師の頭領は務まらねえ。」
自信たっぷりに言い切るスギナに、あたしはため息を吐いた。
何言ったって、ダメだわこれは。
「俺が戦師じゃなくて、薬売りになるって言ったときも、藤右衛門様は祝福してくださったんだ。
スギナにはそっちのほうがあってる、って言ってさ。
けど、ときどきはここへ寄って、世間話でもしてくれないかな、っておっしゃるから。
俺、ときどき、ここへお邪魔してるんだ。」
「それ、いいように利用されてるだけじゃないの?」
「俺の何を利用するんだよ?
それにここで話すのは、俺の仕事のことと、お前のことばっかり。
戦のことなんて、これっぽっちも話さねえよ。」
いいや。きっと、なんかある。
だって、あの藤右衛門だもの。
オヒトヨシのスギナはきっと騙されてるんだ。
「いい父ちゃんじゃねえか。
お前ももっと素直になったらいいのに。」
「真っ平ごめんだね。」
「ふん。まあいいさ。
あの方はいずれ俺の父上になる方だからな。
親孝行はお前の代わりに俺がしといてやるよ。」
「はあ?」
まあだそんな、つまんないこと考えてたのか。
ため息を吐くあたしの横で、スギナは満足そうに笑っていた。




